2012年03月18日

AICVideo:新リフタ

2012年03月06日火曜日
ALTERNATIVE INFORMATION CENTER (AIC)

およそ1,000人 -- 元来、エルサレム地区、リフタ村出身のパレスチナ難民と彼らの子孫 -- が、現在、ヘブライ大学の隣の小さなコミュニティに住む。一貫して建築許可を拒まれ、地方自治体の圧力下、住民は、離れるつもりはなく、ある日、リフタそのものに戻る希望を捨てていないと語る。


aicvideo

原文:ALTERNATIVE INFORMATION CENTER (AIC)

アーカイヴ:国連はリフタ保存を今行動すべき(2011年12月06日)
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2012年03月02日

シュハーダ通りを開放せよ - コベント・ガーデン検問所 - 2012年2月25日


ectomorfoo
2012年02月26日

2012年2月25日、アルハリール(ヘブロン)のシュハーダ通り再開を要求して、抗議が、ロンドン中心、コベント・ガーデンで開催された。

この抗議は、アルハリールのイブラヒミモスクでの朝の祈りで、ユダヤ人過激派が、パレスチナ人参拝者29人を殺害し125人以上を負傷させた、バルーフ・ゴールドシュタインによる大虐殺の18周年記念に組織された。

アルハリールは、市街のホテルの部屋に立てこもって、離れることを拒絶した最初の宗教入植者らが、イスラエル軍になだめすかされ、近くにキリヤト・アルバ入植地を与えられた1969年以来、イスラエル占領下に置かれてきた。

10年後、行為は放棄された病院で繰り返され、このときイスラエルは、不法占拠者らがアルハリール市街に入植するのを認めた。

アルハリールのパレスチナ人の生活に対する制限は、バルーフ・ゴールドシュタインの大虐殺後、加速した。

アルハリール旧市街中心からのパレスチナ人とその暮らしの追放は、その地区が1997年にイスラエル支配H2となった後、制度化のプロセスとなった。

現在、少なくとも入植者500人と、少なくとも兵士2,000人が、アルハリールと西岸南部全体双方の経済的中心、シュハーダ通りを閉鎖してきた。

1980年代に始まり、第二次インティファーダ後に最高点に達するシュハーダ通りの段階的乗っ取りは、かつての忙しい市場をゴーストタウンに変え、住居1,000棟以上、店舗1,800棟以上の(しばしば強要的)放棄を引き起こした。


 あなたの自宅の通りが封鎖され、軍により扉が熔接されたなら、あなたはどうするだろう。わたしの場合、アパートの2階のテラスから縄梯子を下げて庭に降り(3階でなくてよかった)、玄関と反対の通りに出ることになる。アーカイヴは、シュハーダ通りに面する扉が、イスラエル軍により熔接された、パレスチナ老婦人の、建物を昇り、屋上から別の建物に移り、違う通りにたどり着くまでの過程を追ったヴィデオである。

アーカイヴ:仮にあなたがこのサイトに何か見るなら(2010年07月13日)
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2012年03月01日

パレスチナ人家庭を襲撃する兵士ら:「我々は平和を望む」

2012年02月28日火曜日
ハガイ・マタル

ナビ・サレの新ヴィデオが、活動家、ビラール・タミミの家庭への真夜中襲撃を示す。兵士らは、子どもたちすべてをそのベッドから引出しながら - 彼らが平和を望むだけと主張する。

民衆闘争のパレスチナ活動家たちの家への夜襲は何も新しくない。定期的にデモンストレーションが開催されるそれぞれすべての村の人びとは、ある時点、あるいは別の時点で、時々(家具など)上下逆さまにされ、時々逮捕を引き出し、しかししばしば侵入と威嚇のためだけに、真夜中、彼らの家庭が襲撃に見舞われ得ると知っている。ビリンのようなある村で、兵士らは、スタン弾や催涙ガス手投げ弾を前庭の中に投げながら、夜、通りを歩き回るだろう。Noam Sheizafが最近書いたごとく - それは占領のもうひとつの日課に過ぎない。

