これら難解な問題と格闘して得たわたしの決定:「イチジク」を上映する訳にはいかないし、行くこともできない。
貴映画祭に尊敬の念を抱いていたし、継続するために直面する映画祭の努力も知っていたから、この選択はたいへん困難なものだった。明白にしておきたいのは、この決定が映画祭に反対するものではないということ。この時点、この立場を取らないことは考えがたく、不可能との結論を得た。
何故「この時点」なのか? わたしは答え得る:東エルサレムでパレスチナ家屋が破壊される、パレスチナの子どもたちが白燐弾による火傷から徐々に回復、ガザでイスラエル兵により市民が殺害される、救急車両が3時間留め置かれチェックポイントで出産。これらは今日のヘッドラインのいくつか、しかしそれらは、何十年もの多くのヘッドラインの不気味な回想である。
「この時点」はより堪え難いだろうか? どのような判断基準で?
今週のイスラエル・アパルトヘイト・フォーラムと、ことさらナオミ・クレインの談話は、わたしを南アのアパルトヘイトに対する80年代のBDS運動に連れ戻した。
南アの場合、文化的ボイコットは機能し、大々的な変化と行動を導いてきた。このような選択が永続するとは思っていない。
永続する正当な和平で、この恐ろしい矛盾が終わる朝を、わたしは希求する。
BDS運動は、もはや必要ない、過ぎ去ったと宣言される午後を、わたしは希求する。
誰もが参加して「イチジク」やセクシーで新奇なオペラが上映される夕刻を、わたしは希求する。
ジョン・グレイソン
全文:Occupation Magazine
テルアヴィヴ映画祭は、ニッポンジン・フィルム・メーカーを選ぶべきだったと思っているかも知れない、エルサレム賞のように。
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