2012年07月23日

国なきパレスチナ人が米国から追放されカイロ空港で無期限拘留に直面

モーリーン・クレア・マーフィー
2012年07月11日水曜日

パレスチナ人兄弟ふたりが、国籍のない事態にも拘らず、米国政府によりエジプトに追放されたと、今日、アメリカン-アラブ反差別委員会は述べた:

元来ガザ出身の兄弟は、ICE(移民・関税執行局)と連邦航空保安局により、テキサスの彼らの子どもたちから連れて行かれ、エジプトへ送られた。兄弟は、エジプトにとどまる許可を持たない。さらに、ガザの封鎖とイスラエルの監視により、彼らはパレスチナに入ることができない。兄弟は現在、カイロ空港で拘留され、恐らく無期限に拘留されるように見える。

ガザへ/からの移動は、何年も厳しく制限されてきて、パレスチナ人は、彼らの国の国境を支配しない;歴史的パレスチナ領土のすべてが、米国により犯行幇助されるイスラエル・アパルトヘイト政権の支配下にある。ガザはまた、5年間、生活のすべての分野に強い衝撃を与える - 米国政府に支援された政策、イスラエルによる封鎖を耐え忍んできた。逃れる場所を持たないパレスチナ人1,400人を殺した攻撃、民間の基本的施設を激減させ、学校や礼拝の場所を標的とした、そして米国提供の武器によりしでかされた攻撃 - 2008-09年の冬のイスラエルによる3週間の攻撃後、ガザはまた、まだ再建しなければならない。

その一方、米国の市民権を主張するパレスチナ人は迫害されてきた。

例えば、サミ・アルアリアン博士は、30年以上米国で暮らしてきて、彼の政治活動のため標的となってきた市民権のないパレスチナ人である。彼は、追放を待つ自宅監禁下にある。彼の娘、ジャーナリストのレイラ・アルアリアンは、2010年、Electronic Intifadaに語った:

「…わたしたちは、虐げられる政治囚に、ブッシュ政権の被害者に、反-パレスチナ行動のうねりの被害者に、その扉が開かれるだろう国があることを本当に望みます。21世紀に、国を持たない民族集団がいることは驚きです。たぶん誰かが彼を採用することができるでしょう。わたしたちが闘わなければならないのはもうひとつの闘いです」。

ADCの声明全文は以下:(省略:原文で)

全文:The Electronic Intifada


 国連によるパレスチナ分割決議について、時折、「誰かの土地を別の誰かに与える権利が、第三者、国連にあっただろうか」と、わたしはこのboycottilに書いてきたが、国連で議論された当時、この決議を支持していたのは、ナチスドイツの犯罪を支えて忸怩たるヨーロッパと米国ぐらいなものだった。「誰かの土地を別の誰かに与えるなど、不当以外の何ものでもない」と、他の諸国は看做しており、国連でそのように演説もし、分割決議は採択されそうになかった。米国さえ、当初反対の立場だった。ルーズベルトの急死で副大統領から大統領に昇格したトルーマンは、二期目、大統領選での敗北が予想されていたが、ユダヤ票のとりまとめをちらつかされて、分割決議「賛成」に回った。そして、第二次世界戦争で疲弊していた貧しい諸国の票を金で買い、無理矢理「分割決議」を通過させた。
 パレスチナ人から帰る国を奪っておいて、どこに追放するおつもりだろう。
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2012年07月22日

イスラエル軍がナビ・サレ襲撃、住民を登録し写真に撮る

民衆闘争調整委員会
2012年07月17日


昨夜の襲撃ヴィデオ (Video: PSCC)

昨夜の真夜中過ぎ、1:30に、イスラエル軍の大部隊が、いかなる令状もなしに、バッシム、ナジ、ビラール・タミミを含む、ナビ・サレ村の家の多くを襲撃した。

兵士らはまた、地元フォトジャーナリスト、ビラール・タミミを攻撃し、彼のカメラを奪い、そのメモリを削除し、そしてしばらくの間彼に手錠した。さらに、兵士らは、そのカメラで彼らの家への夜襲を記録していた、バッシム・タミミの妻、ナリマンを逮捕しようと企てた。

