パレスチナ人権センター
「わたしはいつも、頭と眼と耳が痛い。過去3年間、鼻血が出る。わたしはまだ、脳髄で榴散弾が動くのを感じる」
ゼイトゥーン地区の自宅前に座るアマル・アッサムーニ(11) (Photo: Palestinian Center for Human Rights)
2009年1月4日、6:00ごろ、イスラエル軍は、ガザ市の東、ゼイトゥーン地区のアマル・アッサムーニ(11)とその拡大家族メンバー18人が避難していた家を取り囲んだ。イスラエル兵士らは、家の所有者、アマルの父親、アッティア・アッサムーニ(37)に、手を挙げて出てくるよう命じた。扉を開けると、彼は、頭と胸を撃たれ即座に殺された。兵士らはそして、家の中に弾丸発砲を開始し、アマルの4歳の弟、アフマド・アッサムーニを殺し、ふたりは子どもの少なくとも他の4人を負傷させた。
続く時間、兵士らは、アッサムーニ拡大家族の他のメンバー100人以上に、アマルの叔父、ワエル・ファレス・ハムディ・アッサムーニの家に入るよう命じた。2009年1月5日、イスラエル軍は、直接その家屋と周辺を標的とし、21人を殺し、他の多くを負傷させた。中に居たアマルは、頭に受けた榴散弾で負傷し、負傷し死にかけあるいは死去した近親者たちの間で瓦礫の下に埋められた。1月7日、それまでその地区に立ち入ることを妨げられていた救急隊員が、彼女を病院に運んだ。
2009年1月4日から7日までで、サムーニ家のメンバー、子ども11人、女6人を含む27人が殺され、アマルの双子の弟、アブダッラを含む他の35人が負傷した。
(略)
全文:International Solidarity Movement
アーカイヴ:サムーニー通り(2011年12月30日)
関連記事:「2009年1月6日:アッダヤ家」International Solidarity Movement
2012年01月06日
パレスチナ人権センター
「妻と子どもたちの遺体を含む、殺された9人の遺体はみつからなかった。わたしは、彼らの遺体をみつけるため、市民防衛隊員と最善を尽くした。わたしたちが見つけたのはすべて、誰か特定できない肉のかけらだった。」
2009年1月6日、およそ05:45、イスラエル航空機は、ガザ市のゼイトゥーン地区にあるアッダヤ家を爆撃した。子ども12人と妊婦を含む22人が殺された。攻撃のとき、家の中に居た家族のたったひとり、アメル・アッダヤ(31)が生き残った。アメル、近くのモスクでの早祷からまだ帰宅していなかった兄弟ふたり、夫や子どもと別の場所に住む姉妹ふたりが、アッダヤ家で生き残る数少ないメンバーだ。
(略)
アーカイヴ:2008年12月31日:アブアリーダ一家(01月05日)