2011年05月21日

レバノンの日曜日のナクバ行進の感動の拡張フィルム

maureen
2011年05月18日水曜日

‪يوم النكبة ‬ مارون الراس، ‪ حدود لبنان-فلسطين from Andrew Bossone on Vimeo.



レバノンでの日曜日のナクバ行進の19分の新ヴィデオは、その日の感動的シーンを示す。

レバノン南部へのバスに乗って、人びとはその顔にゆるやかな微笑を浮かべ談笑する。道に沿い、女は解放された南部の戦車の前でポーズする。他のものは旅行者に正しい方向を指し示す「パレスチナ、2キロメートル」と示す道路標識の前で写真を撮る。

(略)

若者たちは、彼らの故国を見ようと嬉々として国境に走る - 彼らの多くにとって、彼らが自身の眼でパレスチナを見るのは初めてだ。レバノン軍兵士たちは、彼らの何人かを追いかけ掴んで、彼らを妨げようとする。

(略)

Moe Ali Nayelが、EIの彼の記事で行進について言及した、マルセル・ハリーフェとジュリア・バトゥラスの「Wayn al-Malayeen」のサウンドトラックで伴われる - ヴィデオは、砲火によっても阻止できなかった、若者が国境に向かって石を投げるのを示す。旗とクーフィーエが有刺鉄線フェンスに掛けられ、そして男たちの集団は、国境沿いで祈り、一方他の場面は、医療関係者が負傷者の看護するのを示す。

全文:The Electronic Intifada

 祖国に未だ立つことができない彼らにとって、彼らの手が触れた石が、祖国にあると考えることは幸福に違いない。
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2011年05月19日

ナビ・サレ 2011年5月13日

2011年5月13日


tamimi1966

 画面クリックでYouTubeにアクセスする。なぜか年齢制限がかかっている。イスラエルにとって都合が悪い映像らしい。なにしろ「世界一道徳的軍隊」と宣伝しているから... まあ、原発を「絶対安全」としてきたのと似ている。
ラベル:イスラエル兵
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2011年05月14日

パレスチナに戻れ

2011年05月12日

2011年5月15日 - ナクバに通りに繰り出せ


neverbeforecampaign

毎年5月15日、パレスチナ人と全世界は、すべてがどう始まったのか思い出す。イスラエルによる人びとへの民族浄化と社会崩壊 - ナクバ - が、いかにグローバルな無関心で迎えられたか。多くの要素がそれをなしたが、中でも、攻撃的アラブ人やパレスチナ人に対する独立戦争として、1948年のパレスチナで犯された犯罪を描いたシオニスト宣伝機関があった。

パレスチナ人や他のアラブの人びとが、パレスチナでの人種差別的体制の設立に抵抗したことは真実だ。そして、彼らはまだしている。それは普通なだけだ。もし誰かが、パレスチナ人民に対してなされた不正の広がりを理解するなら、なぜ正義の追求にそれほど断固としているか尋ねさえしないだろう。そしてもし誰かが、パレスチナ闘いの歴史を知るなら、この民族が、回復をそれほど切望してきた正義を見るまで、あらゆる形態で抵抗し続けると気づくだろう。

2011年5月15日、パレスチナでの正義のため、世界は、抵抗する民族への理解・連帯・支持を表明するよう… そして、そうし続けるよう誘われている。

原文:Palestine Monitor
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2011年04月24日

国際組織と地元組織40以上が「市民平和業務ガザ」開始

2011年04月22日

2011年4月22日| Civil Peace Service Gaza

4月20日水曜日、11時30分 (現地時間) 、国際組織と地元組織40以上が、パレスチナ水域での潜在的暴力を報告する人権監視任務に着手した。

パレスチナ海域での国際的非暴力第三者機関、Civil Peace Service(市民平和業務)配備は、単一組織のイニシアティヴでなく、多くの(組織)努力でなされたプロジェクトだ。


safappa

それは、パレスチナ人漁師たちにより表明され、パレスチナ人権センターのような地元組織、国連の顧問的地位の組織、農業組合委員会などにより特定された必要性への応答として現れた。これらの集団は、オスロ合意 (1994) で確立された元来の20海里から3海里に縮小された、イスラエルにより課された制限域内でさえ、パレスチナ漁船が被る継続的攻撃を糾弾する。

