リフタ村保存に打ち込むイスラエル人とパレスチナ人は、高級住宅212棟と小さなホテルを建設する計画を、その種の最後のアラブ村の死と名指した。
Nir Hasson
ヤクブ・オデ、67歳は、エルサレム入り口で、それを取り囲む新たな地区と高速道路を忘れ、アラブ村、リフタの遺跡の中を歩く。彼は、その上に掘られている鉄道トンネルや、下に掘られている国の指導者たちのための秘密の逃げ道を見ない。
オデは、村の入り口の「アラブ人に死を」の落書きや、だれか消したアラビア語版の名前を見ない。彼は、それがパレスチナ住民により見捨てられる前の、1948年3月まで存在した村と地域を見る。
エルサレム入り口のアラブ村リフタの跡。
Photo by: AP
「アリ・バドゥル一家はここに住み、そしてここにはサラ・モハメッドの家」と彼は、リフタを歩きながら語る。彼にとって村は、よく知られた村の泉の周りに残って建っている家々に限定されない。彼にとって、その土地の上にラモトの新住宅(つまり入植地 - 訳注)が建設された、エルサレムのロメマ地区の家々の面影もまたある。それはまた、エルサレムの入り口で、今や超正統派教育機関として機能する、(かつての)村の学校だ。
「わたしのルーツはここにある。わたしの全精神はここに始まる。わたしは決して忘れることはできない」と、彼は語る。
今や、村の残りは、場所の特別な性格の変更に脅かされる。2週間前、イスラエル土地行政は、エルサレムの縁の見捨てられた、高級住宅地区へのハイキングの場所として人気があるパレスチナ村を変容させるリフタ建設の公開入札を発表した。開発業者らは、家々を保存し、きちょうめんに修復すると公約した。計画は、家々がレストランやギャラリーになるよう求める。
オデは、再開発計画を、アラビア語で「大災厄」、そしてパレスチナ人が1948年のイスラエル建国をめぐる事件を話すのに使う言葉、第2のナクバと呼ぶ。
(略)
全文:Haaretz.com
アーカイヴ:脅威下のリフタ遺産(2010年09月08日)
パレスチナ村リフタを全面破壊から救おう(2009年11月30日)
「良質」といわれてもHaaretzはやはりイスラエルメディアだ。リフタはパレスチナ人が見捨てたのではない。1948年のイスラエル建国で、他の多くのパレスチナ村同様、殺戮され、あるいは殺戮で脅され、一時的避難のつもりのパレスチナ人は、イスラエルにより、二度と帰還を許されなかったに過ぎない。パレスチナ人が避難した後、イスラエルは、パレスチナ人が戻っても家屋として使用できないよう屋根を破壊している。まず追い出し、そして国際法違反の悪名高い「不在者財産(没収)」法により土地を強奪する。それが1948年以来、休むことなく今日まで続いている。