2011年12月24日
イスラエル国とイスラエルの人々は、シオニスト運動によりゼロから発明された [GALLO/GETTY]
国家としてのイスラエルの合法性を防衛する誰であれ、パレスチナが「発明された国家」という、元下院議長、ニュート・ギングリッチの議論を受け入れると考えることは困難だ。
シオニスト運動の並外れた勝利は、それが国と国民 - イスラエルとイスラエル人 - をゼロから発明したことだ。1900年代、最初のヘブライ語を話す子ども、イタマル・ベン-アヴィは、1882年まで生まれなかった。彼の父親、優れた言語学者、エレイゼル・ベン-イエフダは、聖書言語から間に合わせの彼が話すための現代語をつくった。
イスラエル国家の創立者は、フランスのドレフュス裁判 - そして、ユダヤ人がヨーロッパから出なければならなかったことに起因した恐ろしい右翼の反-セム(ユダヤ)主義により確信させられた同化ウィーン作家、テオドール・ヘルツル (1860-1904) だった。
(略:ヘルツル著「ユダヤ人国家」参照)
100年前:「単なるアイディア」
(略)
例え、アイディアとしてのみ、僅か100年ほど前に始まったイスラエル-性の概念でさえ、イスラエル人は、パレスチナに住むことになったユダヤ人というばかりでない。彼らは、彼ら自身の領土での自決、平和、安全の権利を与えられたイスラエル人である。
そして、パレスチナ人は、どの点から見ても、等しく国民である。真正の独立国家の根源的定義が、何千年もの領土での継続的在住期間であるなら、パレスチナの独立国家主張は堅固だ。彼らは、パレスチナを離れたことはなかった(イスラエル建国後、移住したか難民となった人びとを除けば)。
パレスチナ人が国家を持つことを否認するものたちは、彼らの場合を、そのどちらも論理的に破綻するふたつの議論に基礎を置く。ひとつ目は、パレスチナ人が、パレスチナで自決を実施したことがなかったということだ;彼らは、古代から現代まで、常に他者により統治された。
これへの返答は:だから?
民族を現実にするのは何か?
世界の殆どの民族は、その歴史の長期間、自決を欠いた。ポーランド国民は、ロシアとオーストリア-ハンガリーで分配され - 国家が地図から消えてなお、1790年から1918年まで存在した。1918年に独立を達成したが、再び1939年から1989年まで、ナチスに、次いでソビエトに奪われた。今日誰かが、ポーランド国民は発明されたと主張するだろうか?
ことさら、その国家存在が、数世紀前、想像不可能だったイスラエル人、あるいはアメリカ人(あるいはカナダ人、ニュージーランド人、オーストラリア人... )により提出されるとき、その考えは馬鹿げている。
第2の議論は、パレスチナ・ナショナリズムがシオニズムへの返答の、ユダヤ人が彼らの領土に移動し始めるまで、パレスチナ人が、自らをパレスチナ人と看做さなかったというものだ。
再び、だから?
ヨーロッパユダヤ人が、19世紀遅くの移民のうねりの初期、パレスチナ、ヤーファの埠頭についたとき、港で待っていたのはアラブ人だった。ユダヤ人が土地を購入したとき、出ていかなければならなかったのはアラブ人だった。
そして、シオニスト運動が始まるまで、アラブ人が自身をパレスチナ人と呼ばなかったとして、ユダヤ人も自らをイスラエル人と呼ばなかった。1948年まで、彼らは単にユダヤ人だった。しかし、ふたつの民族は各々、彼らが誰か、そして他者が誰かを知っていた。
最終結果は、今日、パレスチナ国家は、イスラエル国家同様、真正であり - 逆もまた真なり。どちらかが去らなければならないと思うものは、憎悪により盲目だ。
(略)
それにしても、ニュート・ギングリッチはそれを何故気にするのだろう?
全文:AlJazeera