2010年10月22日

DAM:「ぼくたちはシリアに行けないが、ぼくたちの音楽は行ける」

Palestine Monitor
2010年10月21日

国際的に知られるビール・フェスティヴァル、タイベ10月祭の2日目。夜更けて、琥珀の美酒が舌を緩める。MC Tamer Nafarは、聴衆に英語で語りかける。「アラビア語を話さないなら、叫んで」と彼は呼びかける。 数人が叫び、彼は声を張り上げる。「カモン、カモン! ヤッラ、ヤッラ(さあ、さあ)! アラビア語を話さないなら、叫んで!」。 彼は素直な外国人数人を引き入れ、彼らの声が、呼びかけ・応答ゲームに加わりたい、主にパレスチナ人聴衆のそれと混じり合う。DAMは、聴衆に相互作用を求め、ことさら外国人聴衆に次の歌で、アラビア語のシラブルを学ぶよう求める。彼らの呼びかけは理解の要請である。

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Suhellは歌の間、聴衆にアラビア語の音を教える。

 それは歌を超えた呼びかけだ。3人の行為は、壁の両側からの影響という複雑な環境から生み出される。マフムード・ジュレリと、ナファル兄弟、タメルとスヘルは、ユダヤ・アラブ混合の町、エルサレムから15km、ロッドのスラムで育った。1948年、ロッドがイスラエルにより征服された時、アラブ住民の殆どすべてが、彼らの家から追放された。現在の住民は、殆どユダヤ人で、アラブ共同体は、人種差別と家を立ち去るよう続く圧力の中で、存在を維持するため闘っている。

(略:修辞的文章が手に負えなくて)


opiegonebad

全文と画像3枚:Palestine Monitor

 ヴィデオにおさめられた『ここで生まれて』は、米国でリリースされた「Free the P」に収録されているDAMの曲、iPodに入れて、わたしはいつも持ち歩いている。
posted by mizya at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | image | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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