2012年08月16日

書評:イスラエルの教科書がいかに子どもたちに憎悪を教えるか

Asa Winstanley London
The Electronic Intifada
2012年08月11日

イスラエルによるガザ回廊への2008-09年の残忍な攻撃の頂点で、当時の外務大臣、ツィピ・リヴニは、「パレスチナ人は、子どもたちに我々を憎悪するよう教え、我々は汝の隣人を愛せと教える」と主張した (p.232)。

この作り話の最初の部分は、米国国務長官、ヒラリー・クリントン、そして最近では、ニュート・ギングリッチといった、どちらも、パレスチナの教科書が反-セム(ユダヤ)主義を教えるとの根拠ない主張を広めた人びとにより喧伝される。この中傷は、イスラエル人入植者、Itamar Marcusや彼の「パレスチナ・メディア監視」といった、反-パレスチナの喧伝者らに源を発する。

重要な新書籍、『Palestine in Israeli School Books/イスラエル教科書の中のパレスチナ』で、イスラエルの言語・教育学教授、ヌリート・ペレド-エルハナンは、リヴニの作り話の後の部分をきっぱりと葬り去る。

ペレド-エルハナンは、歴史、地理学、公民のイスラエル教科書17冊を調査する。彼女の結論は、若年齢からの反-アラブ人種主義の教化と培養のイスラエル体制の告発だ:「ここで調査された教科書は、それらが左派の(文部)省で発行されたものであれ、あるいは右翼の省で発行されたものであれ、イスラエルの拡張政策の... 利益のために過去を利用する」(p.224)。

彼女は、これが達成される時々複雑で緻密な手法を調査し暴露して、深遠な詳細に立ち入る。記号学(サインとシンボルの学問)の彼女の専門知識が、有力な役割を演じる。

イスラエルの若者の精神への、反-パレスチナ・イデオロギーの教え込みは、排除と不在の利用を通じ教科書で達成される:「ここで調査された教科書のどれも、言語的にであれ視覚的にであれ、パレスチナ実物世界の、いかなる肯定的文化あるいは社会的様相も含まない:文学であれ詩であれ、歴史であれ農業であれ、芸術であれ建築であれ、習慣であれ伝統であれ、常に言及されない」(p.49)。

イスラエル教科書によりパレスチナ人は軽んじられ、悪魔化される

(略:長いので所々)

ペレド-エルハナンは、これを「否定的描写戦略」と呼ぶ。彼女は、「パレスチナ人はしばしば、『パレスチナ人問題』として引用される」と説明する。一方、パレスチナ人が追放されるよう公然と要求した物故のイスラエル政治家でラビ、「メイル・カハネの極右のイデオロギーと喧伝に顕著だった」用語、「進歩的」と看做される著述家らにより、この表現が常に使われる。ペレド-エルハナンは、「ユダヤ人が『ユダヤ人問題』と呼ばれた僅か60年後」それがなされるようになるこの不穏を見いだす (p.65)。

(略)

大虐殺の正当化

ペレド-エルハナンは、結論する:「ここで調査した教科書は、イスラエル-ユダヤ文化をアラブ-パレスチナ文化に勝るとして、イスラエル-ユダヤの発展構想を、パレスチナ-アラブの生活様式に勝るとして、そしてイスラエル-ユダヤの振る舞いを普遍的価値と提携するとして提出する」(p.230)。

イスラエルの戦争犯罪が、完全に無視されるとは限らない一方、教科書は、大虐殺と民族浄化を軽視するか正当化するため最善を尽くす。「『アラブ版によれば』といったような冒頭で如実に表し、パレスチナ-アラブ版が可能性として述べられる一方、イヴェントのイスラエル版は、客観的事実として述べられる... (あるいは)『ディエル(ママ)ヤーシンは、イスラエルのアラブ人の目にユダヤ人征服者の恐ろしいネガティヴ・イメージ... パレスチナ語りの作り話となった』」(p.50-1)。

1948年、シオニスト民兵、イルグン、レヒ、ハガナのテロリストらによる、およそ100人の名高い大虐殺が起こった、デイルヤーシンはパレスチナの村だった。既に上の例で述べた「恐ろしい」とするイスラエルのネガティヴ・イメージに過ぎない。非武装の男、女、子どもたちの大虐殺は、どちらかというと関心の理由とならない。

