2010年03月02日

報告:イスラエルが審議なしに旧市街の改修を計画

2010年02月28日

エルサレム - Ma'an - エルサレムのイスラエル自治当局が、ひとりのパレスチナ人職員ともエルサレム資産所有者とも最初の審議のないまま、旧市街の、街灯から広場まで、通りと路地の一連の変更に影響する計画をしていると、カイス・ナセル弁護士は説明した。

 イスラエル占領下領域での承認されていない変更は、西岸の宗教施設を「国家遺産遺跡」と主張する、日曜日のイスラエル政府発表に続くもので、過去と現在のパレスチナ住民に関する聖地で、ユダヤ人の歴史を最優先させようとするシルワンと旧市街での継続的発掘で、既に燃え盛る火に油を注ぐ。

(後略)

全文:Ma'an News Agency

アーカイヴ:ネタニアフ:西岸の遺跡を国家遺産に追加(02月22日)

 建国以来イスラエルは、パレスチナを掘り続けてきたけれど、未だ古代イスラエルの遺跡を見つけていない。四国より大きく九州より小さい面積なのだ。60年掘り続けて何も見つけ得なかったのだから、これからもみつかることはないだろう。
 このような記事を読んで、わたしが思い出すのは『聖書アラビア起源説』、レバノンの地名学者がサウジアラビアの地名の本を取り寄せ、その地名を調べていると、その地名がことごとく旧約聖書に出てきていることに気づく。「エデンの園」さえ地名として残っている。その地域を掘ったなら古代イスラエルの遺跡がみつかるだろうと筆者は記す。バビロン幽閉から解放された後、古代ユダヤ人たちは祖国が荒れ果てているのを見いだし、新天地を求めてパレスチナに移ったのだろう。何百年か過ぎ、モーセ5書のギリシア語訳が始まる、もうユダヤ人もヘブライ語を読めなくなっていたから。ヘブライ語からの翻訳者たちは当時ユダヤ人が住んでいたパレスチナに当てはめて翻訳をしたから、特定されない地名も多いが、そうした地名がサウジアラビアには残っている、というのだ。


posted by mizya at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。