2009年12月21日

東エルサレムのイスラエル入植地は平和への真の脅威

2009年12月20日

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エルサレム旧市街の入植

Yudith Oppenheimer

エルサレム - ここ数週間で、パレスチナの6家族以上が、東エルサレム地区のシェイフ・ジャッラの家から追い立てられる通知を受け取った。そしてもう一度、わたしたちは、警察隊に伴われた入植者らが、住人を力づくで追い立て、彼らと彼らの所有物を通りに投げ出す:今や殆ど慣例となったしまった場面を目撃すると予想できる。これらの画像は、もう1度、いかにして彼らが、イスラエル政府が宣言した和平プロセスへの公約と協力していくのか、理解することの困難を見いだすだろう、世界中のイスラエルの友人たちにより見られるだろう。

 同様の運命が、入植者組織に対する、法廷が土地の所有権に対する彼らの主張と、パレスチナ家族が保護された借地人としての彼らの義務に応じないまま家に住んでいるとの断言を、受理した後の消耗し長引く法的過程で、居住権を失ったこの地区のおよそ20家族を待っている。入植者グループは、家屋を破壊して、そこに、200戸の一軒家のユダヤ人入植地建設を計画している。

 パレスチナ人家族にとって、これは、彼らが難民となる2回目である。1回目は、1948年戦争だった。彼らは、1956年以来、当時、東エルサレムを統治したヨルダン政府が、その場所にパレスチナ難民30家族の住居をとの、国連パレスチナ難民救済機関の要請に合意した後、シェイフ・ジャッラに住んできた。
(後略:長いので)

全文:SABBAH report

アーカイヴ:追い立てでパレスチナ人の憤激 - 2009年12月02日(12月05日)

 シェイフ・ジャッラの敷地・家屋が、ユダヤ人所有だったとする入植者らの主張は信じがたい。イスラエル建国前夜、ユダヤ人所有地は、歴史的パレスチナ領土の6%から7%だった。時代を遡ると、パレスチナ人は長らく旧市街の中に住んできたが、人口増加により旧市街の外にも家を持つようになった。西エルサレムはパレスチナ人・ユダヤ人の混在地区だったが(西エルサレムにYMCAがある。クリスチャンの、ということはつまり、パレスチナ人の文化センターとして、少なくてもイスラエル建国以前は機能してきた)、東エルサレムはパレスチナ人が住んできた。ユダヤ人がいなかったとは言わないまでも、いたとしでもミズラヒーム、アラブ系ユダヤ人で、イスラエル建国のためにヨーロッパから移民してきたアシュケナージでないことは断言できるし、まして、昨日今日、アメリカからやってきた強硬派アシュケナージでは絶対ない。
posted by mizya at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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