ロジャー・ウォター
guardian.co.uk
2011年03月11日金曜日
パレスチナ婦人が東エルサレム、アブディス地区の壁のイスラエル側を通り過ぎる。
Photograph: Kobi Gideon/EPA
1980年に、わたしが書いた歌、Wall Part2のAnother Brickは、平等な教育の権利を主張する南アフリカの黒人の子どもたちにより使われていたので、南アフリカ政府により禁止された。そのアパルトヘイト政府は、わたしのを含む、言わばある種の歌に、文化的封鎖を課した。
25年後、2005年に、西岸フェスティヴァルに参加したパレスチナの子どもたちは、西岸の周りのイスラエルの壁に反対する抗議でこの歌を使った。(略)
1年後、わたしは、テルアヴィヴでの演奏を契約した。イスラエルへの学術・文化ボイコットを提唱する運動のパレスチナ人たちは、わたしに再考を促した。わたしは既に、壁への反対を表明していたが、文化的ボイコットが進むべき正しい方法かどうか不確かだった。
ボイコットのパレスチナ人提唱者たちは、わたしに、被占領パレスチナ領域を訪問し、わたしが決心する前に自身で壁を見るよう求めた。わたしは同意した。
国連の保護の下、わたしはエルサレムとベツレヘムを訪問した。その日わたしが見たことのために何の心構えもし得なかった。壁は見るに驚くべき建造物だ。それは、他の世界からの気まぐれな立会人、わたしを軽蔑的攻撃性で扱った、若いイスラエル兵士らにより取り締まられる。
(略)
全文:guardian.co.uk
アーカイヴ:ロジャー・ウォターズがイスラエル・ボイコット支持を表明(03月09日)