Stephen Lendman
DCI/パレスチナは、国際法原則によれば、「パレスチナの子どもたちの権利を促進し保護するために(捧げられた)国際的非-政府子ども権利組織で運動の国家的部門である」。
12月28日、DCI/パレスチナは、「イスラエル拘留下にあるパレスチナの子どもたちへの独房監禁の使用」という表題の申し立てを、いくつかの国連当局に提出した。それはことさら、イスラエルのアルジャラメとペタ・ティクヴァ尋問センターに捕らえられる子ども5人のためのものだ。
彼らのケースは、2008年2月以来、他の29件に続く。どちらの施設も「独房監禁が日常的に使用される」。
定義に関する普遍的合意は存在しないものの、独房監禁の使用と影響に関するイスタンブール声明は、毎日22時間から24時間、肉体的に囚人を房に隔離することと、定義する。人間との接触は、量的・質的刺激を含め、最小化される。
有害な心理的・肉体的影響は、十分立証されている。それらは含む:
激しい不安;
パニック発作;
無気力;
不眠症;
悪夢;
めまい;
制御困難時の道理なき怒り;
混乱;
社会生活からの撤退;
記憶喪失;
食欲不振;
妄想と幻覚;
損傷;
深刻なあきらめと絶望:
自殺思考;
パラノイア;そして
幽閉の外部の通常に生きるための多くの全くの機能障害状況と無力。
その結果、拷問に関する国連特別報告官、Juan Mendezは、子どもたちへの完全なる禁止を求めた。それを「拷問、あるいは残酷、冷酷、あるいは品位を貶める扱い、あるいは虐待」と呼び、彼は、すべてのひとに対してその禁止を要求しないまでも妨げた。
2007年、子どもの権利国連委員会は、「厳密に禁止」される実践を促した。
イスラエルはとがめなく国際法すべてをはねつける
イスラエルはしばしば、大人も子どもも、顕著にパレスチナ人を、隔離する。最も一般的に使用される施設は、エルサレムのアルモスコビーヤ尋問センター、テルアヴィヴ近くのペタ・ティクヴァ、そしてハイファ近くのアルジャラメを含む。
イスラエル刑務所業務 (IPS)、イスラエル警備機関 (ISA)、イスラエル警察が、これら施設を管理する。
2008年2月から2011年11月まで、DCI/パレスチナは、34件の子ども虐待事件を記録した。彼らは、「残酷、冷酷、あるいは品位を貶める扱い、あるいは虐待、そしていくつかの場合、拷問協定、子どもの権利条約、市民的・政治的権利条約、第4ジュネーヴ条約に反する拷問」を耐え忍んだ。
イスラエルは、とがめなく、戦争、占領、そして基本的人道と人権に関係するそれらを含む、国際法すべてをはねつける。
アルジャラメで、子どもたちは、2×3メートルの房に囚われる。2009年、ひとりの子どもは、65日間の懲罰に耐えた。彼らはみな、コンクリート・ベッドか、あるいは床の、薄く、汚く、悪臭の臭いのマットレスに眠る。食事は、彼らから人間の接触を奪う、扉のフラップを通り抜ける。
アルジャラメの「36号房は、(すべての隔離房同様)寄りかかることから子どもたちを妨げる鋭い突起」がある。窓はなく、1日に24時間、ほの暗い内部照明の人工光のみだ。
その結果、「子どもたちのある者は、眼の裏の痛みと、不利な心理的影響を被る」。
延長される隔離、痛い手枷足枷、肉体的暴力、拷問を含む過酷な扱いは、自白を引出すために使用される。
アルジャラメや他の尋問施設の子どもたちは、第4ジュネーヴ条約と他の国際法に反し、弁護士へのアクセスや親族の訪問を通常否定される。
DCI/パレスチナは、パレスチナの子ども5人のための申し立てを提出した。彼らは、イニシャル、年齢、性別、ID番号、出生地でのみ識別された。
2011年10月15日、イスラエル兵士らは、午前2時、自宅からOAを逮捕した。彼は、目隠しされ、痛みを伴う手枷をされて、軍用車輌に押し込められ、パレスチナのフワラ尋問センターに連れて行かれ、夜明けまで地面に座ることを強いられ、トイレを使用する許可を拒絶された。
その後の朝、彼は、第4ジュネーヴ条約に反して、イスラエルのペタ・ティクヴァ尋問センターに連れて行かれた。彼は、裸にされ捜査され、法定弁護人を与えられなかった。椅子に手を結わえられて、彼は、「モーリス」と呼ばれる男に尋問された。
イスラエルのジープに火炎瓶を投げたと責められ、彼はそれを否定した。尋問の2時間後、彼は、隔離され、それを次のように説明した:
「それは、床にマットレス、トイレ、コンクリートの腰掛けふたつのとても小さな房だった。どんな窓もなく、エアコン用の穴だけ。エアコンのためにとても寒かった。1日24時間、黄色の明かりが点っていて、ぼくは眠れなかった。ぼくはその房に2日拘留され、アルジャラメに移送された」。
そこで、彼は、5日間、隔離された。彼の拘留は延長された。彼は、法廷に居るのでなく、弁護士が彼を代理するのか知らなかった。彼は次に、ペタ・ティクヴァに送り返され、同一条件下でさらに9日間拘束され、認める前に2度尋問された、語るところ:
「ぼくは、とても悪い精神状態で、だから、認めようと決めた。ぼくは、軍ジープに、火炎瓶と石を投げたと認めた」、犯していなかったにも拘らず。
16日間隔離され、彼は現在、イスラエルのメギド刑務所にいる。
DCI/パレスチナが代理する他の者も、似通ったストーリーを語った。彼らは、不正に非難され、逮捕され、隔離され、総体的に厳しく取り扱われた。イスラエルは、子どもたちを、10歳の幼い者さえ、大人のように扱う。
国連子どもの権利条約 (CRC) を含め、国際法は、悲惨なまでに違反された。CRCの第37条(b)は述べる:
「子どもの逮捕、拘留あるいは投獄...最後の手段の措置としてのみ、最短の適切な期間で使用されるものとする」。
実際は、パレスチナの子どもたちは日常的に、検問所で、学校の往復、路上で、オリーヴ畑を手入れしていて、遊んでいて、そして(もっとも一般的に)真夜中に家庭で、逮捕される。
通常、それは真夜中から午前4時までだ。家族は介入しないよう脅される。試みるなら、彼らは、攻撃され、天候に関わらず夜着のまま通りに出され、説明も与えられない。
典型的に、逮捕は、無法で暴力的だ。家庭は、告知もなく押し入られる。家財は、破損されるか盗まれる。子どもたちは、目隠しされ、手枷され、しばしば殴られ、そしてジープに、時々顔を下に押し込められる。
尋問センターで、殴打、暴言、脅迫を含め、非人道的取り扱いは継続する。もっともしばしば、子どもたちが読めない、あるいは理解できないヘブライ語の自白に署名して尋問が終了するまで、弁護士は立ち会わない。ひとたび得られたなら、国際法下承認しがたい、拷問が引出した証言であろうと、それらは有罪宣告に使用される。
(略:ここまでで70パーセントほどは翻訳している、長い、翻訳も飽きたのだから、読むのだって飽きるに違いない)
全文:SteveLendmanBlog