The Electronic Intifada
2011年02月02日

ハッサン・ワシャと家族 (Rami Almeghari)
1月25日に始まった、ホスニ・ムバラク大統領とその政権の転覆を要求する、エジプトの民衆蜂起の波紋は、被占領ガザ回廊への彼らの道を開いた。エジプトは、ガザとの国境検問所、ラファの閉鎖を命じ、ハマースは、燃料供給の不足に繋がる、エジプトとのトンネル取り引き停止を命じた。エジプト蜂起への彼らの支持を示すガザのパレスチナ人による努力は、警察により解散させられた。
一方エジプト刑務所から、何千人もの囚人が逃亡したかあるいは解放され、パレスチナ出身の囚人の何人かは、ガザに戻る道を開き、彼らの物語を話し始めた。
(略)
囚人たちはガザに戻る道を見つけた
ハッサン・ワシャは、エジプト刑務所から逃れガザに戻ったと知られる、最初のパレスチナ人だ。ワシャは、どのように、10年の刑に服していたカイロのアル-カルユービヤ地区にあるアブ・ザアバル刑務所から逃れたか説明した。「エジプト人囚人の家族が、刑務所になだれ込み、彼らの投獄された親類を連れ出し始めた」と、ワシャは、ガザのアル-ブレイジ難民キャンプの家族の家で、The Electronic Intifadaに語った。
「その時、シナイのベドゥイン・コミュニティからと思われるひとりの収容者が、彼と共に逃れるようわたしを助けた。家族の何人かが国境のガザ側のトンネル入口近くでわたしを待っていたガザとエジプトの国境に到着するまで、わたしたちは、タクシーにタクシーを乗り継いだ」と、ワシャは語った。
3歳の息子、ユーセフを抱いて、ワシャは、アブ・ザアバル刑務所の状況は粗末で、彼がとても孤立していると感じたと語った。
「わたしは、エジプト人民の意志が、わたしのエスケープにつながったことを神に感謝する。アラブの政権により投獄されるような、わたしは何をしただろう?」とワシャは語った。
(略:長い)
全文:The Electronic Intifada