2009年03月12日

スターバックスの思い出

『弱い文明』でレイランダーさんが「2月末日に行われたミーダーン<パレスチナ・対話のための広場>の第五回セミナー、『ポスト・アパルトヘイトの経験とイスラエル/パレスチナ』。このセミナーの感想はまたいずれ書きたいと思っているが、その中で講師の一人である鵜飼哲さんが、かつての南アフリカに対する日本社会の立ち位置に触れて、一つの問題を提起したことを今、僕は思い出している」と、続けて、石原慎太郎と南アの関係、石原の支援者、サザビーの代表取締役とスターバックスについて、書いている。
 そのセミナーで鵜飼さんは「ボイコットは簡単ではないけれど、例えば友人とコーヒーを飲もうとする時、スターバックスには入らない理由を話す」とも語った。
 7年前、アトランタで、わたしもそのようにした。

 展覧会に向け展示しているとき、吊り金具が必要で、キュレータのひとり、ペギーの運転する車で郊外の画材屋に行った。画材屋の前の通りを挟んでスターバックス、「この駐車場に止めて帰りにスターバックスでコーヒーを飲みましょう」とペギーが言う。「わたしは飲まない、スターバックスのシュルツ会長はイスラエルへの大口寄付者だから」「それは知らなかった、ではそのことを話していきましょう」と、彼女は(わたしも)店に入っていって、レジスターを打っていた高校生とおぼしき少女に「ここに車を止めるからコーヒーを飲もうと思ったけど、友人が(少女はわたしを一瞥)スターバックスの会長はイスラエルへの大口寄付者だと言うから、飲まないことにしたの」高校生は「イエス、イエス」と聞いていた。
 なるほど、このように言わないとスターバックスはボイコットされていると気づかない。
 そしてわたしたちは店を出ると、画材屋で吊り金具を買い、スターバックスの駐車場に止めた車に乗り込んで、画廊に戻った。

 東京でスターバックスの前を通る度に思い出す、いや、東京にはあまりにスターバックスが多いので、それほど頻繁に思い出に耽る暇はない。入るつもりもないのに入っていって「コーヒーを飲まないことにした」と言うのも変、だからステッカー
posted by mizya at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | essay | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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