2010年08月01日

廃嫡

2010年07月30日

1967年6月に、ゴラン高原に住んでいたシリア人市民13万人に何が起こったのか? イスラエルの語りによれば、彼らは皆シリアに逃げたが、公文書と証言は別の話を語る。

Shay Fogelman

 Ramataniya村に入るなり、熟れたイチジクの芳香は、あなたの鼻孔を満たす。夏の盛り、それらは熟し過ぎ、発酵のにおいは重苦しい。摘む人もなく、果実は木で腐る。剪定する人もなく根や枝は野生となり、近くの家の黒い玄武岩壁を割り、窓枠を通って伸び、庭の石垣を破壊する。

 忘却と崩壊がいたる所に。赤瓦は屋根から失せた。床のタイルは取り除かれた。どんな所有物も没収されたか、略奪された、何十年も前に。 横木がまだいくつかの窓を覆っているが、扉はない。時たま蛇が、かつて壁の一部だった石のかたまりの下から突き出;鳥が腐ったイチジクをついばみ、巨大な猪が怖々小道を歩き回る。突然、猪は止まり、所有権を主張するか逃げるか思案するよう振り返る。結局、逃げる。

(略:破壊された村々の中でも、最も保全された村の描写から始まるこの記事はとても長い。1967年、ゴラン高原には13万人のシリア人がいた、3ヵ月前の調査で6,000人、1967年の戦争で、シリア(ゴラン高原もシリアだけれど)に逃れたシリア側の発表が5万6,000人、そして虐殺を暗示する証言の断片... 記事の在処のお知らせということで)

全文:Haaretz.com


ラベル:ゴラン高原
posted by mizya at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。