イスラエル教育は退化する

イスラエル教科書の先立つ調査を参照し、ペレド-エルハナンは、1990年代の改善のいくつかの兆候にも拘らず、彼女が調査したより最近の教科書が、むしろ悪くなったと見いだす。1948年のパレスチナ人のその自国からの強制追放、ナクバの問題は、大部分無視されないが、代りに正当化された。

(略)

「(イスラエルの)歴史教科書の新たな語りの出現」の先立つ調査の可能性に反し、「…最も最近の教科書(2003年-09年)のいくつかは、 - 公文書情報がそれほどアクセス可能でなかった - 『第一世代』(1950年代)の記述に退化し、それらのように『偏向、偏見、錯誤、誤伝に満ちている』」(p.228)。

ここにあるいい加減な編集があり、学術的理解不能の言葉が時々迷わす領域に滑り込む。しかしそれら言い抜けを別にして、ペレド-エルハナンの著作は、イスラエルの生徒たちがちょうど、若い徴集兵として軍隊に入る筈の直前、国家と社会により、いかにパレスチナ人とアラブ人に対する憎悪と侮蔑に洗脳されるかの、決定的な記述である。

Asa Winstanleyは被占領パレスチナに住み仕事するロンドンのジャーナリスト。彼のウェブサイトは:www.winstanleys.org

全文:The Electronic Intifada


 通常、イマジネーションがあれば(イマジネーションが欠落しているひともいるけれど、例えばヒラリー・クリントンのように)、イスラエル国家、イスラエル軍兵士のパレスチナ人の扱い、被占領パレスチナのイスラエル人入植地に移り住んだ入植者らのパレスチナ人に対する底知れない暴力を、仔細に検討するまでもなく一瞥するなら、彼らがどれほど憎悪と侮蔑を注入されてきたかは判る。エルサレムのヤドヴァシム博物館を訪れたとき、徴兵されたばかりと思しき若いイスラエル兵のおびただしい群れを見て、なるほど、この虐殺博物館は、イスラエル兵の教育施設としてつくられたのかと思ったほどだった。
 このペレド-エルハナンによる著作は、イマジネーションが欠落していなければ見えることを、裏打ちしてくれるかもしれない。
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2012年08月15日

イスラエルがオスロ合意前から拘束の拘留者123人を解放

2012年08月10日金曜日
Saed Bannoura - IMEMC & Agencies

パレスチナ上級政府筋は、金曜日、イスラエルとパレスチナ解放機構 (PLO) の間で1993年に署名されたオスロ和平合意以前に捕らえられた、パレスチナ人政治囚123人の解放に、イスラエル政府が合意したと報告した。

情報筋は、ロシアが、拘留者123人を解放するよう繰り返しイスラエルに促すことで重要な役割を果たし、米国のバラク・オバマ大統領政権もまた、頓挫した和平会談再開を促進するため解放を承認するようイスラエルに要請したと、Quds Net News Agencyに報せた。

拘留者123人は、来る10月に始まり2013年6月に終わるいくつかの局面で解放されるだろう。

直接和平会談再開を確実にする努力は、イスラエルが、西岸と被占領東エルサレムでの入植地建設・拡張活動の9ヵ月「凍結」を終了した2009年9月以来、行き詰まりに直面してきた。

マフムード・アッバス大統領により率いられる西岸のパレスチナ自治政府と、パレスチナ解放機構 (PLO) は、イスラエルが違法な入植地建設・拡張活動と、繰り返される侵入と逮捕を継続する限り、和平会談は再開され得ないと語った。

アッバース大統領はまた、1993年以前から捕らえられる拘留者たちが、和平会談再開前に解放されなければならないと語った。

直接・公式和平会談が停止された事実にも拘らず、パレスチナとイスラエルの政府関係者たちは、ヨルダンから後援を受けた会談を含むいくつかの会談を持ったが、会談は突破口をもたらさなかった。

原文:International Middle East Media Center


「来る10月に始まり2013年6月に終わるいくつかの局面で」、イスラエルはまた個別の条件をつけてくることだろう。1年近い時間を費やすことなく、即刻の解放を要求できない国際社会の弱腰はどうだろう。
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2012年08月14日

イスラエルが西岸入植地調査の国連使節団を妨げる

2012年08月07日火曜日
PNN

イスラエルは、国連調査使節団が、パレスチナ領域に於けるイスラエル人入植地の適法性を調査するのを妨げるだろうと語った。

イスラエル外務省が、使節団に協力せず、そのメンバーたちが、イスラエルとパレスチナ領域に入るのを止めると語ったと、Ma'an News Agencyは報じた。

国連人権理事会 (UNHRC) により設立された専門家チームが、8月に仕事を始め、9月末に予備報告を提出することになっていると、UNHRCパレスチナ代表、イブラヒーム・ハレイシェは、日曜日、語った。

