2011年10月23日

みんなの息子

ウリ・アヴネリのコラム
2011年10月22日

最も分別ある - わたしは殆ど「唯一分別ある」と書いた - センテンスは、今週、5歳の少年の唇から発せられた。

囚人交換の後、利口ぶったTVリポータのひとりが彼に尋ねた:「なぜわたしたちは、ひとりのイスラエル兵士のため、アラブ人1027人を解放したのかな?」 彼はもちろん、通常の答え:イスラエル人ひとりはアラブ人1000人に値する、を期待した。

小さな少年は答えた:「ぼくたちが彼らをいっぱい捕まえて、彼らはひとりしか捕まえなかったから」。

一週間以上、イスラエル全体が興奮状態だった。ギラード・シャーリトは確かに、国を統治した(Shalitは「統治者」を意味する)。彼の写真は、北朝鮮のキム同志のように、至る所に貼られた。

(略:長いので大幅に飛ばして面白いところだけ)

今週、解放された囚人たちは、「パレスチナ戦士」、あるいは「闘士」、あるいは単に「パレスチナ人」とさえ呼ばれなかった。エリート主義のHaaretzから最も未開なタブロイドまで、すべてのあらゆる新聞とTV番組は、もっぱら「殺人者たち」、あるいはそのうえ、「下劣な殺人者ら」と呼んだ。

(略)

ギラードが、みんなの息子のように見えることは助けになった。彼は、捕獲前のスチールやヴィデオで見ることができた、愛敬のある笑顔の内気な若者だ。彼は若く見え、痩せて気取らなかった。5年後の今週、彼は、とても青白いことを除けばまだ同じに見えた。

(略)

彼の解放で、彼が、健康で鋭敏でよい状態であるように見えるのを発見して、イスラエル人は安堵した。エジプトでの途中、彼が口にした僅かなセンテンスから、彼にはラジオとTVが提供され、両親の努力について知っていた。

彼がイスラエルの地に足を踏み入れた瞬間から、彼がどのように扱われたかなど、殆ど何もでてこなかった。どこに保たれたのか? 食べ物はどうだったか? 捕らえた人は彼と話したのか? 彼らをどう思ったか? アラビア語を学んだか? 今までのところ、それについての一言もないのは恐らく、ハマースにある種肯定的光を投げかけるかもしれないから。彼は話すことを許可される前、確実に徹底的に指示を与えられるだろう。

(略)

全文:gush-shalom
posted by mizya at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | article | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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