Saed Bannoura - IMEMC & Agencies
パレスチナ治安当局筋は、イスラエル兵士らが、水曜日夜、西岸北部の都市、トゥルカレムに近いフォキーン村で、元政治囚、マジュディ・アルアジューリ、加えて彼の妻と未成年の娘を拉致したと報告した。
軍用装甲車、少なくとも6台が村に侵攻し、アルアジューリの家屋を取り囲み、押し入って、彼、彼の妻と未成年の娘を拉致したと、情報筋が付け加えたと、Maan通信社は報じた。
アルアジューリは、何ヵ月か前、エジプトの仲介で交渉され実施されたシャーリト囚人交換取引で解放された拘留者のひとりだ。
火曜日、軍は、元政治囚、ユーセフ・アブドゥルラフマン・エシュテウィを、西岸北部都市、カルキリヤから、そしてやはり囚人交換取引で解放された拘留者の中にいた、マフムード・アドナーン・サリームを拉致した。
木曜日明け方、兵士らは、元政治囚、ハナ・アッシャビー、30歳を、西岸北部都市、ジェニン近くのボルキーン村から拉致した;彼女もまた、交換取引で解放された元政治囚だった。
シャーリト取引は、2011年10月に到達し、2つの過程で実施され;ガザの抵抗(集団)が、ギラード・シャーリト伍長をエジプトに渡し、イスラエルが、拘留者、1027人を解放した(のだろうか? - mizya)。
それ以来、兵士らは、交換取引で解放された拘留者何人かを、加えて、ことさら被占領東エルサレムの子ども何人かを含む、拘留者何百人もを拉致した。
原文:International Middle East Media Center
エジプト仲介の「囚人交換取引」には、交換取引で解放された政治囚を再び拘束しないこととガザ封鎖解除が含まれていた。捕虜、シャーリト伍長を解放しても、その交換で解放されたパレスチナ人政治囚が再び捕らえられては「囚人交換取引」は成立しないことになるから、当然の条件と言える。シャーリト伍長が捕虜となったことを理由に、イスラエルは「ガザ封鎖」したのだったが、交換取引以後の展開をみるなら、イスラエルとはいかなる「取引」もあり得ない、イスラエルが協定を守ることはないのだから、ということだろう。しかしながら、この結果を、わたしも驚かないし、国際社会も驚いてはいない、まあ、イスラエルのすることだから「こんなもの」だろうと誰もが考えているのだろう。しかしわたしは、国際社会と違って、シャーリト解放を唱えたことはない、何千人、何万人のパレスチナ人「シャーリト・ギラード」がいるのだから。そして、イスラエルに捕らえられるパレスチナ人「シャーリト・ギラード」は、シャーリト・ギラードが受けた扱いとはほど遠い、拷問、虐待、脅迫にさらされているのだから。
アーカイヴ:ギラード・シャーリトに起こらなかったこと(2011年10月22日)