2012年05月15日

コービー・ブライアントが投獄のパレスチナ・サッカー選手だったらどうか?

Dave Zirin
2012年05月10日

米国バスケット・チームのメンバー - コービー・ブライアントとしよう - が、国際トーナメントに旅していただけで、外国政府により逮捕され、裁判も、彼が投獄された罪を聞かされることさえなく、3年間刑務所に捕らえられたと想像してください。コービーが家族や友人たちの訪問を認められなかったと想像してください。彼が、頼みとするものなく残され、ハンガーストライキを続けることで、彼自身の肉体的健康を終らせることにより、選手としてのいかなる将来の展望も事実上終ると、想像してください。見込みはわたしたちが気づくだろうこと、そうでしょう? 見込みは物語がスポーツ・センターを率い、世界中で新聞報道させるだろうこと。見込みは強力な国際的スポーツ組織すべて - IOC、FIFA - が、投獄する国をコービーが解放されるまで社会ののけ者として扱うだろうこと。そして見込みは、レイカー嫌いさえ「コービー解放」と書かれたバッジをつけるだろうこと。

これは、パレスチナ・ナショナル・サッカーチーム・メンバー、マフムード・サルサクに起こったことだ。ガザ回廊、ラファ出身のサルサクは、西岸でのナショナルチーム試合に行く途中、検問所で逮捕された。2009年7月だった。その日以来、25歳は、裁判もなく刑事告訴もないまま捕らえられてきた。彼の家族も友人たちも、彼との面会を許されてこなかった。イスラエル政府の目に、サルサクは、無期限に投獄され得る、というのも、彼らが彼を「違法戦闘員」と思うからだが、誰も - 家族も、友人たちも、コーチたちも - もうろうの最たる理由が判らない。今、サルサクは、その条件と市民的自由の欠如に抗議してハンガーストライキするパレスチナ囚1,500人以上のひとりだ。先週、ニューヨークタイムズが書いたように、「パレスチナ問題の最新のヒーローは、石を投げる、あるいは自動小銃を振り回す逞しい若者たちでない。彼らは、イスラエル刑務所の中で、自身を飢えさせる、手首に鎖され、やせ衰えたおとなたちだ」。

しかし、サルサクをメンバーと主張した、あるいは彼の解放のため激しい要求を発表した組織はなかった。わたしたちにあるすべては、どちらも彼の無期限拘留に当惑し途方に暮れる、家族とチームだけだ。彼の兄、イマンは、「わたしの家族は、マフムードがイスラエルにより投獄されるだろうとは想像だにしなかった。なぜ、本当になぜ?」。

その執念が政治でなくサッカーだった誰かが、どのように標的とされうるのか、そうした仕方で捕らえられるのか、彼の家族は理解しない。しかし、今日のイスラエル/パレスチナで、サッカーは政治である。サルサクは、イスラエル政府により、ハラスメントどころか死のために選び出された最新のパレスチナ選手に過ぎない。2009年、ナショナルチーム選手3人、アイマン・アルクルド、シャディ・スバーヘ、ワジェ・モシュタへが、ガザへの爆撃で殺された。パレスチナ・サッカー協会の事務所同様、国立競技場もまた、ガザ爆撃で標的とされ破壊された。加えて、2012年、そのゴールキーパー、オマル・アブルワイイスが、イスラエル警察により「テロリズム罪」で逮捕された。ナショナル・チームを貶めるなら、常にナショナル(国民・国家)があるとの考えを貶めることができる。

(略:長い、アーカイヴ記事参照)

全文:The Nation.

アーカイヴ:サッカー行動主義集団が投獄のパレスチナ人サッカー選手とすべてのハンガーストライカーに連帯(05月13日)


 イマジネーションが欠落しているからこそ、わざわざ、米国NBA、ロサンゼルス・レイカーズのスター選手になぞらえるのだろう。ハンガーストライキするサルサクは、現在25歳、3年間投獄されてきたのだから、22歳から25歳まで、サッカーボールに触れることもピッチに立つこともできなかったことを意味する。ハンガーストライキする前から、サッカー選手としての将来の展望など既に残っていないと、サルサクは考えたに違いない。

 どうしてひとは、イマジネーションをそれほどまでに欠落させたのだろう。イマジネーションを欠落させなければ、とても生きてはいけないほど、社会が過酷だからだろうか。東京電力の原発事故での福島の嘆き、原発など立地させるのでなかったとの後悔を、TVの画面で目にするにも拘らず、大飯では、原発から収入を得る1000人、2000人のために、原発再稼働を求める。事故になれば、原発から収入を得る1000人、2000人の被害、補助金を受ける大飯の被害に留まらない。50万人、100万人が、家を、土地を、生業を失うとき、大飯は彼らに何も補償できない。補助金漬けの大飯が、麻薬患者なら、政府は麻薬売人といったところだ。東北電力管内につくられた東京電力の原発基地となった福島に要求されるのは、放射能汚染物質の「中間貯蔵」だが、関西電力管内の大飯は、ひとたび事故が起こったなら、そのまま「最終処分場」となるだろう。それがイマジネーションというものだ。福島から東北にばらまいた東京電力の放射能汚染は、東京電力管内、関東圏が引き取るべきもの、最終処分場はもちろん、関東圏内につくられなければならない。それを拒絶するならその前に、原発を拒絶しなければならない。

