2011年03月08日

殺された汚れなき名前たち

Vera Macht
2011年03月06日

この一編はオマル・マルーフに関するもの。世界中で日々、罪なき人びとが何十人も死ぬ時、何がこれをそれほど重要にするか? 何故これに関する一編なのか?

オマル・マルーフは、重武装で最新の西洋軍需産業が提供すべきすべてでよく装備された兵士に殺された。オマルは、古い汚れた服を着て、ロバと共に石を集めていた。オマルは、軍事攻撃で、残念ながら流れ弾や爆弾が命中したいわゆる「巻き添え被害」でさえなかった。すべてが正確に計算されるわたしたちの現代戦争で、時々、誰かがまさしく間違った時に間違った場所にいる。しかし、そのようではなかった。いえ、重武装でよく装備された若い兵士が、粗末な服で石を手にしてそこに立っていたオマルを標的に、彼を撃つと決めた。太陽注ぐ冬の朝、若い兵士は、恐らく彼がそう重要とは思えない彼と同じ年頃の男を殺す必要を感じた。 彼は、この行為がいかなる結果ももたらさず、その行為を誰にも正当化する必要はないと知っていた。というのも、権利も持たずその命が数えられないパレスチナ人だったから。

(略)

それでここにあるのは、オマル・マルーフの死の物語。 彼は20歳、2歳の息子の父親。「境界に近づきすぎるな、それはあまりに危険」彼のいとこ、タラールは以前、彼に警告した。彼は選択の余地なく、オマルは応じた。彼は、食糧を必要とする息子がいた。それで彼は、石を集めに境界に行った。それは2011年2月28日午前9時半、タラールは境界から700メートルほど離れた彼自身の土地にいた。イスラエル兵士らが発砲し始めた時、オマルは400メートルにいた。彼は、いわゆる緩衝地帯、イスラエル軍が死を脅して入るのを禁止するイスラエルとの境界沿い300メートル幅の帯状の外にいた。境界に近い彼自身の農地にいる隣国のいかなる市民も撃つと公的に宣言することが、合法か否か論争の余地がある。しかしそれは重要でない、オマルはこの領域から100ヤード以上離れていた。

(略)

「いったいこの兵士は彼を撃った時、何を考えていたのか?」 彼のいとこがわたしに訊く。「彼が何か危険を引き起こすとでも考えたのか? 彼には、子どものミルクを買うお金さえなかった。彼が武器を買うお金でもあったと考えたのか? 彼が戦車でも持っていると考えたのか?」まるでわたしが答をもっているかのように。それでわたしは兵士らが何故オマルを連れて行ったのか質問を続ける。彼らは彼を助けたかったと、家族は納得する。

わたしは兄弟のひとりに、彼の身体に治療の痕跡があったかどうか訊く。彼は頭を横に振る。「ノー」と彼は言い、「ぼくは彼の身体を見た。注射の穴の印もないし、包帯もない。弾丸は、彼の身体の左側から入り、反対側に出ていった」。最大の損傷をもたらすダムダム弾。身体の内部の衝撃で爆発する弾丸は、ジュネーヴ条約1889、宣言3で禁止されている。わたしは、兵士らが助けたかったというヴァージョンにほとんど合致していないと言及しない。彼らのひとりが実際、オマルを助けを必要とする人間と看做したという考えは、恐らくあまりに安らかすぎる。

(略)

オマル・マルーフは、ここ2カ月で、緩衝地帯で射殺される市民の8人目だ。昨年初めから緩衝地帯で、労働者たちや農夫たち、100人よりはるかに多くがイスラエル狙撃兵により撃たれ、彼らの18人は死んだ。

全文:Dissident Voice


posted by mizya at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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