2012年04月04日水曜日
モーメン・ステイウィは恐らく、パレスチナの子どもたちが崇拝する英雄、WWEレスラー、ジョン・シナのシャツを持っており、顔の前で手を振りながら、シナの決め台詞「見えっこねえ!」と、彼らの甲高い声を界隈の通りでこだまさせる。
モーメン・ステイウィは、あまりに多く見てきたし、知っている。彼の集落、クフル・カッドゥームで、イスラエル軍の残虐と激しい抑圧を目撃するため、モーメンが戦争挑発のイスラミスト(あるいはつむじ曲がりにティーパーティアー)に成長するかもしれない機会 - いや、見込み - がある。
モーメン・ステイウィは、イスラエル人種差別占領国家の安全に対する脅威を代理する。見たところ、彼の精通する特質により、モーメンが敵基地攻撃の専門的青写真作成に関わってきたことはよく知られている。
したがって、世界で最も道徳的軍隊、イスラエル国防軍、第4の列強軍隊、民主主義と敬虔な光の指針の擁護者が、4月2日月曜日にモーメンを逮捕しようとしたことは、すべて完全な意味をなす。
問題は、モーメンが2歳半ということだ。
クフル・カッドゥームの民衆抵抗委員会調整者で小さなモーメンの父親、ムラード・ステイウィは、The Electronic Intifadaに、重武装のイスラエル兵士らが、月曜日の午後5:30、彼の家屋を襲撃したと語った。兵士ふたりが外に留まり、他のふたりが、モーメンを逮捕すると叫びながら家屋に入り込んだ。
「兵士らが、立っていた場所から突然動き出したとき、モーメンは家の中に行った。彼らは、マラソンでもしているかのように、とても速く切迫した、狂気の一団のように家に走ってきた」と、ムラードは語った。
兵士らは、モーメンが、核弾頭、あるいはサブマシンガンを所持していないが、世界で最も危険なアイテム - スリングショット(投石器、いわゆるぱちんこ:訳注)を所持していると主張した。
「もちろん、モーメンはスリングショットを持っていない!」ムラードは嘲笑した。「彼が持っていたとして、それが一体なんだろう? 彼は子どもだ」。驚きだ。
兵士らは、兵士らに向けそれを使ったのだからと、モーメンが(所有しない)彼のスリングショットを引き渡すことを主張して譲らなかった。その上、彼らは、モーメンに彼自身を彼らに引き渡すことも欲した。
ムラードのいとこ、バシャール・ステイウィもまた、その場に居合わせた。「家の中で兵士らは、武器を引き出し、家族に向けた」と彼は語った、「モーメンを引き渡さないなら、彼らは立ち去らないと脅して」。
声高な怒りの論争が、ムラード、騒動について知ろうとやって来た他の村人たち、兵士らの間で、30分続いた。兵士らは、占領の歴史にもうひとつの道徳的メルトダウンを固めて、その後立ち去った。だからといってそもそも、彼らが道徳的だったわけでない。
しかしよちよち歩きはどうか? 言うまでもなく、周りで起こっていることをモーメンは恐れていた。
「わたしに言えるのは、もちろん、彼はこれに影響される」とムラードは語った。「彼はとても恐れていた。彼は今、僅かによくなっている」。
(略:クフル・カッドゥームの民衆抵抗運動とイスラエルによるその弾圧)
モーメン・ステイウィ、2歳半の小さなあなたは、イスラエル占領軍の不条理、白痴的言動、恥ずべき性格に光を当てた。願わくは、ジョン・シナの力があなたと共にあらんことを。
全文:The Electronic Intifada