任務を維持する船、オリヴァの着手は、民衆闘争調整委員会により組織された、ビリンのパレスチナ民衆闘争に関する第6国際会議の活動の一部だった。多くの国際・地元メディアがイヴェントを報じた。国連開発計画上級代表団、国際連合教育科学文化機関、ヨーロッパ領事館20以上が、進水式に出席した。

(略)

全文:International Solidarity Movement

アーカイヴ:ガザの「オリヴァ」: パレスチナ海域で人権監視する国際船進水(04月19日)
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2011年04月20日

ヴィットリオ・アッリゴーニ


palrivaldo

2011年04月18日

関連記事:「Carlos Latuff:分割されて、パレスチナ人は弱い」Palestine News Network
2011年04月17日

ベツレヘム – C. Martin/PNN 独占 - Carlos Latuffは、ブラジル人政治風刺漫画家で、その仕事の多くが、イスラエル-パレスチナ闘争に焦点を合わせる。イスラエルの政策に向けた彼の批判的アプローチは、かなり大きな論争を起こした。

carloslatuffarrigoni.jpg
by Carlos Latuff

何故あなたは、イスラエルとパレスチナとの闘争に向け、そのようなあなたの仕事のかなりの部分を捧げるのか? あなたはどのようにこの問題に関心を持つようになりましたか?

わたしは、1999年に西岸で15日を過ごし、わたし自身、パレスチナの人びとが、イスラエル・アパルトヘイト下でどのように生活しているか見ましたから。自由のための闘いは、世界中の多くの人びとの歴史的闘いだ。奴隷制、アパルトヘイト、民族浄化、侵略戦争、植民地化。 世紀に伴い、人類は、弾圧され、自決のため闘う人びとを目撃してきた。弾圧があれば抵抗があります。パレスチナ問題は、わたしたちの日々に重要な闘いで、歴史上の他の闘いにとても似通った要素がある。あなたが自由のために闘うなら、あなたはパレスチナ人です。

(略)

ハマースやファタハといったパレスチナの政治家や指導者が、この闘争で持っている責任は何だと思いますか?

ハマースとファタハに関して、わたしが言うべきすべては、パレスチナが分割されるのを見るのは残念ということです。周知の「征服するための分割」の原則に従い、米国とイスラエルは何とかパレスチナを分割した。分割されて、パレスチナは弱い。

地域での最新事情、特にジュリアーノ・メル・ハミスとヴィットリオ・アッリゴーニの殺害に関するあなたの姿勢は何でしょう?

イスラーム聖戦からアル・アクサー殉教旅団まで、ISMのような尊敬されている支援組織の活動家を誘拐し殺す武装のパレスチナ集団を、わたしは想像できない。ヴィットリオの死を喜ぶ唯一の人びとは、入植者らと軍、ネタニアフと、わたしは確信しています。



     「ヴィットリオは今ほど多く生きたことはなかった」Salem-News.com
2011年04月17日
エジディア・ベレッタ・アッリゴーニ、ヴィットリオ・アッリゴーニの母親

次の小艦隊でガザに向かうヴィクのおかあさんからのことば

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ANGELI VOLATI VIA's Website

(ローマ声明)- あなたは、英雄になるため、新聞の第一面に現れるため、家の外でさえテレビを見るため(? - 原文参照)、あるいは人間としてあるために死ぬため、死ななければなかったの?

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エジディア・ベレッタ・アッリゴーニ

わたしは、2005年のクリスマス、彼の脈拍を断ち切った手錠の傷跡、領事館との接触の拒否、茶番の裁判、ベングリオン空港で投獄された時のヴィットリオを思い出します。

(略)

確かに今、わたしは、新聞やテレビ局に、彼らがきちんとした方法でわたしたちに近づき、行き過ぎなしに丁重に我が家を「占領」し、彼らが、ヴィットリオと彼の望んだ理想について話す可能性をわたしに与えたことを感謝できるのみです。

この失われた息子は、今、前になかったほどとても多く生きており、あたかも大地で成長したり死んだりする種子のように、繁栄の果実を生むでしょう。(略)

