2009年12月03日

イスラエル当局がアフリカ系アメリカ人政治活動家を強制送還

プレスリリース
Al-Awda New York
2009年12月01日

091201-awda-ny.jpg
Naji MujahidとDhoruba Bin Wahad
(Naji Mujahidの好意による写真)


以下のプレスリリースは、パレスチナ帰還権連合、Al-Awda New Yorkにより、2009年11月25日に発行された:

 パレスチナ帰還権連合、Al-Awda New Yorkは、イスラエル占領当局によるアフリカ系アメリカ人政治活動家、Dhoruba Bin WahadとNaji Mujahidのパレスチナ入りの人種差別的拒絶を非難する。

 パレスチナ占領は、生来のパレスチナ・アラブの人々の追い立てと抑圧を通して「純粋なユダヤ人国家」を建設する一部として、何十万人ものパレスチナ人追放と、何百万人ものパレスチナ難民の帰還権の拒絶を含む、人種差別理論とシオニズムの実践に常に基づいてきた。

 シオニズムと人種主義は、常に手に手を取って進められ--イスラエル占領体制は、南アフリカ・アパルトヘイト国家の最大の軍事スポンサーのひとつだった。米国人種主義は、シオニスト人種主義を支援し奨励した。 この現実は、Bin WahadとMujahidのパレスチナ入域拒絶、虐待、拘留でそれ自体をかなり明確にした。

 2009年11月23日、元米国政治犯でブラック・パンサー党リーダーのDhoruba Bin Wahadと、ワシントンD.C.の学生活動家、Naji Mujahidは、ヨルダンのアンマンから、彼らどちらも招待されていた、エリコでの、パレスチナ自治政府の政治犯・前政治犯部局がスポンサーのパレスチナ政治犯国際会議に参加するため、占領下パレスチナの西岸への旅行者バスに乗った。

 バスが、ヨルダンと占領下パレスチナの西岸を繋ぐ橋を渡った時、イスラエル占領当局による国境検問のため止まった。バスに乗車していた多くの中で、DhorubaとNajiだけが降りるよう命じられた。意味深いことに、二人はそのバスの唯一の黒人だった。

 検問係官らは、二人を脇に引き出して、残った旅行者たちが問題なく通った後で、Dhorubaの名前をインターネットで検索した。彼らは、彼がイスラーム教徒で、元ブラックパンサー・リーダーで、犯していない犯罪で19年間を獄中で過ごしたひとと発見した。
(後略)

全文:The Electronic Intifada

 ブラック・パンサーとパレスチナ、すぐ、ジャン・ジュネが思い浮かぶ。ジャン・ジュネが関わった唯一の政治闘争がこのふたつ。絶筆となった『恋する虜』を、思わず書棚から取り出す。


posted by mizya at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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