ガザ市 (Ma’an) -- イスラエル海軍が木曜日、漁船に発砲し、パレスチナ人3人が負傷したと、医療関係者は語った。
漁師たちが、中程度の負傷の治療のため、アッシーファ病院に運ばれたと、医療関係職員、アドハム・アブシルミーヤは、語った。
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全文:Ma'an News Agency
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2011年05月26日木曜日
Ashraf Shannon
Press TV, Gaza
ガザの漁師たちは、イスラエルの海上封鎖に対し抗議するため、漁師埠頭で座り込みをした。イスラエルは、いわゆる1993年オスロ和平合意の下、ガザ領海の軍支配を保持し、漁船に最大20海里まで地中海航行許容を合意した。
しかしこの10年、ガザの漁師たちは、最大3マイルの狭い海域でしか、漁をできないできた。ガザの漁師たちは、殆どの場合、3海里ゾーン内を航行するが、それにも拘らず、彼らは、増加するイスラエルの発砲と攻撃の下におかれてきた。
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ガザの漁師たちの苦難の記事を掲載する度、その苦難を課すイスラエル軍の医療団が、大震災を受け、やはり東北の漁村、南三陸町に入ったことを忘れることはできない。わたしは子どもの頃、12歳まで仙台で過ごし、15歳まで気仙沼で過ごしているから、三陸の海は近しいし懐かしい。数年前気仙沼を訪ね、海岸線を走るローカル線に、波打ち際が迫ってきているのに驚いた。震災後、気仙沼の友人に電話して、わたしが曾て住んだ場所にも津波が届いたと知り、流された共通の知人を悼んだ。そのうえでなお、南三陸町はイスラエル軍医療団を受け入れるべきではなかったと、わたしは思う。