2012年01月09日

2009年1月7日:マタール家

2012年01月07日
パレスチナ人権センター

「誰かがぼくを砂漠に連れて行ってそこに残してくれたら、ぼくはひとたちと会わないで済むから、素晴らしいだろう」

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マフムード・マタール (Photo: Palestinian Centre for Human Rights)

2009年1月7日、09:30ごろ、イスラエル軍は、ガザ市、シェイフ・ラドワーン地区のアッタクワモスクを標的とした。モスクは、当時14歳だったマフムード・マタールの家から150メートルにあった。攻撃の場面に走って行って、さらなる2発の攻撃がその地区を襲い、マフムードの学校友達ひとりを含む、15歳の少年ふたりを殺したとき、マフムードは、居合わせた。マフムードは意識不明に陥り、激しい火傷と榴散弾で負傷した。その結果、彼は全盲となった。

マフムードは、攻撃以来の彼の生活の変化を語る:「ぼくは、ひとりで海に行ったものだった。ぼくは独立していた。今、ぼくは、どこに行くにしろ誰かを必要とする。ぼくは日々を家で過ごし、2ヵ月か3ヵ月に一度出かける」。傷から受けるマフムードの自意識は、外出し、人びとの中にあるを、今ためらうと意味する。「ぼくは、子どもたちから得る取りざたの所為で、外出したくない。出かけるときはいつも、衣服と暗い眼鏡で顔を覆う」とマフムードは語る。「眼鏡は昨日壊れた」。

彼の孤立は、彼に暗い人生観を残した。「誰かがぼくを砂漠に連れて行って、そこに置いてきてくれるなら、人たちに会う必要がないから、素晴らしいだろう」。

(略)

全文:International Solidarity Movement

アーカイヴ:2009年1月5日:アマル・アッサムーニ(01月07日)
     :2008年12月31日:アブアリーダ一家(01月05日)
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