社説
The Observer
2011年9月18日(日)
イスラエル独立国家を求めるシオニスト運動のため、要望は、国連総会が、分割されたパレスチナにユダヤ人国家設立を支持する決議181を可決して、1947年11月に現実になった。
その国は、1948年5月14日、テルアヴィヴ博物館で、デヴィッド・ベングリオンとユダヤ民衆議会により宣言された。イスラエル国家は、その夜、合衆国のトルーマン大統領に、数日後、ソ連により承認された。
60年以上後に、新たに造り出された国連の分割計画受諾を最初拒んだパレスチナが、第一に安全保障理事会の前に、占領とイスラエル人50万人による入植地から解放され、彼ら自身の事柄を決定できる、1967年境界に基く彼ら自身の国を求めて、似通った承認を求めている。
パレスチナ国家の観念は、論争すべきでない。英国がそうであるように、合衆国は概念を支持する。確かに、2009年のカイロ演説で、バラク・オバマ大統領は主張した:「まさしく、イスラエルの存在権が否定され得ないように、パレスチナの存在権も否定できないと、イスラエルは認識しなければならない」。
安全保障理事会投票で、英国が棄権を暗示する一方、オバマはしかし、パレスチナ国家に向けた動きに拒否権行使を決意したように見える。
パレスチナ要請は、安全保障理事会で失敗するだろうが、それは次に、「オブザーヴァー国家」- ヴァチカン同等となる増強的地位を授与することのみできる、130ヵ国近くがパレスチナ決議支持に投票しそうに見える国連総会に行くだろう。それはしかしながら、世界が無視困難と見いだすだろうパレスチナ問題の、政治的、倫理的、外交的勝利を提供する深く象徴的瞬間となるだろう。
それは意義深いことに、パレスチナに、イスラエルに対する要求追求を可能とする、国際刑事裁判所の加盟国となることをもまた認めるだろう。
(略:長い)
全文:the guardian