The Electronic Intifada ラファ
2012年04月20日
ガザ出身のマフムード・サルサクは、パレスチナ・ナショナル・サッカーチームのメンバーだ。しかし今のところ、パレスチナ人の心の主流を占めるのは、ピッチでの彼の武勇でない。25歳は、4週間のハンガーストライキ後、イスラエルの都市、ラムレの病院で重態だ。彼は、自由と公正を求めて食物を拒む多くの囚人のひとりである。
サルサクは、もはや3年間投獄されてきた。彼は、いかなる認識しうる犯罪でも裁判されることがなかったにも拘らず、サルサクの拘留は6ヵ月ごとに継続的に更新された。イスラエル国内諜報機関、シャバク(シンベトとしても知られる)は、サルサクが「違法戦闘員」法の下、投獄されると主張してきた。
「わたしの知る限り、マフムードは、この法律にさらされる唯一のパレスチナ囚人だ」と、サルサクの弁護士、ムハマド・ジャバリーンは語った。「違法戦闘員法は、アフガニスタンへの戦争に向かった直後、米国がグアンタナモ湾に投獄した、アルカーイダ・メンバーを疑うもののために導入された米国法の、イスラエルのコピーかヴァージョンだ」。
ジャバリーンは、イスラエルが、2005年にガザからその入植地撤退を決定した後、ガザに「違法戦闘員」法を適用したと説明した。
「わたしたちが、マフムードに対する何の告発を彼らが有しているのかシャバクに尋ねる度に、彼らは、彼がテロ組織との接続を持ち、マフムードがイスラエル国家のセキュリティに深刻な脅威をもたらすと言う」と、ジャバリーンは語った。
イスラエルからの応答はない
サルサク家族の家は、エジプトとのガザ国境に近いラファの路地にある。彼の両親と兄弟たちは、刑務所に彼を訪ねることを許されなかった。
「わたしの家族は、マフムードが、イスラエルにより投獄されるなどと想像だにしなかった」と、彼の兄、イマドは語った。「なぜ、本当になぜ? これが、イスラエルがマフムードの弁護士にさえ、まだ明確に答えていない疑問だ。わたしの弟は、情報技術を学ぶため大学に登録された。マフムードが投獄されたとき、彼は僅か22歳でもっとスポーツ活動することを切望していた」。
2009年7月、ガザ回廊北部のエレツ検問所のイスラエル兵士らは、マフムード・サルサクを、西岸のパレスチナ・ナショナル・サッカーチームに加わる途中、拘留した。マフムードの旅程は、パレスチナ自治政府市民業務により調整され、イスラエルは、エレツを通過する彼への許可を発行していた。しかしそれは、兵士らが彼を逮捕するのを止めなかった。彼は、ネゲヴ(ナカブ)砂漠に拘留されてきた。
「マフムードは、幼い子どもだったときから、サッカーを好んできた」とイマドは語った。「14歳のとき、マフムードは、ここ、ラファの地元チームに加わった。17歳でマフムードは、ノルウェーの競技に参加した。そして、ティーンエイジャのパレスチナ・ナショナルチームに加わってイラクに旅した」。
昨年、パレスチナ・スポーツクラブ何十もが、UEFA(欧州サッカー連盟)の長、Michel Platiniに、2013年の21歳未満競技をイスラエルで開催する組織の決定に狼狽を表明し、イスラエルがパレスチナ運動競技コミュニティに対して遂行する多くの虐待のひとつとして、サルサクの恣意的拘留に言及する書簡を送った。
最愛の息子(略:家族や友人の証言)
全文:The Electronic Intifada
アーカイヴ:イスラエル・サッカーに関する暴力 - 2題、報道と社説(04月06日)
:FIFA:イスラエルへのレッド・カードを促される(2009年10月16日)
:イスラエル軍:ガザからの西岸への途中、サッカー選手を拘束(2009年07月26日)
イスラエルは、あまりにアジア諸国に敵対的なために除名されたが、そもそもアジアサッカー連盟に所属していた。因にパレスチナはアジアサッカー連盟のメンバーである。そのパレスチナに建国された人造国家、イスラエルが、アジアサッカー連盟から除名されたにしろ、UEFA(欧州サッカー連盟)は加盟を許すべきでない。イスラエル国自体をヨーロッパに引き取るつもりなら、まあ、話は別だけれど...