ハレイシェは、Voice of Palestineラジオに、最終報告が2013年3月に予定されていると認め、チームをパレスチナ領域で自由に活動させるよう、イスラエルに要求した。

UNHRC理事長、Laura Dupuy Lasserreもまた、「調査プロセスを妨害することなく、使節団に全面的に協力する」よう、イスラエル政府に要求した。

しかしながら、事実調査団が、イスラエルあるいはパレスチ領域に(入域)許可されないとすれば、報告は、間接的出所に依存しなければならなくなりそうだ。

イスラエル人入植地調査決定は、パレスチナ自治政府により理事会にもたらされたイニシアティヴに続き、UNHRC47加盟国による3月の投票後に採択された。合衆国は、動きに反対票を投じた唯一の国だった。

その時、イスラエル外務省は、「この使節団設立は、UNHRCで、イスラエルを選び抜くもうひとつの見え透いた表明」と述べ、決定を非難した。

7月に、国連パレスチナ領域人権特別報告官、リチャード・フォークは、入植地の増加した建物が、二国家解決に関する「本を閉じた」と、記者会見で語った。

フォークはまた、西岸に於けるイスラエル人入植地すべてが、国際法下違法と看做す、国際社会に責めを負わせた。彼は、「国際社会が、この闘争に関わる人びとに公正をもたらす方法を持たない過程で、恐らく知らず知らず、共謀している」と述べた。

(略)

全文:Palestine News Network

アーカイヴ:人権集団:イスラエル入植者暴力増加(07月14日)
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他の利益と対立しても国連にいくとアッバス

2012年08月08日水曜日

ナブルス (Ma'an) -- マフムード・アッバス大統領は、火曜日、パレスチナが論争地域というよりむしろ占領下にある国家であるとの国際的承認を得るよう模索し、国連加盟をパレスチナ自治政府が主張するだろうと繰り返した。

「仮にこの歩みが、他の党派の利益と対立しても、わたしたちは後戻りしないだろう」と、アッバスは、ナブルス地区の高校卒業生トップに栄誉を与える式典に加わった、アンナジャフ国立大学で所信表明して語った。

「イスラエルは、入植活動も休止しなければ、1967年に占領されたパレスチナ領域を占領地と認めることもなかった。したがって、わたしたちにある唯一の選択肢は、一致するアラブのスタンスで準備され国連に行くことだ」と、アッバスは付け加えた。

「この自国で、わたしたちは、足場を確実とし離れないだろう。わたしたちは、1948年と1967年の過ちを繰り返さず、しかしむしろ、わたしたちが高貴なエルサレムをその首都とするパレスチナ国家を建設するまで、それらがいかに大きかろうと困難のすべてに立ち向かうだろう」。

アッバスはまた、彼が進行する「不眠」の事例と評した、ハマス-ファタハ論争に向けて語った。「民主的民衆なのだから、わたしたちは10月20日に地方選挙を実施すると決定した」。

シリアの状況に関して彼は、パレスチナが、アラブ諸国の国内問題へのいかなる介入も回避すると決意すると繰り返した。「わたしたちに介入するよう強いようとしている人びとがいるとしても、わたしたちは介入しないだろう。シリア民衆は、パレスチナ問題を非常に支援してきたし、それ(シリア)がアラブ世界の脈動なのだから、わたしたちはシリアが回復することを望む」。

アッバスはまた、日曜日夜の、シナイでのエジプト兵士への攻撃を非難した。「これは、わたしたちが非難する犯罪だった。わたしは弔辞を述べるため(ムハマド)ムルシ大統領に電話し、エジプトの殉難者たちに敬意を表し、1日間、半旗とすると決定した。エジプトは何十年もの間、パレスチナ問題に多くをなしてきた」。

(略)

全文:Ma'an News Agency

関連記事:「報告:国連加盟が廃棄されるなら囚人を解放するとネタニアフ」Ma'an News Agency

2012年08月06日月曜日

ベツレヘム (Ma'an) -- イスラエル首相、ベンヤミン・ネタニアフが、パレスチナ自治政府が提出される国連加盟をキャンセルするなら、オスロ合意前に拘留された50人の囚人を釈放すると申し出たと、ヘブライ語新聞、Maarivは、月曜日、報じた。