犬(複数)を伴い兵士らは、家いくつかを捜索し、その間、住人と彼らの家の記録を作り、彼らを写真に撮った。

抗議者たちを標的とするナビ・サレへの夜間襲撃は、家族や子どもたちを怯えさせ、常に起こる。襲撃は、住民の恣意的逮捕に加え、村民に毎週のデモンストレーション組織を思いとどまらせるイスラエル軍キャンペーンの一部である。

背景

2009年遅く、入植者らは、ナビ・サレ村議会議長、バシール・タミミが所有する土地にあるエイネルカウス(Bow(虹か弓か)の泉)を徐々に強奪し始めた。入植者らは、軍にけしかけられ、泉に小屋を組み立て、死んだ入植者よりMaayan Meirと名を付け替え、泉を使うため来たパレスチナ人たちを、武力により - 時折石を投げ、あるいは撃つと脅して彼らに銃を向けさえして、追い払い始めた。

ナビ・サレの住民たちが、既に、継続的土地の略奪とHalamish入植地の常に続く拡張を可能とする追放に何十年も耐えてきた一方、泉の強奪は、その土地の返還を要求する、村の草の根抗議運動の毎週のデモンストレーションの開始に繋がる我慢の限界として機能した。

(略:ナビ・サレの抗議がイスラエルや国際的連帯活動家たち、近隣パレスチナ人の支援をうけたこと、ナビ・サレのデモンストレーションが、女性の参加と組織段階を含むすべての側面での役割において独特で、子どもたちの参加もまた、民衆草の根運動を反映することなど)

抗議に対するイスラエル軍の反応は、特に残忍で、毎週金曜日、建築密集地を含む村全体を、軍事閉鎖地区とする宣言を伴い、村に完全な包囲を規則的に敷くことを含む。デモンストレーションに先立って、あるいは最中に、軍はしばしば、布告なき戒厳令を強要する効果で、村を完全に占拠する。軍の夜間襲撃と逮捕作戦はまた、しばしば未成年者を標的とする、軍の脅迫戦略共通の戦術である。

村人とその支持者たちを、彼らの土地にデモンストレーションし行進するその基本的権利の行使を妨げるため、兵士らは、非武装の抗議者たちに対し、いつものごとく不均衡な武力を使用する。デモンストレーションを妨害するため軍隊により利用される手段は、催涙ガス射弾、禁止される高速度催涙ガス射弾、ゴム皮膜(金属)弾、時折実弾の使用さえ含むが、制限されない。狙撃兵による禁止の0.22"弾薬の使用もまた、ナビ・サレで記録された。

そうした慣習の使用は、既にムスタファ・タミミの死をもたらし、無数の負傷者をもたらしてきて、彼らの何人かは、子どもたちを含み深刻で - 最も深刻なのは、2010年3月5日、至近距離からゴム皮膜(金属)弾で頭部を撃たれた、14歳のイハブ・バルグーティのそれで、3週間、病院において昏睡状態だった。不均衡な武力行使の広範囲な特徴により、事象を、兵士ら個々の振る舞いに帰すことはできず、政策の遂行と看做されるべきである。

放水砲から放たれる「スカンク」と呼ばれる悪臭の液体同様、催涙ガスが、村の建築密集地域内で、あるいは、子どもたちや高齢者を含む参加していない村の住民たちが避難できない手法で、直接家々の中に向けてさえしばしば使用される。兵士らがその窓から催涙ガス射弾を撃った後、少なくとも1軒の家の内部が火事となり、酷く損傷した。

