2012年07月28日|国際連帯運動
アルハリール(ヘブロン)東郊外に位置する、違法なキリヤトアルバ入植地のすぐ下方が、パレスチナ人地区、アッラスである。
イスラエル人入植地、キリヤトアルバのオンラインでの急ぎ検索が、つくられた歴史や、1981年以来、それがどのようにパレスチナ人の抵抗を受けたか、一般知識を提供するが、比較的大きな(ca. 7000人居住)入植地近くに住む元来のパレスチナ人にとっての必然的結果を読者に知らせない。あるいはそのような植民地が、国際司法法廷により確認されたように、国際法により違法と看做されていると書かれたものも見出せないだろう。あるいはまた、同地域のイスラエル人入植者によって、パレスチナ人に対して犯された1994年のイブラヒミ・モスク大虐殺も。
ヘブロン住民たちは、入植者らによる絶え間ない暴力的攻撃、イスラエル政策による土地収用、移動の自由の欠如と車を使用するための特別許可の必要条件、水道水の欠如、そして破壊について、定期的に、国際連帯運動と話す。
破壊
2006年、パレスチナ人地主、ファイーズ・アラジャルは、1ダースの店舗と何家族かの収容を目指す大きな建物の工事を始めた。建物は、恐ろしくも、アッラス地区のオリーヴ林と、遠くに興奮がちらちら燃えるアルハリールの白い家々を見下ろす場所だった。
計画が殆ど完成した2007年、イスラエル人入植者らが建物を占拠した。彼らを追い立てる高等裁判所決定に続き、西岸中から入植者らが、建物の違法強奪を防御する準備が整ったその家に集まった。追い立て最終期限が、高等裁判所により、2007年12月4日に設定された。
その最終期限に繋がる週は緊張していた。イスラエル人入植者らは、パレスチナ墓地を破壊し、パレスチナ人の車(複数)を燃やし、パレスチナ人の家々を攻撃した。そのような攻撃の拡大が、不法占拠者らを支持する違法入植者何千人もの到着の結果に帰着した。彼らは、追い立て部隊との戦いに成功した。イスラエル政府当局は、単に彼らを排除するさらなる試みを控え、以前に見られたように、資産窃盗が(入植者らの)セキュリティ問題にこじつけるストーリを許した。近年、イスラエルは、入植者ら「保護」のため、パレスチナ人歩行者用の軍事検問所設置さえ決定した。
ムハメド・アルジャバリ、「アブ・ナーイム」と彼の家族は、占拠された建物から100メートルほどの家に住む。今年5月28日、彼らは、家の屋上にもう1階建築し始めた。15人家族は、もっとスペースを必要とした。
近くの最近占拠された家の入植者らが、アブ・ナーイムにより進行中の建築計画を繰り返し攻撃した。続いて、アブ・ナーイムは、イスラエル当局により、工事続行を禁止された。
オスロ合意(添付 1、12条)参照で、パレスチナ人は、セキュリティ道から50メートル以内での建設を許されていない。アブ・ナーイムの事例では、その地区に新軍事検問所建設で、セキュリティ道が発表された。アブ・ナーイムの工事許可の法的評価は、彼の家が 50メートル建設不許可地帯から離れていたけれども覆された。14年前に建てられた家がある土地は、1967年のイスラエル占領以前から、アルジャバリ家が所有してきた。
今のところ、建設途中の上階は、窓や扉のない空の外観として残される。イスラエルのブルドーザが、アブ・ナーイムが工事を継続するなら全家屋を破壊しようと待機している。
資源の妨害と併合
オリーヴ林を越えた、キリヤトアルバの有刺鉄線フェンスの傍に、カイード・ダナと彼の兄弟たちが住む。彼らの家の外すぐに立ちはだかるイスラエル監視塔によってのみ途絶する、もうひとつの唖然とする光景が取巻く。被占領西岸の殆どは、これら灰色の塔でしみづけられる。その窓からの監視が、常にある占領、パレスチナ人に、仮にあるとしても殆ど享受できないプライバシーは贅沢と思い起こさせる。
ダナ家は、過去50年間同じ土地に住んできた。1958年(?- ママ)、イスラエル当局が、彼らに、その家を離れ、増大する違法入植地に場所を空けるため、しつこく金銭を申し出た。家族は拒絶し、それにも拘らず、イスラエル軍は、彼らの庭の半分をブルドーザで均した。
6月24日時点で、ダナ家は水がなかった。イスラエル当局が、彼らの水タンクを補充するため地区に入る給水車を妨げた。その結果、カイードと彼の家族は、家の外の非衛生的な井戸から水を汲むよう格下げされる。これは、彼らが次の問題に出くわすところだ:水は毎日、2時間のみ利用可能だ。これは、彼らの駱駝4頭(100リットル/日)と最も基本的家庭のニーズを供給するのに十分でない。
ダナ家の家の北、オリーヴ林を過ぎて、アブドゥル・ハイ一家(アブ・ホスニ)が住む。彼らの窓は、イスラエル入植者らが、投げる石でガラスを砕くのを避けるため、囲いをめぐらされる。12月4日、家族は、ダムダム弾(拡散弾)の負傷3人を残す危険な攻撃を受けた。ダムダム弾は、身体に入る実弾の一種で、拡散し、恒久的負傷あるいは死を引き起こす。またダムダム弾は、イスラエル入植者らにより使用されると知られているが、それらは国際法により違法である。
その地区に住むジャマル・アブサイファンは、彼のカメラで事件を捉え、軽傷のイスラエル入植者が、彼の負傷から15分後、いかにヘリコプターで飛び去ったか、反して、砲撃により負傷した、ひとりは重態のパレスチナ人3人は、救急車を3時間待ったと説明する。
彼らに到達しようと試みる救急車は、イスラエル軍により止められ、その地区への入域を拒まれた。
究極の目的:民族浄化
あいにく、入植者の攻撃はまれでなく、1968年にキリヤトアルバが樹立されて以来、起こってきた。それら暴力的攻撃と、彼ら(入植者ら)に伴う軍による暴力と政策の目的は、人びとを負傷させ、彼らの土地を破壊することのみでない。それは究極の目的:パレスチナの民族浄化に到達するための戦略的手段に過ぎない。
キリヤトアルバによる次の段階は、重要なパレスチナのオリーヴ林のその真ん中を下って分割する、新道建設だ。道路は、(道路の)反対側の彼らの樹木を世話することからパレスチナ人を妨げるのみでなく、更なる土地を併合し、経済的必要性を取り上げ、生来のパレスチナ人たちにとり生活をさらに困難にして、パレスチナ人にアクセス不能とするだろう。
生活を困難にする状況の堆積にも拘らず、その地区の家族は誰も、イスラエル占領下、彼らの日常生活の不確実性と圧力にも拘らず、彼らの土地に留まる選択をしてきた。
原文と画像:International Solidarity Movement