原文:The Electronic Intifada
アーカイヴ:デイル・ヤーシン虐殺の記憶(2010年04月10日)
1948年4月9日から63年、今年も、デイル・ヤシン虐殺の日がやってきた。デイル・ヤシンは、国連分割決議に従えば、建国されるユダヤ人国家にではなく、パレスチナに残される領域にあった。現在の西エルサレムだ。この虐殺を、建国前のイスラエルは喧伝し「家に残るならパレスチナ人に待っているのは虐殺」と脅し、家から逃れた人びとの土地家屋を「不在者地主」法で強奪した。
2011年3月11日、東京電力の原発は制御不能に陥った。1ヵ月後の地方選の結果に、わたしは唖然としている。東京電力の事故を受けて、ドイツの選挙で原発が争点となり、原発推進派が破れているのに、放射能降り注ぐこの国では、原発推進派が圧勝しているのである。町中の家々からネズミが出てきて道路という道路を埋めつくし、海に向って入水する、わたしたちはそのネズミなのだと見出して、唖然としないでいるのは難しい。
デイル・ヤシンから63年経った今も、イスラエルのパレスチナ人虐殺の政策に変わりはない。しかし、パレスチナ人はもはや家を離れない。