国連総会が分割案とイスラエル国承認を審議、1947年11月29日
共和党1950年代の古いシミ -「誰が中国を失ったか」- を、わたしに思い起こさせたヘッドライン、今日のMaarivのヘッドラインは:
エルサレムの恐れ:我々はガボンを失った
見たところ、ガボンの強い男は、ニューヨークの最近の国連総会で、彼と会ったビビ(ネタニアフ)によるふたつの申し出を拒絶した。アフリカの指導者は、ビビが、彼らの反対投票のためナイジェリアに提示した「おいしいもの」すべてを聞いてむっとし;彼は、イスラエルが彼の国に、何とちっぽけな申し出をしたものだと考えた。
Maariv記事は、自身でヘッドカウントし、パレスチナ自治政府が、承認に必要な9票にまだ1票足りないと見出す。しかし、それはボスニアを「ノー・カテゴリー」で数えている。わたしはこの専門家ではないが、その3分の1がムスリムの国家が、パレスチナに反対投票するなど道理にかなわないと思う。棄権なら、もっとあり得るだろう。しかし、棄権があってさえ、パレスチナ自治政府は9票を必要とする。それに失敗すると、決議に拒否権行使しなければならないことを望まなかった米国は、それによって、パレスチナ国家創設を支援する、我々の偽りの政策の完全なる偽善を示すことになるので、ほっと一息つくだろう。
わたしはまた、安全保障理事会が、パレスチナ自治政府の要請を考慮する日を、11月29日に移動させたことを、至って象徴的に思う。シオニスト歴史マニアは、国連がイスラエル国家承認を票決した1947年の重要な日としてこれを思い浮かべるだろう。国際機関がイスラエルを承認してから64年が経った。同様にパレスチナが承認されていい頃だ。64年は充分長い。
原文:Tikun Olam: Make the World A Better Place
ニッポンを撤退させて中国を解放したのだから、米国は中国を「我々の陣営」と考えていたことだろう。蒋介石が台湾に逃れて、米国の期待は崩れ去った。まあ、撤退させられたニッポンは米国の陣営に下ったけれど...