The Electronic Intifada
2010年03月31日
1年以上前、いくつかの懸念を持ったスウェーデン組織が、フランチャイズをイスラエルに広げる計画について、ファッションチェーンH&Mに訊ねた。H&M経営者側は、噂を否定したが、書式化された確証の提供を拒絶した。3月に、H&Mは、不意を突いて、店舗をテルアヴィヴに、第2店舗をエルサレムのマルハ・ショッピング・モールにオープンした。そのモールは、1948年のナクバで民族浄化されたパレスチナ村、アル-マルハに建設されている。いくつかのヨーロッパの都市で、活動家たちは、イスラエルでのH&Mの出店に抗議した。
(中略)
エルサレムのH&M店は、1948年に民族浄化され、元来のパレスチナ住民が、彼らの土地に戻る権利を否定される難民である、パレスチナ村、アル-マルハに建設されている。アル-マルハからの難民家族の孫、バハ・ヒロは、村人追放を調査した。ヒロによると、村人は、近くのデイル・ヤーシン村での、1948年4月8日と9日のパレスチナ人虐殺とほぼ同時期に追放された。
彼は「ハガナー民兵(イスラエル建国以前のユダヤ人地下組織)が、(自身の)民兵を組織した村人と戦かった。 年老いた世代は、この抵抗を誇りとしている。村人が、戦争は長引くと気づいた時、何人かが毛布や貴重品を取りに戻った。ハガナーは、彼らに発砲し、近寄るなと脅した。ほぼ10人が死んだ。アル-マルハのほとんどの村人は、ベツレヘムに逃げ、何人かはラマッラに逃げた」と彼は述べる。追放された村人たちは、アル-マルハに戻ることも許されず、彼らの失ったものへの補償を受けることもなかった。
(後略)
全文:The Electronic Intifada
アーカイヴ:パリ:H&Mでミリタリー・ファッション(03月23日)