村民自身により撮影されたこれら襲撃のヴィデオ記録は、頭から爪先まで武装した大集団で、市民の家庭を通してパレードしながら、兵士らが、考え業務する方法の異様な外観を与える。日曜日と月曜日の間の夜起こった襲撃の間、彼自身の家庭で、ビラール・タミミにより撮影された最新のヴィデオで、兵士らが家に入り、住人すべてを1部屋に集めるよう求めるのが見られる。こんなことを何故するのか尋ねられて、作戦を主導する士官の驚くべき返答:「もちろん。我々が平和を望み、お前たちが我々の道路にいつも石を投げるからだ」、そして後に「訪問のため」だけに来たと付け加える。


tamimi1966

(略)家屋の短い捜査をパフォーマンスしながら、兵士らは、軍がデモンストレータに発砲し、しばしば記録に活動家たちにとっておかれる、標準催涙ガスキャニスタの空き缶を見つけて喜ぶ。過去に、ビリンのアブダッラ・アブ-ラフメは、もちろん実際の武器として役立たない - そのような蓄えを持っていたため、武器の違法所持で実際に告訴された。

ヴィデオの最後で、士官はまた、通学鞄を調べ、子どもたちふたりに「禁止されているものを何か」持っていないか質問し、家族に「よい夜を」と挨拶して立ち去るのが見られる。別の家に入って、婦人が彼らに、彼女はひとりであり、これは彼らが彼女の家に来る20回目と、彼らに告げたとき、兵士らの誰かがタミミの撮影を止める。

襲撃日課のこの短い覗き見で最も驚くべきことは、兵士らの自己認識の明白で完全な欠如だ。真夜中、家族の家の中に立ち、幼い、あるいは老いた市民に銃を向け、彼らは自然に、そして行儀よくさえ振る舞おうと試みる、そしてもちろん - すべて平和のための彼らの偽らざる意図の名で。

全文:+972


 画面のYouTubeの文字をクリックすると、YouTubeでこのヴィデオを見ることができる。説明文はないが、投稿されたコメントを読むと:
イスラエル士官が子どもに:「座っていろ、恐れなくていい」
子ども:「ぼくは座っていたくないし、恐れてもいない」
と、ある。
上の記事で紹介されている英語での会話、士官が「お前たちが我々の道路にいつも石を投げるからだ」と言ったとき、(おそらく)タミミは「どの道路だ?」と訊ねる。「あそこを下ったあそこ」とか士官が説明すると「あの道路はわたしたちの道路で、君たちのでない」と応える。

アーカイヴ:軍により撃たれた使用済み催涙ガス弾の展示がイスラエル軍事裁判所でビリン活動家に兵器告発をもたらす(2009年12月24日)
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2012年02月29日

別離日記


Boujabel

2012年02月23日

2012年1月11日、イスラエル最高裁判所が、市民権とイスラエル入域法 -- 2003年(可決の年:訳注)を支持した。この法律は、イスラエルのパレスチナ・アラブ市民が、イスラエルで、被占領パレスチナ領域、あるいは「シリア、レバノン、イラン、イラク」と定義される「敵国」のパレスチナ人配偶者と共に生活するのを、厳しく制限する。何千ものパレスチナ人家族が、この法律に影響を受け、外国への移住か、別居か、あるいはイスラエルに違法に共に住むことを強いられる。

編集・監督:サリーム・アブジャバル
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2012年02月16日

ヴィデオ:アイルランドのハンガーストライカー、故フランシス・ヒュー家族からのハデル・アドナーンへの連帯

アリ・アブニマ
2012年02月15日水曜日


GazaTVNews

フランシス・ヒューは、1981年5月12日、ハンガーストライキの59日後、ベルファストのMaze刑務所で死んだ。彼の兄弟、オリヴァー・ヒューは、イスラエル刑務所で60日間ハンガーストライキをしてきたハデル・アドナーンへの、この連帯ヴィデオメッセージを送った。