ネタニヤフが、政治交渉再開のため、マフムード・アッバス大統領との会談もまた申し出たと、新聞は付け加えた。

「加盟申請は適切な時期に提出されるだろう」と、アッバス政治顧問、ニミル・ハマドは応答して語った。

囚人解放を国連加盟とリンクするのを拒絶したと語り、ハマドは、オスロ合意前に拘留された囚人すべては、無条件で解放されるべきと付け加えた。

6月、ネタニヤフの顧問、イツハク・モルコは、イスラエルがオスロ以前に拘留された囚人123人のうち25人を解放するだろうと約束したと、Maarivは述べた。

申し出は、伝えられるところによれば、モルコがパレスチナの交渉者、サエブ・エレカトと会談したときなされた。

土曜日、PA(パレスチナ自治政府)外務大臣、リヤド・アルマルキは、PAが、9月27日に国連総会で、非-加盟国オブザーヴァ地位になることを求めるだろうと、ラマッラで記者団に語った。

国連駐在イスラエル大使、Ron Prosorは、いかなる国連加盟もマジョリティの支援を得るだろうが、「現実に変わることはないだろう」と語った。


 イスラエルによる囚人解放の約束に価値はない。わたしたちは、イスラエルとの合意により解放されたパレスチナ囚人たちが再拘束されるのを辟易するほどたくさん見てきたのだから。イスラエルは、約束を申し出る前に、約束されたことは厳密に守らなければならないとまず学ばなければならない。100年ばかりかかるだろうか、イスラエルが学ぶまでに...
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2012年08月13日

ウルード・サワルハがパレスチナ女性の先例の先駆けのため走る

PAUL WALDIE
LONDON − The Globe and Mail
2012年08月08日水曜日

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彼女は、指の爪それぞれに小さなパレスチナ旗をペインとして出てゆき、彼女の生涯最良の800メートルを走った。

パレスチナのウルード・サワルハは、オリンピックで、世界のベスト・ランナーたちに遅れずについていくことはできないと知っており、水曜日の予選の勝利者に21秒遅れて終った。しかし、彼女はふたつの目的でロンドンに来た;これまでより速く走ることと、パレスチナ女性の先例の先駆けとなること。彼女は両方を成し遂げた。

トラックで、彼女のベストタイム、2:40.12を破り、彼女は、2:29.16で走った。「わたしの目標は、わたし自身とパレスチナのため新記録を作ること、それができた」と、彼女は、予選後、通訳を介して語った。

先例の先駆けに関して:「わたしの両親がレース前、わたしに電話してきて『パレスチナ人すべてが見ており、あなたがいい結果を得るよう望んでいる』と言った」と彼女は語った。「わたしは将来、よくやることを望みます。このオリンピック大会はわたしの第一歩です」。

西岸、ナブルスの20歳の大学生は、長袖のブルーのシャツ、長いパンツ、白いヒジャブで走った。彼女は、オリンピックで、前に女性選手を派遣したことのないパレスチナのため競技する女性ふたりのうちのひとりだ。彼女は、彼女のヒジャブをパレスチナ旗でなにかしら飾ることを考えたが、代わりに爪に貼付けたと記者に語った。

国際オリンピック委員会 (IOC) は、パレスチナとイスラエルの和平合意に続き、1993年、パレスチナ・オリンピック委員会を承認した。3年後、アトランタで、パレスチナはオリンピックで初めて競技した。

トレーニングは、イスラエルにより課される旅行制限のため、前に練習する場所を見つける困難について話したサワルハにとり簡単ではない。パレスチナとイスラエルのオリンピック委員会は、今年、パレスチナ選手やコーチたちのための旅行手配がうまくいくよう、2度ほど会談した。これまでのところ、合意に至っていないが、サワルハは、彼女とパレスチナ選手仲間が、大会のためロンドンに到達するのに問題なかったと語った。

ロンドン・オリンピックは、パレスチナ・イスラエルの選手たちにことさら神経質だ。大会は、イスラエル選手11人が、ミュンヘン・オリンピックで、パレスチナの攻撃者たちにより殺された40年後にめぐってくる。IOCは、ロンドン大会で1分の黙祷で死を知らせるよう激しい圧力下にあったが、組織は拒絶した。

