2012年04月06日

イスラエル・サッカーに関する暴力 - 2題、報道と社説

イスラエルのサッカー関連暴力の新ラウンドがハイファのスターを病院に留まらせる
2012年04月01日

Hapoel Haifaのスターは顔を殴られ、伝えられるところによれば、Maccabi Petah Tikvaとのサッカー試合の最終ホイッスルに続いた乱闘でノックアウトされた。
Haaretz

Hapoel Haifaのアリ・ハティブは、土曜日夜、Maccabi Petah Tikvaとのサッカー試合の最終ホイッスルに続いた乱闘で、顔を殴られた。

ハティブは、伝えられるところによれば、強打でノックアウトされ、近くの病院に運ばれる前、Magen David Adom医療関係者に治療された。何人かの選手が、Maccabi Petah Tikva IDバッジの誰かがハティブに頭突きし、過程で歯の何本かを失わせるのを見たと報告した。

TVクルーにより撮られた映像と共に、他の目撃者たちは、攻撃者らが、Maccabi Petah Tikvaのゴールキーパー・トレーナー、Ami Ganishとチーム役員、Yigal Memanと明らかにした。

(略)

全文:Haaretz.com

イスラエル・サッカーの人種差別に対し介入するとき
2012年04月02日

イスラエル国は、何十万もの人びと、その多くが若者に、熱心に注目されるそのスポーツの中で、人種差別と暴力の扱いがたい腫れものに変わる状態を認め得ない。
Haaretz社説

3月だけで、イスラエル・サッカーに繋がる記録された暴力事件が4件あった。

Hapoel Tel Avivのファン、何千人もが、テルアヴィヴ競技でチームが負け、競技場にものを投げ、両チームの選手がそこを離れるのを妨害して、暴動を起こした。数日後、Maccabi Petah Tikvaファン2人が、競技場に飛び込み、審判を攻撃しようとした;その後、わたしたちは、「アラブ人に死を」と叫び、アラブ人清潔労働者を殴りつけた、マルハ・モールで荒れ狂ったBeitar Jerusalemファン、300人を抱え;また土曜日、ひとりに頭突きされ、もうひとりに顔を蹴られたHapoel Haifaの選手、アリ・ハティブを、Maccabi Petah Tikvaクラブの役員2人が攻撃した。

ハティブは、意識を失い病院に担ぎ込まれたが、緊急の治療の類いが必要なのは、イスラエル・サッカーであるように見える。

全家族に娯楽を供給する目的の大衆スポーツは、近年、他のいかなる地域においても正当でない現象の氾濫を通し、イスラエル社会の溝へと変わった。

イスラエル・サッカーのみが、クラブがメンバーに加わることからアラブ人を阻害することができ、残酷な暴力が、イスラエル・サッカー協会 (IFA) の内部判定会議により処理され、規律的違反行為として扱われる。無秩序と警察施行の欠如が、イスラエル・サッカーを、暴力・人種差別・憎悪の源に変え、時々チームを運営するいかがわしい人物を引きつけ始めさえしてきた。

IFAは、UEFA、欧州サッカー連盟、FIFA、国際連盟といった、国際的スポーツ機関に従属し、そして、文化・スポーツ省の関与を激しく拒絶する。しかし、文化・スポーツ大臣、Limor Livnatが、イスラエル・サッカーに浸透した腐敗を取り除くことができないと判明して数年経ち、彼女にとり、ことの密集部に取り組むときだ。

彼女は、フーリガンに対する持続的、防止的警察活動と、暴力的ファンに対する不屈の判決を組み合わせた、英国で成功裡に使用されたモデルを採用しなければならない。イスラエル国は、何十万もの人びと、その多くが若者に、熱心に注目されるそのスポーツの中で、人種差別と暴力の扱いがたい腫れものに変わる状態を認め得ない。

原文:Haaretz.com

アーカイヴ:フランスとマルハ・モールの間(03月28日)


 FIFAかUEFAが、IFAを除名するなら、そのときこそ、イスラエル・サッカーは変わることができるだろう。そもそもがアジア、パレスチナに建国されたイスラエルが、何故、アジア・サッカー連盟でなく、欧州サッカー連盟に属するのか。イスラエルの建国の仕方を見るなら、アジア諸国への憎悪をむき出しにするものだったから、アジア・サッカー連盟諸国が、イスラエルとの試合を望まない、はじき出されるのは当然としても、何故、欧州サッカー連盟が受け入れるのか。まあ、ナチスドイツの「罪滅ぼし」? スポーツは国際的競技大会を通した、国家の代理戦争と映らなくもない、そもそもがいかがわしい。そして文化・芸術もまた、国威発揚に利用される以上、いとも簡単にいかがわしいものになり得る。だからわたしは、芸術に携わりながら、あるいは携わるからこそ、芸術が「ボイコット」されるべきでないとは考えない。「ボイコット」される芸術が偉大なほど、ボイコットの効果も偉大になるけれど、じつはそれほど偉大な芸術が存在するわけでもない。だから、どこに立って表現するのかが問われることになる。


posted by mizya at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | report | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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