アドナーンは、刑事告訴も裁判もなく、イスラエルにより捕らえられている。今日早く、重病のアドナーンが、ベッドに繋がれて捕らえられている病院前での抗議で、彼の父親、ジハード・アドナーンは、国際的介入を求め、彼の息子の精神は強いと語った。

フランシス・ヒューは、ハンガーストライキで死んだアイルランド共和主義囚人10人のうちのひとりだった。他は、ボビー・サンズ、レイモンド・マクリーシュ、パツィ・オハラ、ジョー・マクドネル、マーティン・ハーソン、ケヴィン・リンチ、キーラン・ドハーティ、トーマス・マケルウィー、マイケル・デヴィンだった。

原文:The Electronic Intifada

アーカイヴ:パレスチナ人ハンガーストライカー救出を求める署名(02月13日)
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2012年02月10日

アブニマがボイコット会議の「転機」強調

Philip Weiss
2012年02月06日



ぼくは、ペンシルバニア大学の不買-脱資BDS会議から戻ったばかりで、この数日、それに関する多くの情報を記入しなければならないだろう。ぼくは、アリ・アブニマの、会議の多様性と肯定的調子を強調した、土曜日の基調講演から始めなければならない。彼は、無数の異なる背景をもつ300人以上で溢れるホールに話しかけた。ホールには自由の強い感覚があった。アブニマの報告はここ

(略)

全文:Mondoweiss

アーカイヴ:世界がペンBDS会議を待つとき、卒業生寄付者の脅迫とさらにナチへの類推(02月06日)


 アブニマの基調講演と質問応答は1時間30分に及ぶ。
 アブニマの報告で、反-パレスチナ映画製作者がCBC「記者」を騙って、インタヴュを申し込んできたときのことを読むと(上記記事「報告はここ」をクリック)、これが結構笑える。カナダのCBCが来るだろうかとアブニマも驚いたと書いている。脱原発デモンストレーションでも、外国メディアに混じってNHKと記したカメラも見かけるけれど、放映されないことの方が多いから、まあ、そんなこともあろうかとアブニマも思ったらしい。マイクをつけられてインタヴュが始まると「質問」がおかしい、とてもプロフェッショナルな記者とも思えない。マイクを外し、撮影の使用許可に署名しないで部屋をでた。この明らかにおかしな「質問」が抱腹絶倒させる。
「さようなら原発」デモは明日。
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2012年02月06日

イスラエルアパルトヘイト週間:あるがままに呼ぶ

Adam Horowitz
2012年02月03日


neverbeforecampaign

今年のイスラエルアパルトヘイト週間のための「かつてなキャンペーン」の新作ヴィデオ。ヴィデオの YouTubeページ

アパルトヘイトのひとつとイスラエル政権を名指すことはレトリックでなければ、誇張でもプロパガンダの手段でもない。イスラエル政権が、法律、実践、教育、そして生活の殆どの様相を通した、差別に基づく、これは、パレスチナの今日の現実である。このアパルトヘイト政権は、パレスチナにいる人びとに負わせるばかりでなく、パレスチナ難民何百万人にも、間違った宗教の側にいるので、その帰還権を拒絶した。

世界中の意識が、パレスチナでのイスラエルアパルトヘイト体制に関して、増加し続け、この様相の努力それぞれが、歴史のこの恥ずべきページの結論を加速するため支援するだろう。そして、この意識が高まるとき、この政権への不買・脱資・制裁運動は、非常に有効で自然な反応を提供する。世界は、南アフリカのケースで、同様の応答を起こし、実を結ぶのを目撃し、パレスチナのケースでも同じことが起こるだろうと思う非常に十分な理由である。

原文:Mondoweiss
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