2012年01月14日

2009年1月12日:アヤド家

2012年01月12日
パレスチナ人権センター

「もうひとつ戦争があるなら、そこで死のうともわたしは動かない、わたしは二度と(同じ辛苦を)通りたくない」

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ムスタファ、アブデルカリーム、レゼック・アヤド (Photo: Palestinian Centre for Human Rights)

2009年1月12日、ガザ市、ゼイトゥーン地区のアヤド家の家は、イスラエル軍によりブルドーザで押しつぶされた。レゼック・アヤド、60歳、彼の妻、ユスラ、58歳、彼らの息子4人、ムスタファ、16歳、ムハメド、20歳、アブデルカリーム、26歳、ハリール、29歳、そしてハリールの娘ふたりは、攻撃の結果、ホームレスとなった。家族は、その地区への激しいイスラエル爆撃の結果、彼らの家の破壊の数日前、その地区を離れた。

レゼック・アヤドと彼の息子、アブデルカリームと話して、彼らの立ち退きを後ろに置いたことで、彼らが感じる安堵は明らかだ。今、家族の家に戻り - 2010年5月に再建を始め、2010年10月に引っ越しして - ふたりは、家族が今や安全で、再び、比較的安定していることを、喜び感謝している。「わたしは、あの時を思い出し、わたしたち皆がまだ生きていることを神に感謝するのみだ」と、レゼックは語る。

「ぼくたちは、着ていた服と毛布とマットレス数枚の他、何も持たずに家を離れた」とアブデルカリームは説明する、「ぼくたちは、ブルドーザで押しつぶされたとき、家と共にすべてを失った」。攻撃の余波で、全家族が、代わりの避難所を見つけることを強いられた。「わたしと妻は、ガザ市のアスクーラの親戚に身を寄せた」とレゼックは語る、「わたしの息子、アブデルカリームは、アッサムーニ地区に移動することを強いられ、ハリールは、妻や幼い娘たちと、テント村で2年間過ごす他、選択肢がなかった」。

レゼックの息子、当時17歳だったムハメド・アヤドは、家族の家の廃墟の中に小さな構造を建て、家と、彼がそこで飼っていたロバたちを見守ることができるよう、そこに留まった。

(略)

全文:International Solidarity Movement

アーカイヴ:2009年1月11日:ハムーダ家(01月14日)
     :2009年1月10日:ワファ・アルラデア(01月11日)
     :2009年1月9日:アブオダ家(01月10日)
     :2009年1月8日:アルラヘル一家(01月10日)
     :2009年1月7日:マタール家(01月09日)
     :2009年1月5日:アマル・アッサムーニ(01月07日)
     :2008年12月31日:アブアリーダ一家(01月05日)
posted by mizya at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | document | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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