村での抗議が引き起こされた2009年12月以来、不均衡な軍の暴力によりもたらされたデモンストレーション関連の負傷者何百人もが、ナビ・サレで記録されてきた。

2010年1月から2012年6月までの間、イスラエル軍は、ナビ・サレ村の抗議に関係した疑いで、24時間かそれ以上拘留された人びと、女性たちや、11歳といった幼い子どもたちを含む、98人の逮捕に達した。98人の31人は未成年者だった。更に多くが短期間拘束された。抗議組織に関わった罪で逮捕された、村の抗議指導者ふたり - バッシムとナジ・タミミ - は、欧州連合により人権擁護者と承認された。バッシム・タミミはまた、アムネスティ・インタナショナルにより、良心の囚人と宣言された。EUの外交政策チーフ(外務大臣)、キャサリン・アシュトンは最近、イスラエル軍事法廷による彼の有罪判決を非難し、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、彼が公正な裁判を受けなかったと警告した。

全文:Mondoweiss

アーカイヴ:HRW:タミミの有罪判決は集会の自由の権利侵害(06月02日)
     :「5歳の少女から何をお望み? 彼女があなたの国家を脅かすとでも?」:イスラエルがナビ・サレの家屋襲撃(04月14日)
     :ナビ・サレ:イスラエル兵士らがゴム皮膜鋼鉄弾で15歳の顔を撃つ(03月28日)
     :パレスチナ人家庭を襲撃する兵士ら:「我々は平和を望む」(03月01日)


 この記事と、アーカイヴ記事、4月14日と3月1日のヴィデオはすべて、ビラール・タミミの家屋への襲撃で撮影されたものだ。どれもYouTubeにアップされているのだから、イスラエルの兵士らは、ビラール・タミミの家屋を襲撃するならその様子は撮影されYouTubeにアップされると知っている、と、わたしは思う。
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2012年07月21日

人権集団:イスラエルがエレツ検問所でガザの患者を拘束

2012年07月18日水曜日

ガザ市 (Ma'an) -- イスラエル当局が、エルサレムで入院治療のためガザ回廊から旅することになっていたパレスチナ人患者を拘束したと、月曜日、パレスチナとイスラエルの人権集団は語った。

ジャバリアのラウヒ・フーアド・ケルケズ、43歳が、日曜日、彼の許可を話し合うため諜報職員らに会いに行った後、ガザ回廊北部、イスラエルのエレツ検問所から戻ることはなかったと、アルメザン人権センターと「人権医師団 - イスラエル」は語った。

ケルケズは、5月31日にエルサレムのアルマカッシド病院の予約をとっており、一方、イスラエル諜報機関が、彼の申請を調査するためエレツに呼び出し、彼の予約は過ぎ去った。

彼が、日曜日早く離れた後、その夜遅く、イスラエル職員がその家族に電話して、彼がアシュケロン刑務所に捕われていると告げた。

(略)

全文:Ma'an News Agency


 イスラエルによる封鎖でガザは、医薬品も医療器機を使用するための補充物資も欠乏し、本来ならガザで治療可能な病気にさえ対応できなくなってきている。エジプト経由で外国に行くか、エレツ検問所経由で、つまりイスラエルを経由してヨルダン川西岸の病院に行くしかない。エレツ検問所を通過する許可の条件はよく知られている。イスラエルのスパイとなることだ。それを断ると、この記事のラウヒ・フーアド・ケルケズのように拘束される。ひとたび拘束されたなら、イスラエル刑務所は、医薬品が欠乏するガザより条件が苛酷だから、さらに命を縮めることになる。

アーカイヴ:イスラエルがエレツ検問所で「患者拘束」(01月22日)
     :「ガザに戻って死ね」(2009年05月16日)
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2012年07月20日

イスラエルのブルドーザがシルワンの施設を破壊

エルサレム、2012年07月18日 (WAFA) - シルワンのワディ・ヒルウェ情報センター所長、ジャワッド・シアムによれば、エルサレムのイスラエル地方自治体のブルドーザが、水曜日、東エルサレム、シルワン地区のパレスチナ施設を、許可なく建設されたとの口実で、破壊した。