サワルハが水曜日の予選を終えた後の瞬間、800メートルのもうひとつのラウンドで、サラ・アッタルが、サウジアラビアのためトラックで競技する最初の女性となったとき、歴史はつくられていた。

サウジは、そのチームに女性を含めるよう、IOCからの圧力下にあり、結局、国はふたりを含めた;アッタルと、柔道選手、ウジュダン・アリ・セラジュ・アブドゥルラーヒム・シャフルハニ。サウジは、先週、シャフルハニ、16歳が、ヒジャブで競技することを要求して、論争を引き起こした。柔道連盟は最初拒絶し、そして次に和らいだ。シャフルハニは、改造版ヒジャブを着用し、2分もかからず彼女の唯一の一番に負けた。しかし、彼女が柔道マットを離れると、何百人もの記者に取り巻かれ、彼女はメディアのセンセーションとなった。

アッタル、19歳は、同じ注意を殆ど引きつけなかった。彼女は、長袖のシャツ、パンツ、ヒジャブで走り、予選は、2:44.95、最下位に終わった。レース後、僅か一握りの記者が彼女に会い、彼女は殆ど話さなかった。

「ここにいるというだけで信じられない経験です」と、彼女は立ち去る前に語った。アッタルは、サウジとアメリカの市民権両方を持ち、ロサンジェルスのペパーダイン大学の学生だ。

アッタルとサワルハどちらも、しばしば標準記録を満たしていない開発途上国の競技者たちに場所を解放するIOCの特別招待を通じて大会で競技した。

原文:The Globe and Mail

アーカイヴ:パレスチナ選手たちが本当にオリンピック選手に(07月30日)
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2012年08月12日

パレスチナがシリアの難民キャンプに支援物資を送る

2012年08月05日日曜日
ジハン・アブダッラ

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ヤルムークはシリア最大のパレスチナ難民キャンプ

ラマッラ (Reuters) -- 支援コンヴォイは、日曜日、シリアで危機に巻き込まれたパレスチナ難民への象徴的支援で、食糧と薬品を運んでラマッラを発った。

「今日、最初のコンヴォイが、シリアに向け、パレスチナの地から、西岸から、ここから出発するだろう」と、マフムード・アッバス大統領は、イヴェントを記す出発式典で語った。

公式の寄付運動が、ラマダーンの博愛に富んだ月で、パレスチナ企業、実業家や個人から、およそ650,000ドル相当の食糧や医療支援をつかまえた。

パレスチナ自治政府の現金逼迫する公共部門の給料1パーセントカットが、コンヴォイに向けられた。

小麦粉、米、砂糖、ヒラマメ、ヒヨコマメ、パスタ、薬品が積まれたトラック16台が、猛威にも拘らず、キャンプへの業務を続ける国連パレスチナ難民救済事業機関経由でダマスカスへの途中、ヨルダンに発つ前、アッバス大統領関連施設を通り抜けた。

シリアは、イスラエル建国の1948年戦争で、その祖国から追放されたか逃れた国連登録のパレスチナ人、そしてその子孫、ほぼ500,000人が住む。パレスチナ人は、さらにパレスチナ人120,000人が、シリアの都市(複数)に住むと語る。

100,000人ほどが住む、ダマスカスのヤルムーク・キャンプの混雑した通りで、迫撃砲3発が爆発した木曜日、少なくともパレスチナ人20人が殺され、65人が負傷した。

パレスチナ人は、大部分、バッシャール・アサド大統領の治安部隊と政府を倒そうとする反逆者間のシリアの戦争の外にいた。指導者たちは、状況に関するコメントを避け、その国外追放者たちが巻き込まれるのを避けるため努力してきた。

「わたしたちはこの闘争の一部でない」と、支援キャンペーンのトップ、モハマド・スタイーエは語った。

土曜日、ダマスカス駐在PA(パレスチナ自治政府)大使、マフムード・アルハリディはMa'anに語った:「わたしたちはまだ、パレスチナ難民キャンプが、シリア闘争に向け中立に留まることを維持している」。

シリアのパレスチナ政治15党派すべての会議後、彼らが、闘争でどちらの側にもつかないと合意したと、彼は付け加えた。

これまでシリアで、パレスチナ人およそ400人が、殆ど狙撃兵により殺されたと、スタイーエは語った。反-アサド活動家らと共感する西側・アラブ政府(複数)は、反乱が18ヵ月前に始まって以来、およそ20,000人が殺されたと語る。

