ハリエット・シャーウッド、ガザ市
guardian.co.uk
2011年07月24日日曜日
「彼らはわたしに弾丸を発砲し放水するだろう」このヴィデオへのリンク
11歳から漁師だった、そして12の口を養うハニ・アル-アシは、イスラエル砲艦が彼の伝統的なハサカに向かって疾走した時、ちょうど地中海に釣り糸を投げ込み始めたところだった。
(略)
アシは、次第に減少する魚類個体群を引きつけるため車を投げ込んで作った人工岩礁の上で舟を止めた。彼は、イスラエル軍によりパレスチナ漁師に設定された、「安全上の理由」で越えては漁を禁じられる、ガザ海岸から3海里の制限を僅か超えた。
「わたしたちは毎日、彼らを見る」と、砲艦の存在に肩をすくめて彼は語った。「わたしはこれに慣れた。毎日、彼らはわたしたちの周りで - 発砲し、舟を損傷し、時々、人びとを負傷させる。怯えるなら、わたしたちは漁をしないだろう。とはいえ、他にすることもない」。
舟が激しく前後にゆれ、砲艦クルーは拡声器を通してアラビア語でアシに向ける。「お前は禁止海域にいる。戻れ」。アシは、釣り糸を引き上げ、港に向けた。
(略)
1993年のオスロ合意下、パレスチナ漁師たちは、ガザ海岸から最大20海里での漁を許可された。過去18年間、漁業水域は継続的に浸食されてきた。ごく最近では、2007年、ハマースが領域を支配した後、イスラエルは、ガザへの海陸封鎖の一部として、3海里制限を設けた。
しかし、漁師たちと人権集団は、2008年-09年のガザへの戦争以来、イスラエル軍が、沿岸よりでさえ、いつも制限を強要すると語る。
制限は、ガザの水産業を荒廃させた。「それは壊滅的状態」と、パレスチナ人権センターのハリール・シャヒーンは語った。「6万人が(水産業に)依存しており、日々の収入の85%が失われた」。
(略:長い、まだオリヴァ号への攻撃にたどりつかないけれど)
全文:guardian.co.uk
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2011年07月24日
国際連帯運動 (ISM)、ガザ
(本文翻訳省略)
ガザが被っているのは「大震災」ではなく、イスラエルの占領だから、世界が変わらなければ「復興」はない。震災があまりに大規模だったから、その上、東京電力に放射能までバラまかれて、日本の漁師や農夫たちの復興も思うようには進まないかもしれない。しかし、ガザは「復興」のしようもない。再建する度に、イスラエルが破壊するのだから。尤も、放射能はわたしたちを破壊する。そういえばガザにも劣化ウラン弾が雨霰と降った。ガザへの、戦争というにはあまりに一方的攻撃で、イスラエルが降らせたものだ。手指や足指が6本だったり7本だったりの赤児が誕生している。正視に耐えないけれど、これが現実なのだと自らに言い聞かせて、目を背けないようにしている。