シアムは、16平米の施設が築100年で、牛と鳥を収容するのに使われてきたと語った。イスラエル地方自治体職員は、牛と鳥を押収し、所有者に罰金を科した。

原文:WAFA


 この施設が建てられたのが100年前、イスラエルの建国が1948年だから64年前、イスラエルが東エルサレムを含む西岸を占領したのが1967年、つまり45年前、「許可なく建設された」がどれほど乱用されているかがわかるだろう。
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パレスチナ人記者が衣服を脱ぐ調査に難色

2012年07月16日月曜日

パレスチナ人記者は、米国国務長官、ヒラリー・ロダム・クリントンの記者会見を取材しようとした彼と同僚3人が、イスラエルのセキュリティ検査で、ズボンを下げるよう求められ立ち去ったと語る。

The Associated Press

エルサレム -
パレスチナ人記者は、米国国務長官、ヒラリー・ロダム・クリントンの記者会見を取材しようとした彼と同僚3人が、イスラエルのセキュリティ検査で、ズボンを下げるよう求められ立ち去ったと語る。

パレスチナ人記者たちは、セキュリティを通じて彼らを案内するため職員を送った米国領事館による月曜日のイヴェントに招待された。アルクッズ新聞のモハメド・アブハデイルは、イスラエルと外国の記者たちが、脱ぐよう求められなかったと語る。

外国人記者たちは、実施が緩和したように見えるものの、過去に、イスラエル政治家トップとのイヴェントで衣服を脱いで検査されることに不平を言ってきた。

イスラエル政府職員は、イスラエルがクリントンのため、可能な最良のセキュリティを提供しようとしており、西側の空港や西側の首都の守られる設備で使用される同様の手順と語る。

原文:The Seattle Times
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残忍な謀殺への軽い刑がユダヤ人とパレスチナ人の二重基準を示す

Ira Glunts
2012年07月15日

「A」とのみ特定されるエルサレムのティーンエイジャは、残忍で、明らかに挑発されずに遂行した攻撃に続く、パレスチナ人、フッサム・ラウィディ刺殺のための有罪答弁取引後、当惑させられる短い8年の刑を言い渡された。告訴は、「謀殺」から裁判所が慈悲深い刑を課すことを容易にする「殺人(故殺/殺意なき殺人)」に縮小された。犯罪は、2011年2月11日に起こった。ラウィディは、殺されたとき24歳だった。

その事件は、エルサレムの中心で、金曜日の夜に起こった。エルサレム、ベイトエル、イタマルの居住者、被告とその友人3人は、ラウィディが彼の友人、ムラード・ジェラニとアラビア語で話すのを聞いた。被告の友人ひとりが、ふたりに向け、人種差別的発言を言葉にし始めた。

判決で、裁判所は、その時被告が、彼の友人によりなされた人種差別的発言に気づいていなかったと述べた。しかしながら、彼は、彼の友人がふたりを殴るのを見て、けんかに参加した。

Zvi Segal裁判官は、「ある時点で、若者が床屋のカミソリ刀を引き抜き、耳からほおまで顔に深い切り傷をもたらし、故人を攻撃した」と述べた。それはまた、ラウィディが出血して死につつあるなか、友人のふたりがラウィディを殴り始めたと述べる。

「A」の友人2人が、犯罪の証拠隠滅を試みに突き刺した現場に戻ったとき、警察により逮捕された。(ヘブライ語報道のみ)

深刻な負傷をもたらし有罪判決を下された被告の友人2人は、取り引きの一部が検察当局と達し、6ヵ月の地域奉仕が宣告された。(わたしの重要視、IG)

これら2人が、犯罪を隠蔽しようと企てた若者らであったのか、あるいは「A」の第3の友人の配列だったのか、報道からは明確でない。加害者らの氏名は報道に現われなかったが、被害者どちらの氏名も与えられた。

