軍報道官は正しかった - ムスタファは、石を投げた故、死んだ;彼は、真実が禁止される場所で、彼の手で真実を語ることに挑んだ故、死んだ。
ヨナタン・ポラック
ムスタファ・タミミは石を投げた。弁解せず、しばしば勇敢に。その日だけでなく、ほぼ毎週金曜日。彼はまた、顔を隠した。彼が既に心底知り尽くしていた、刑務所監房を恐れてでなく、しかし彼の自由を維持するために、したがって、彼は、石を投げ、彼の土地の窃盗に抵抗し続けることができた。彼は、死の瞬間までこれをし続けた。
(略)
軍報道官は正しかった。ムスタファは、石を投げた故、死んだ;彼は、真実が禁止される場所で、彼の手で真実を語ることに挑んだ故、死んだ。射撃手法、その合法性、発砲手順のいかなる議論も、地主は侵入者追放を禁じられると暗示する。確かに、侵入者は、地主に発砲するのを許されている。
ムスタファの体は、石のパレスチナの子どもたちを生じさせた、第一次インティファーダ24周年記念に、彼が石を投げる勇気を持ったので、死んで地下に眠る。彼の兄弟、ウダイは、オフェル刑務所に収監されていて、葬儀参列を許されなかった、というのも、彼もまた石を投げることに挑んでいたから。そして彼の姉妹も、石を投げた疑いがなかったにも拘らず、しかしパレスチナ人故、彼の臨終に傍らに寄り添うことを許されなかった。
ムスタファは、石を投げ、武器を纏い装甲軍用ジープの中に安全に座す兵士を恐れることを拒絶したが故、殺された勇敢な男だった。ムスタファが死んだ日、谷を覆う凍てつく静寂は、時々降りそそぐ彼の母親の悲嘆の悲鳴ほどに身にしみるものではなかった。
彼の葬儀で、何千人もの石投げびとが彼に続いた。彼は墓に降ろされ、石が彼の遺体を覆った。兵士らは、村の入口に立った。葬儀に続き村の土地を降りて行ったとき、葬儀参列者に催涙ガスを降り注ぐため兵士らと武器を配置した軍にとり、別離の苦悶と孤独さえ、我慢ならないものだった。ムスタファを撃った兵士が自由な一方、抗議者の6人が投獄された。
ムスタファ、わたしたちは、頭を垂れ溢れる涙で、きみの遺体の後を歩く。わたしたちはきみを慈しむ、石を投げたが故きみは死に、わたしたちはしなかったので。
全文:Haaretz.com
筆者、ヨナタン・ポラックは、ユダヤ系イスラエル人活動家としては希有、ガザ封鎖に抗議する活動で投獄を経験している。そのときの記事をアーカイヴで:
アーカイヴ:イスラエル活動家、ジョナサン・ポラックが懲役3ヵ月の判決(2010年12月30日)