2009年10月14日
フアドの家族、母親と父親が死んだ息子の写真を抱える。 (Hamde Abu Rahme)
2009年9月30日午前11時、17歳のフアド・マフムード・ナイイフ・トルクマンは、彼がイスラエル軍用ジープに轢かれた時、ヤバド村の彼の学校の外に立っていた。 ヤバドは、被占領西岸、ジェニンの近くに位置する。イスラエル軍報道官は後に、「何百人」ものパレスチナ人がその地域で「暴動を起こした」と、そしてジープが「機械的故障」を経験したと主張した。しかし、その場に居た目撃者は、学生たちはその類いの何ごともしていなかったと語る。Jody McIntyreが、The Electronic Intifadaのため、フアドの父親、マフムード・トルクマンと、彼の12歳の兄弟ファディに訊いた:
(後略:インタヴューは原文で)
全文:The Electronic Intifada
「暴動鎮圧」は、殺戮を正当化するイスラエルの常套手段。「ジープが『機械的故障』を経験した」という日本語は奇妙、英語でだって充分奇妙と思う。このような奇妙な言い回し、責任を回避する言い回しが、イスラエルの暴虐を暴くかもしれない。
遺された家族の画像を見ると、ノエル・ジャブールがすぐ思い浮かぶ。パレスチナの写真家は女流が素晴らしい。『Vacant Seats』、『不在の席』とでも訳せばいいか。遺された家族の「空虚」を写し撮る彼女のシリーズのうちの2枚をここで観ることができる。