刑期に加え、被告は、被害者家族に、総額5000シェケル(およそ1200米ドル)の支払いを命じられた。この総額は、Ha'aretzにより「非常に少ない」と説明された。(ヘブライ語報道のみ)

被害者の父親、フサイン・ラウィディは、新聞に「彼がなしたことに対し、彼が8年服役することに、何も相当しない… それらは裁判所で、わたしには何もできない。彼は、アラブ人というだけでわたしの息子を殺害した」と語った。(ヘブライ語のみ)

ピース・ナウ主事、Yariv Oppenheimerは、「もし加害者がアラブ人で、被害者がユダヤ人だったなら、刑は終身になっていただろう。イスラエルの裁判所でのみ、アラブ人の生命は、高々5000シェケル(98,000円ほど)の価値しかない。検察当局は、宣告を上訴しなければならない」と語った。(ヘブライ語のみ)

再びヘブライ語版のみで、新聞はこの有益な比較を提供する。

同様の事件で、判決は、はるかに厳しかった。2009年、Eric Karpは、アラブ人の若者らにテルアヴィヴ海岸で殺害された。これら攻撃者らもまた、故殺(謀殺と対照的に、IG)の有罪判決を下されたが、彼らは26年の刑期が宣告され、総額で300,000シェケル(590万円ほど)、家族に賠償することを強いられた。


出所

Hasson, Nir, “Jewish teen sentenced to 8 years in jail for killing Arab in Jerusalem,” July 12, 2012 (English)

Hasson, Nir, “5000 shekel compensation to the family of an Arab who was stabbed to death by a Jew,” July 12, 2012 (Hebrew)

原文:Mondoweiss

アーカイヴ:受難者となったフッサム・ルウェイディの最後の瞬間(2011年02月24日)
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2012年07月19日

軍が西岸に住むインタナショナルズを逮捕し追放する

2012年07月11日水曜日
Saed Bannoura - IMEMC & Agencies

イスラエルのYnetニュースが、イスラエル中央司令部チーフ、Nitzan Alonが、イスラエル人口・移民当局に、被占領西岸に違法に住むインタナショナルズ(外国人連帯活動家)を追放するため、捜査し逮捕する「権利」を与える命令に署名したと報じた。

Alonは、イスラエルの許可なく西岸に駐在する外国人を「潜入者」と看做して、彼らすべてが、その国に送り返されなけばならないと語った。

この命令の下、軍は、パレスチナ領域の外国人を逮捕し、すべての追放措置と証拠書類が完結されるまで、彼らをイスラエルの刑務所に移送することが許されるだろう。

彼が「西岸に現在駐在する多くの潜入者」と呼んだもののためこの決定がなされたと、Alonが語ったと、Ynetは述べた。

イスラエルは、西岸の境界ターミナル(検問所)すべてを支配し、パレスチナ領域に住むインタナショナルズは、イスラエルが彼らの入国ヴィザ更新を拒絶するので、多数の困難と妨害に直面する。

イスラエルはまた、その殆どの入国を10年間妨げる、パスポートに「入国拒否」スタンプをすることで、多数の国際平和活動家たちが被占領地に入るのを妨げた。

西岸のパレスチナ自治政府は、境界ターミナルを支配せず、入国ヴィザを発行できない。

被占領西岸に住むインタナショナルズは、P.A(パレスチナ自治政府)がそうしたヴィザを発行できず、イスラエルが、彼らがパレスチナ地域に住む事実により、彼らへのヴィザ発給を拒絶する事実のため、ヴィザを更新できない。

西岸に住むインタナショナルズに対するイスラエルの制限はまた、イスラエルが家族再統合証書を与えるのを拒絶しているので、アラブ諸国や外国の伴侶と結婚したパレスチナ人何百家族もの別離を強いている。

原文:International Middle East Media Center


 弾圧がないなら、土地の強奪、水の強奪、そして入植地の拡張がないなら、駐在する外国人の眼を恐れる必要はない。逆に、外国人を追放するとき、それはさらなる暴虐、虐殺の予兆である。
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