2011年11月28日月曜日
ラファ検問所の解放から数か月、パレスチナ人のあるものは、まだガザに入るのにトンネルを使わなければならない。
ガザ - イブラヒーム・アブディーブは、彼の失われた祖国の光に、そして、再び息子に会うことはないだろうと考えていた両親の腕の中に、トンネルから現れた。
パレスチナ系アイルランド、アブディーブは、離れていた数十年後、ガザに入り家族に会うために、本の中のトリックすべてを試み、法的抜け穴すべてを使い尽くした。
実際、アブディーブが、2011年6月1日にラファ国境検問所を開くとのエジプトの決定を聞くや否や、ガザに入る彼の望みは再燃したが、彼は、ことさら先立つ試みの失敗の後、希望は砕かれると予測した。
7年前、彼は、ガザに入るのを待って、ベイト・ハヌーン検問所(エレツ検問所:訳注)前で6時間を過ごしたが、占領軍は彼を通過させなかった。
彼はそして、不本意ながら、西岸の親類何人かと休暇を過ごすと決めた。彼は、再び彼の運試しを企てたが、無駄だった。
アブディーブは、両親に会わずに、彼の住むアイルランドに帰った。しかし、エジプトからの良いニュースを聞くとすぐ、彼は、ラファ検問所経由でガザに入ることができるかどうか確かめるためエジプト当局に連絡をとった。
しかし大使館は、情報を持っていなかった。彼は、大使館が問題について問い合わせることを、注意深く要請した。
(以下、少々かいつまんだ訳で)
彼は、理由を問われ、ガザへのイスラエルによる封鎖以来会っていない老いた父親を訪問したいと答えた。
エジプト大使館に書簡を送った40日後、彼はラファ検問所からガザに入るのを許可する返事を受け取った。
パレスチナ身分証明書を所有する兄弟ふたりと、アブディーブは、ラファ検問所に到着し、エジプト職員に書類すべてを渡した。
しかし、書類を見ようともせず職員は、彼の身分証明書を求めた。
アブディーブは、アイルランドのパスポートとガザ入域を認めるアイルランド駐在エジプト大使の書簡を持っていると応えた。職員は書簡を無視し、彼がそれ以上行くのを止めた。
アブディーブを気の毒に思ったエジプト職員のひとりが、トンネル経由でガザに入れると、彼の兄弟に示唆した。
(略)
1か月後、彼は、入ったのと同じ方法でガザを離れた。次回、彼は、彼の人間性を尊重するような方法、合法的に入り出ることが許されるよう望む。
全文:alakhbar