2011年11月19日

「もしローザ・パークスが記者会見を行うことができればこのように見えただろう」

annie
2011年11月16日


Jposttv

今日、わたしは、Jerusalem PostのBenjamin Spierに、フリーダムライダーに「フリーダムライダー」として言及し、傑出した勇敢なフワイダ・アラフやバディー・ドゥエイクへのインタヴュ同様、「もしローザ・パークスが記者会見を行うことができればこのように見えただろう」と語ることから始まるヴィデオ報道(上)を感謝する。彼らの意見を聞くことは、非常にわたしを感動させる。(略)

わたしは、これが多少安全な旅となることを保証した現われたジャーナリストすべてに感謝する。

誰にも増して、わたしの心からの感謝を、わたしの世界を持ちこたえる、ナディーム・アッシャラバーテ、フワイダ・アラフ、マズィン・クムシエ博士、ファディ・クルアン、バシル・アル-アラジュ、バディー・ドゥエイクに。

全文:Mondoweiss

「占領に反対する芸術家たち」 (AAO) がエルサレムYMCAの「オリーヴ植樹キャンペーン」の要請を受け、パレスチナのオリーヴ取材に、米国、カナダ、フランス、そして日本からパレスチナに集まったとき、ベツレヘムからカルキリヤの分離壁まで、バスを借り切ってツアーを組んだ。AAOメンバーばかりでなく、ホテルに居合わせた世界各地からのNGOメンバー、ベツレヘムに住みながら、同じ西岸の北部に旅したことなのないAAOのワークショップ参加者たちも、そのツアーに加わった。そのとき案内してくれたのが、マズィン・クムシエ博士だった。イスラエルナンバーのバスをチャーターし、コンテナー検問所から西岸を北上する予定だったわたしたちは、イスラエルナンバーのバスはコンテナー検問所を使用できないとの口実で、検問所通過を拒絶され、パレスチナ人参加者だけを検問所で降ろして(パレスチナ人はイスラエル領内を旅することができないので)、イスラエル領内を北上して西岸に入り、西岸内部から再びコンテナー検問所に、パレスチナの友人たちを迎えにいった。言葉にすれば数行だが、3、4時間ばかりを失った。再び乗車したマズィン・クムシエ博士は、このコンテナー検問所の別名が「火の渓谷」と説明した。
posted by mizya at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | video | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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