ベツレヘム地区僧院、マルサバ近くのハイカー。Image by Andrea Krogmann
Charlotte Alfred
エルサレム (Ma'an) -- 3年前、中東カルテットのオランダ人経済顧問は、マウンテンバイクで走るルートを見つけようとヨルダン渓谷北部の荒野に向った。
彼の本「パレスチナを歩く」は、125の西岸の通り(を検証した?)後、今月出版される。
Stefan Szepesi、32歳は、マウンテンバイクする場所を見つけなかった。代わりにパレスチナは、彼を歩く術に向わせた。
「ぼくはいつも、歩くのは年寄りのものと思った... ぼくは、ここで歩く愉しみを見出した」と、Szepesiは、Ma'anに語った。
本は、ハイキング・マップ、詳細な方位、コース上の地元アトラクションと共に、歩く旅程25コースを編集する。「これらは、パレスチナ製ハイキング・マップの初めてのもの」と、エルサレム応用調査学会の地元地図製作者たちと共に作業したSzepesiは語った。
「歩くことは、外交官やイスラエル人やパレスチナ自治政府と話してラマッラに座っているよりもっと教育的」と、彼は語った。
「ぼくは、常に都市に向う(カルテット代表)トニー・ブレアとの旅行に2年から3年費やした。だからぼくたちは、本当にいなかに行った最初だった、セバスティア近くの徒歩旅行に彼を連れ出した」と、経済学者は思い浮かべた。
これは、ナブルス県の考古学遺跡、セバスティアがエリアCにあるため、パレスチナ自治政府には立ち入りが禁止され、イスラエル政府当局により無視されるので、カルテット代表にとり、重要な訪問となり、古代遺跡の保護の欠如に明白に衝撃を受けたと、Szepesiは強調する。
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Szepesiは、本の中で広く横顔が描かれる、パレスチナ人の歩くエキスパートと作業した。人権主唱者、ラジャ・シェハーダの受賞作「パレスチナの通り」が、ガイドブックのインスピレーションで、シェハーダは彼に熱情の序文を書く。米国の出版社が、ガイドを引き受けるアラビア語出版者をまだ捜していると、Szepesiは言及する。
しかし、入植地とイスラエル軍支配により断片にされた被占領地で、多くが安全に関して尋ねたと、彼は認める。
「正直に言って、もっとも危険なことは、歩きに行き帰るドライヴ(?)で、多くが道に迷う」と、彼は確信する。
Szepesiは、ウォーカー(歩くひと) - 外交官、ジャーナリスト、パレスチナ人ハイカー - の一団が、彼のルートを試みて、彼にどのような障害もフィードバックするよう奨励する。
(略)
「パレスチナを歩く」は、米国のInterlink Walking Guidesと、英国のSignal Booksにより発行される。それは、エルサレムのEducational Bookshopで購入することができ、歩きに関するフィードバック提出はここで:www.walkingpalestine.org
全文:Ma'an News agency
「パレスチナを歩く」は、東エルサレム、サラハッディーン通りのEducational Bookshopに行かなくても、amazonで注文できる。ここ。注文したけれど、配達予定が5月だから、今日、3月30日、「土地の日」記念「読書会」には間に合わない。
20年ほど前になるかもしれない、イスラエル紙幣が新しくなって、持っていた古い紙幣が使用できなくなった。それでも、銀行に行くことがあったら新しい札に交換しようと、パレスチナに行く度、札入れに入れていた。テルアヴィヴで、友人が銀行に立ち寄ったとき、古い紙幣の交換を求めてみたが、その銀行では「できない」とのことだった。せいぜい200シェケルほどだったが、もう使うことはできないかもしれないと殆ど諦めていた頃、Educational Bookshopで支払いをしようと札入れを開くと、覗き込んでいた書店オーナーの老いた父親が、古い札に気づいた。「これ古いやつだ」「知ってる」、すると「これも、これも、これも」と古い3枚を抜き取り(老人が指差し、わたしが抜き取った)、孫息子を呼んで持っていかせた。その少年は、新しい札を手にして戻ってきた。10年以上の懸案が解決された瞬間だった。