2011年11月26日

ハーレド・ジャラルへのインタヴュ:パスポートにパレスチナをスタンプすること

2011年11月21日

by Alistair George
2011年11月21日 | International Solidarity Movement、西岸

ハーレド・ジャラルは、ジェニン出身のパレスチナ美術家で写真家、現在、ラマッラを拠点とする。イスラエルの占領を撮影し記録することに加え、彼は「パレスチナ国家」の切手とパスポート・スタンプをデザインした。今週、国際連帯運動 (ISM) のAlistair Georgeとのインタヴュで、ジャラルは、彼のスタンプの陰のアイデア、過去と未来の計画、芸術が政治的抵抗に影響を及ぼす広がりについて説明する。

ISM:「パレスチナ国家」パスポート・スタンプの陰のアイデアは何ですか?

ジャラル:ぼくは3年前にこのアイデアを抱いた。ぼくは外国の友人たちと居て、彼らがパレスチナを訪れたい場合の、ことさら国境警察にパレスチナ領域に行くつもりと告げるときの(テルアヴィヴの)ベングリオン空港で得る困難な時間のことをぼくに語った。そこでぼくは考えた - ぼくたちの国で誰が歓迎されるか、イスラエルはどうして決定するのか? ぼくたちは誰でも歓迎したい! それでぼくは友人たちのために「グリーン・カード」を作ろうと言った;彼らはパレスチに住み仕事できるとする皮肉な許可の類い。それは、「パレスチナにようこそ」と言う権利をぼくたちは持っているというメッセージを送る。人びとが「申請書」を提出するラマッラの画廊に来て、「永住許可証」を得た! 彼らは記念品としてそれを取った。

10か月前、ぼくは、再度考え、プロジェクトの展開を試みていた。ぼくは、「パレスチナ国家」の切手とパスポート・スタンプのデザインに取り組んだ。ぼくは、美的な何か、人間性についてのぼくの思想に合致する何か、オリーヴ樹やモスクだけでなく - イデオロギーや政治よりもっと人間的何かをつくろうと試みていた。ぼくは、パレスチナ・サンバードと呼ばれる - この鳥を見つけた。ぼくは、イスラエルが、彼らの国鳥にするために、この鳥の名前を変えようとしたという話を聞いた。それは、美しい鳥だ、そしてぼくは、美しいので、ジャスミンの花を使った。イスラエルは実際、1963年のイスラエルの切手のデザインにこの鳥を使ったんだ、「パレスチナ・サンバード」って書いてだよ、ぼくにとっては全く皮肉で、逆説的だったけど。

ぼくはデザインし、起こるだろうもうひとつのプロジェクトがあって、消えてしまうのではないかと心配した。ぼくはこのスタンプに命を捧げる必要があり、ぼくは、スタンプのための公的場所 - パスポートにあるべきと考えた。それでぼくは友人たちに、彼らのパスポートにスタンプできるか訊ね始めたけれど、彼らは「正気?」と言った。「だってそれにはイスラエルのスタンプしかない、なぜパレスチナのが駄目なんだ - 君はパレスチナに居るのに!」と、ぼくは言った。

ここのステレオタイプは闘争、闘争、闘争、そしてぼくは、この陰の何かを示したい、ぼくは生活を示したい。ぼくは、人びとに尋ね始め、それをする勇気のある誰も見つけることができなかった - そして、ぼくはフランスの女の子を見つけた。彼女はバーに座っていて、ぼくにパスポートをくれた。それは初めてのスタンプだった。(略)

ISM:あなたはどれだけのパスポートにスタンプしましたか、そして反応はどうでしたか?

ジャラル:180ほどのパスポートにスタンプした。ぼくは、パスポートにスタンプした人びと殆ど全部と、電子メールしてきて、連絡をとり続けている。ぼくはラマッラで何度か、ベルリンのチャーリー検問所で2日間、パリでも2回 - 1度はポンピドゥーで、パフォーマンスした。人びとの多くはそれが好きで、とても美しいと気づいてくれる。でも、恐れる多くの人びともいる。でもこれはアート・プロジェクトなんだ。

(略)

スラヴォイ・ジジェク(スロベニア人哲学者)は、ラマッラでパスポートにスタンプした。ひとりがやって来て「スラヴォイ、やっちゃダメだ - 危険だ - イスラエルが君を逮捕するだろう!」と言った。しかし彼は「いまいましい、やって、やって!」と言って、ぼくは彼のパスポートにスタンプした。

ISM:イスラエル当局は、スタンプにどう反応しましたか?

ジャラル:何人かは尋問され、しかし多くは、当局がそれに言及さえしなかった。(スタンプしたパスポートを持つ)南アフリカの男、名前はエディー - 彼はスタンプ(のパスポート)で離れる最初の人だった。イスラエル国境警察は、スタンプを見て衝撃を受け、「こんなの見たの初めてだ」と言った。彼らは、彼の出国ビザにスタンプして、パスポートを彼に返し、そして彼は発った! 彼らは全く尋問しなかった。

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スタンプで発ったふたり目はデンマークからで - 国境警察がそれを見た時、彼らは誰かを呼び、そのひとは他の人を呼び、5人がスタンプを見た。彼らは一言も言わず、ただコピーを取って、彼にパスポートを渡し、彼は発った。

最初イスラエルは、これが本当なのか芸術なのか分からなかったとぼくは思うけれど、もちろん、尋問され止められた何人かに起こった悪い物語もいくつかある。イスラエルによって止められたオランダの女の子がいた。彼らは、「このようなもの見たことない、違法だ」と言った。彼女は「いいえ、それは違う、それはアート・プロジェクトで、これからあなたたちはこれらスタンプを見るようになるわ!」と言った。係官は彼女を尋問して、「どうしてこれをしたのか?」とか「誰がこれをやったのか?」と尋ねた。彼らは1時間彼女を引き止め、彼女のハードディスクをとりあげ、裸の身体検査をして、彼女の荷物を開いた。

ぼくは、スタンプの所為で、入国を拒否された誰かがいたとは公式に聞いていない。しかし、多くの物語がある。スタンプを持っているアメリカの女の子がいて - 彼女は、エルサレムでの労働許可申請を望んでいた。彼女は、招待状と書類すべてを持っていた。イスラエル内務省は、彼女のパスポートを見て、「このパスポートにこのスタンプがあるので、あなたはイスラエルヴィザの許可を申請できない。恐らくあなたは、そのページを取り除くことはできる」と、彼らは言った。それで彼女はアメリカのパスポートからそれをはぎ取り、彼女は再申請して、ここで働く1年のヴィザの許可を得た!

(略:まだインタヴュは続くけれど)

全文:International Solidarity Movement

 何年か前、ベルファストの友人を招待してアトリエのデッキでバーベキューしたとき、(わたしが)選んだ音楽がインモータル・テクニーク(ウォール街占拠で「死者への乾杯」をパフォーマンスした)だった。いわゆる「Fワード」が連発されることもあるから、英語が母国語の友人は聴くに耐えなくなることもあったらしい。「わたしは平気、英語は母国語じゃないし、そもそも顰蹙する言葉などあろう筈もない、使うのは人間だから」とすましていた。友人の恋人はラトビア人で、彼女も「わたしにとっても、英語は母国語じゃないから、聴いていて恥ずかしくなることはない」と言った。スラヴォイ・ジジェク(も、やはり、ウォール街占拠で演説している)もスロベニア人だから平気なんだ、使っても、と、思った。「いまいましい」と訳したけれど原文では「F− it」。
posted by mizya at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | interview | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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