今や、刻々と成長する彼の活気ある存在は、ガザからの、彼の愛した地中海からの風に似て、広く吹いており、声なく弱く弾圧されるそれらへの、彼の希望、彼の愛を、わたしたちに運び、わたしたちを証人となすのです。
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2011年04月19日

ガザの何百人もがイタリア人活動家を讃える…


nocommenttv

2011年04月18日

何百人もの人びとが、ガザ回廊でのイタリア人活動家の葬列に参加した。ヴィットリオ・アッリゴーニは、戦闘集団による誘拐に続き、殺され見捨てられた家に残された…

関連記事:「Michael Jansen:ヴィットリオ・アッリゴーニ殺害」The Gulf Today

2011年04月17日

ハマースは、木曜日、ガザ市の誰もいないアパートでその遺体が見つかったイタリア人人権活動家、ヴィットリオ・アッリゴーニの誘拐と殺戮のイスラエルの間接的責任を非難してきた。イスラエルは確かに、非難の多くを生む。イスラエルが、懲罰的攻囲と封鎖を沿岸回廊に課さなかったなら、アッリゴーニが、150万パレスチナ人の過酷な扱いに抗議するため、ガザに行くことはなかったろう。(略)

アッリゴーニと他のものたちは、ガザの事実上の首相、2007年、回廊支配を奪ったハマースのイスマイール・ハニーエにより、名誉パスポートを与えられた。彼らの滞在中、ハマースは、浜辺に面した最良のホテルを提供し、そのライバルのファタハやイスラエルが活動家たちに危害を加える恐れから、警備を提供した。

Free Gaza運動は、活動家たちと医療品を運ぶ、回廊へのいくつかの他の船旅をし、最後のが、2008年10月末だった。アッリゴーニは、その旅で回廊に行き、12月27日に始まり、2009年1月18日に終わった回廊へのイスラエルの戦争を通して留まった。(略)

エルサレムに集まったものの、イスラエルからもエジプトからもガザ入域を許可されなかった500人以上のジャーナリストの多くが、救急隊員と共にヴォランティアし、他の戦争業務を引き受けるISMメンバーとの希薄な携帯電話接続で受け取るニュースに依存した。この闘争の前後、アッリゴーニは、オスロ合意で定められた20海里制限の中で、彼らの網を打とうと、ガザの漁師たちと海に出た。

過去数年間にわたり、イスラエルは、許可された漁業水域を、6マイルに、そして3マイルに縮小した。(略)

多くが、撃たれ、負傷させられ、殺され、それが続いている。「インタナショナルズ」の存在が、イスラエル人射手らを阻止する。アッリゴーニはまた、ブログや、イタリアの新聞社のために記事を、ひとたび戦争がおさまると、ガザとその人びとに関する本を書いた。

彼の友人は、イスラエルが彼の死に関与したと信じている。(略)

アッリゴーニの暗殺に関してなされるべき質問は:cui bono? 利益を得るのは誰か? Salafisではない。ハマースが鉄拳で彼らを打つのは間違いない。ハマースではない。(略)

歓迎するパレスチナ人の中で安全と感じてきた外国人活動家たちは今、彼らの仕事を進める時、彼らの安全を疑問とするかもしれない。

イスラエルはしかしながら、Salafisが、ガザに自身を現す - 西側世界の現在の敵対運動 - アルカーイダに繋がると、その結果、攻囲と封鎖は続かなければならないと主張できる。イスラエルは、Salafisの成功を許可するとされるハマース追放は続かなければならないと主張もできる。Cui bono(利益を得るのは誰か)はまた、メル-ハミスの殺害に関しても尋ねることができるが、それはもうひとつのストーリーだ。
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2011年04月13日

子どもたちがイスラエル軍に起こされる

2011年04月08日金曜日

アンナビ・サレ村は、高速道路465号沿い、ラマッラの北東30キロメートルに位置する。毎週のデモンストレーションは、アンナビ・サレの向かい側に位置する、違法なイスラエル入植地、ハラミシュ (Neve Zuf) による、パレスチナの土地の違法な強奪に抗議する。フィルムは、ナビ・サレの子どもたちを脅すイスラエル軍の新手法を示す:兵士らが真夜中、家に入って10歳以上の子どもたちを起こし写真に撮って立ち去る。


DCIPS

原文:Palestine Video
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