(略)

全文:Ma'an News Agency

関連記事:「シリアからパレスチナ人600家族がレバノン到着」InterAksyon

Agence France-Presse
2012年08月05日

ベイルート -- その殆どが、ダマスカス、ヤルムーク難民キャンプでの暴力を逃れ、パレスチナ人600家族ほどが、シリアからレバノンに到着したと、日曜日、レバノンのパレスチナ政府関係者は語った。

「パレスチナ人600家族ほどが、この3日間で、レバノンのパレスチナ難民キャンプに到着した」と、パレスチナ解放人民戦線レバノン部門のマルワン・アブデラルは語った。

「これら家族の殆どは、ヤルムーク・キャンプから来た」と、彼は付け加えた。

英国拠点のシリア人権監視団によれば、木曜日、政権部隊がその地域に砲撃して、ヤルームクで21人が殺された。

(略)


 関連記事に記載の「シリア人権監視団」の発表を、西側メディアは報じているのだけれど、この「シリア人権監視団」というのは「たった一人の人物」だったらしい。ボルテール・ネット誌の記事の翻訳、『シリア紛争を煽り立てるメディア報道の6つの手口』の「メディアがシリアを誤報道する6つの方法」の「4、情報源が偏っておらず信用が置けるのか?」参照。
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イスラエルがガザの患者を拘束

人権組織は、彼らが治療を必要とするとき、多くが妨害とハラスメントに直面すると語る

Ahmad Najjar、特派員
2012年08月03日

ガザ:イスラエル占領当局は、封鎖のガザを離れ、西岸の病院で治療を受けるため、イスラエル国を通っていくより他、オプションを持っていないガザの患者を奪い取るその政策を続けると言い張る。

ガザ回廊の人権組織の多くによれば、イスラエル・ゲートを通ってガザを離れる患者の多くが、妨害、ハラスメントに直面し、時々イスラエル警備により拘束される。

イスラエル治安部隊により拘束された最新の患者のひとりが、ワーエル・アッタウェル、40歳だった。

彼の妻、オム・カミル・アッタウェルは、語った:「わたしは、なぜ夫が逮捕されたのか判らない。彼は、治療を受けガザに戻ることを望んだに過ぎない病人です」。

これら患者たちが西岸に発つ理由は、ガザ回廊の病院の医療条件が、必要とされる医薬品、施設や設備の欠乏といった多くの妨害に直面し、西岸の病院で治療を受けることをパレスチナ人の多くに強いてきたからである。

これら患者たちが緊急に受けることを前提とする人道的ニーズにも拘らず、イスラエル占領当局はそれを遅らせ、これが、多くの事例で、患者の容態悪化に結びついたかもしれない。

アッタウェル夫人は、付け加えた:「彼が逮捕されたとわたしたちに知らせるイスラエル側からの電話を受けて以来、夫の健康をどれほど心配してきたことか。わたしは、彼がよい状態かどうか知らないのです」。

ガザ住民の多くは、彼らに大金を費やさせるだろう、そして医療保険が、パレスチナ領域外での治療を包含しないので、外国で治療する余裕がない。

ガザ厚生省の広報担当官、アフメド・アルアシは語った:「わたしたちは、西岸に行くことを防ぎ、イスラエルの兵士らや当局からのハラスメントに直面する患者たちに、ガザ回廊で業務すべてを提供しようと試みるが、設備や医薬品の欠乏で、わたしたちが対処することができないいくつかの事例がある」。

アルアシ氏は付け加えた:「イスラエル占領が、医薬品や医療器機消耗品のガザへの搬入を妨げるばかりでなく、ベイト・ハヌーン検問所(エレツ検問所)を使用して域外に移送される患者たちの強奪により、悪辣で非倫理的実践を増大させてきた」。

西岸の病院に向けガザ回廊を離れる患者すべてが、公安許可を取らなければならないにも拘らず、イスラエル側は、ベイト・ハヌーン検問所(エレツ検問所)でパレスチナ人患者たちを拘留し、これは国際法により違法と考えられる。

アッダミール人権組織のトップ、ハリール・アブシャマラ氏は、語った:アッタウェル氏は、エルサレムのアルマカシド慈善病院で医療を受けるため、イスラエル側から認可を受けた。彼らが、彼を脅威と感じていたなら、そもそもなぜ彼らは、この男に認可を与えたのか?

(略:この文章で終わりたいので)

全文:gulfnews.com
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