LONDON − The Globe and Mail
2012年08月08日水曜日
彼女は、指の爪それぞれに小さなパレスチナ旗をペインとして出てゆき、彼女の生涯最良の800メートルを走った。
パレスチナのウルード・サワルハは、オリンピックで、世界のベスト・ランナーたちに遅れずについていくことはできないと知っており、水曜日の予選の勝利者に21秒遅れて終った。しかし、彼女はふたつの目的でロンドンに来た;これまでより速く走ることと、パレスチナ女性の先例の先駆けとなること。彼女は両方を成し遂げた。
トラックで、彼女のベストタイム、2:40.12を破り、彼女は、2:29.16で走った。「わたしの目標は、わたし自身とパレスチナのため新記録を作ること、それができた」と、彼女は、予選後、通訳を介して語った。
先例の先駆けに関して:「わたしの両親がレース前、わたしに電話してきて『パレスチナ人すべてが見ており、あなたがいい結果を得るよう望んでいる』と言った」と彼女は語った。「わたしは将来、よくやることを望みます。このオリンピック大会はわたしの第一歩です」。
西岸、ナブルスの20歳の大学生は、長袖のブルーのシャツ、長いパンツ、白いヒジャブで走った。彼女は、オリンピックで、前に女性選手を派遣したことのないパレスチナのため競技する女性ふたりのうちのひとりだ。彼女は、彼女のヒジャブをパレスチナ旗でなにかしら飾ることを考えたが、代わりに爪に貼付けたと記者に語った。
国際オリンピック委員会 (IOC) は、パレスチナとイスラエルの和平合意に続き、1993年、パレスチナ・オリンピック委員会を承認した。3年後、アトランタで、パレスチナはオリンピックで初めて競技した。
トレーニングは、イスラエルにより課される旅行制限のため、前に練習する場所を見つける困難について話したサワルハにとり簡単ではない。パレスチナとイスラエルのオリンピック委員会は、今年、パレスチナ選手やコーチたちのための旅行手配がうまくいくよう、2度ほど会談した。これまでのところ、合意に至っていないが、サワルハは、彼女とパレスチナ選手仲間が、大会のためロンドンに到達するのに問題なかったと語った。
ロンドン・オリンピックは、パレスチナ・イスラエルの選手たちにことさら神経質だ。大会は、イスラエル選手11人が、ミュンヘン・オリンピックで、パレスチナの攻撃者たちにより殺された40年後にめぐってくる。IOCは、ロンドン大会で1分の黙祷で死を知らせるよう激しい圧力下にあったが、組織は拒絶した。
サワルハが水曜日の予選を終えた後の瞬間、800メートルのもうひとつのラウンドで、サラ・アッタルが、サウジアラビアのためトラックで競技する最初の女性となったとき、歴史はつくられていた。
サウジは、そのチームに女性を含めるよう、IOCからの圧力下にあり、結局、国はふたりを含めた;アッタルと、柔道選手、ウジュダン・アリ・セラジュ・アブドゥルラーヒム・シャフルハニ。サウジは、先週、シャフルハニ、16歳が、ヒジャブで競技することを要求して、論争を引き起こした。柔道連盟は最初拒絶し、そして次に和らいだ。シャフルハニは、改造版ヒジャブを着用し、2分もかからず彼女の唯一の一番に負けた。しかし、彼女が柔道マットを離れると、何百人もの記者に取り巻かれ、彼女はメディアのセンセーションとなった。
アッタル、19歳は、同じ注意を殆ど引きつけなかった。彼女は、長袖のシャツ、パンツ、ヒジャブで走り、予選は、2:44.95、最下位に終わった。レース後、僅か一握りの記者が彼女に会い、彼女は殆ど話さなかった。
「ここにいるというだけで信じられない経験です」と、彼女は立ち去る前に語った。アッタルは、サウジとアメリカの市民権両方を持ち、ロサンジェルスのペパーダイン大学の学生だ。
アッタルとサワルハどちらも、しばしば標準記録を満たしていない開発途上国の競技者たちに場所を解放するIOCの特別招待を通じて大会で競技した。
原文:The Globe and Mail
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