2010年11月14日

自然極端論がネゲヴでのイスラエルの将来を脅かす

2010年11月11日

ベドゥイン支援組織と、ことさらネゲヴのベン-グリオン大学の学術人たちは、政治的理由によりネゲヴでのイスラエル入植地に反対を巻き起こしている。
Israel Harel

 1946年、断食が終わったヨム・キプール(贖罪の日)の夜、「11地点」として知られる入植地が、ネゲヴに設立された:ウリム、ベエリ、ガル-オン、ハツェリム、クファル・ダロム、ミシュマル・ハネゲヴ、ネヴァティム、ニリム、ケドゥマ、ショヴァル、テクマ。この作戦は、国連が土地分割に投票するほぼ1年前実施され、その目的は - 来るべき国家の指導者のひとり - Yosef Weitzのことばによる「彼らが我々を引き離すよう画策する領域での我々の地位を強化する」ことだった。作戦は、将来の首相、レヴィ・エシュコルにより主導された。

 64年後、イスラエルは、ネゲヴに公式な主権を持つ。しかし「彼らが我々を引き離すよう画策する領域」への入植の必要性は、1946年にあったと殆ど同様に大きい。

(略:生態系の破壊を理由に入植地建設に反対する連中が、ベドゥインの居住を槍玉に挙げたことがあるだろうか、といった論調、ベドゥインの生活と入植地建設における自然環境への負荷の違いを無視するもので、翻訳に耐えない)

全文:Haaretz.com

気まぐれのニュース解説(パレスチナ問題に馴染みない方々に):
 以下、1947年、国連によるパレスチナ分割決議の地図と、それ以前の歴史的パレスチナの地図を見比べるなら、パレスチナ南部、ネゲヴに、殆どユダヤ人所有の土地はなかったと判るだろう。果たして国連に、パレスチナの土地を、その所有者にことわりもなく別の誰かに分割する権利が与えられていたろうか。

palestinian-loss-of-land.jpg
posted by mizya at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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