 イスラエルによるサルサク投獄を非難することなく、イスラエルを受け入れている欧州サッカー連盟(UEFA)、加盟国、パレスチナのナショナルチーム選手、サルサクの即時解放を要求できないアジアサッカー連盟(AFC)、イスラエル・サッカーの人種差別的フーリガンを見て見ぬ振りの国際サッカー連盟(FIFA)、揃いも揃って、サッカー自体を貶めている。それもまた、イマジネーションの欠落だ。
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2012年05月14日

「残された唯一の息子」に連帯してハンガーストライキする初老のガザの男

シャーフド・アブサラーマ
2012年05月10日木曜日

パレスチナ政治囚のための座り込みテントは、赤十字国際委員会からガザ中央の「無名戦士」像近くの中央公園に移された。それは僅かな緑の場所のひとつで、したがって、人びとが彼らの暗い家から逃れ、楽しみと気晴らしを求め、あるいは単に人びとを眺めるための、ガザで最もにぎわう場所のひとつである。

しかしながら、座り込みテントは、4月17日以来、大規模ハンガーストライキにあるわたしたちの政治囚に連帯のメッセージを送り、アラブ・国際社会と、人権・民主主義・公正を要求し続ける、しかしわたしたち囚人のこととなると何もせず彼らが死ぬのを眺めている人権組織すべてに、怒りを示すよう意図される。

連帯は、蠟燭を灯す、行進、さらに創造的演劇上演、歌、詩、ダブケ・ダンスといったような多くの形をとっている。ガザの座り込みテントで、元囚人たち同様、囚人たちの妻、親、姉妹を含む、男50人と女45人が、5月2日以来、拘留者たちに連帯する象徴的ハンガーストライキを行ってきた。昼も夜も抗議する、テントは、イスラエル刑務所内でハンガー革命が続く限り、彼らのシェルターである。

健康悪化

家にいるよりもっと連帯テントで毎日を過ごし、わたしは、その健康状態が悪化し始めたハンガーストライカーの殆どの事例を目撃してきた。いくつかの事例は、低血圧か高血圧のため病院に送られ、人びとの多くが気を失うか、情緒的に崩壊した。救急車と医師たちは、テントを常勤とするかのように、もはやテントを離れない。

より日が過ぎるにつれ、ハンガーストライカーが青白くなるのを見る一方、わたしは、わたしたちのヒーロー、イスラエルの鉄格子の後のわたしたちの囚人たちを考え、なぞらえざるを得ない。ここガザ市のストライカーたちは、水と塩分を摂ってきたし、また、1日当たりヨーグルトとスープの小皿がある。しかし、わたしたちの囚人たちは、水と塩分の他なく、そして時々、それがイスラエル刑務所当局に没収されてしまえば、それさえない。ここのストライカーたちは、彼らがそうしようと思えばいつでも、休んだり眠ったりできるが、わたしたちの囚人たちは、彼らを消耗しつくす意図でイスラエル刑務所業務 (IPS) により、部門・刑務所間を移送され続ける。

やはり現在連帯ハンガーストライキする元囚人、ロアイ・オデは、IPSが、ストライカーの休養を無慈悲に妨げると力説する。イスラエル刑務所での不服従キャンペーンで、昨年9月のハンガーストライキでの経験を思い起こし、彼は書いた:「兵士らは、かろうじて立つことができる弱った身体のハンガーストライカーでなく、戦場で武装闘士たちと対決してでもいるかのように、暴力的にストライカーの房に乱入する。ストライカーが騒音に耐えられないと知りながら、兵士らは、大きな叫び声をあげながら房に侵入し、捜索よりむしろ殴られたと感じるやり方で手探し始める」。

「唯一残された息子」

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座り込みテントのホスニ・アッスラフィティとロアイ・オデ。(Dalia Miqdad)

テントでのハンガーストライカーへの支持と賞賛を示すため、毎日ツアーする間、わたしは、アブホスニ・アッスラフィティが、パレスチナ旗で美しくデザインされ「わたしたちは尊厳に生きる」と書かれた他から彼らを際立たせるストライカーのTシャツを着ているのを見て驚いた。アブホスニ、66歳は、政治囚のための赤十字国際委員会での毎週の抗議に通い始めて以来、わたしが会った拘留者の父親だ。

わたしたちが会うときはいつも、わたしたちは互いに挨拶し、短く普段の会話をするが、彼を親密に知るようわたしに感じさせる実際の会話を持つことがなかった。それが、Tシャツを見たことの反応、驚きから「あなたもまた?」とわたしが言った後、変わった。

「そうとも!」と彼は断言した。「この尊厳の闘いで、わたしたち自身をパートナーと見なすから、わたしたちはこの手段をとったけれど、わたしたちのハンガーストライキは、要するに、象徴のままだ。わたしたちの拘留者のイスラエルの抑圧的政権下での巨大な苦痛に等しいものは何もない。食物に餓えるばかりでなく、彼らは尊厳、公正、自由に餓えている」。

彼は、その年齢を、10年間拘留されまだ6年ある彼の息子、アリと共に前線に立つ妨げとすることを拒絶した。医師たちは、彼にハンガーストライキを止めさせようとし続けるが、彼は「わたしの命は、息子の命以上に大切じゃない」と語り拒絶する。

わたしたちの会話はまだ始まりだった。次の会話は心張り裂けるものだった。わたしは、彼の高い精神と決定に驚嘆したが、このわたしたちが交わした心からのおしゃべりは、彼が強さをどこから得たのか明らかにした。

「アリは残された唯一の息子だ」と、彼は語った。

「残された?」わたしは遮った。

すると彼は肘を動かして、腕の下に挟み込んでいた写真を示し、説明し始めた。「わたしには3人の息子がいた。長男のホスニと末息子のモハメドは殺され、真ん中の息子はイスラエルの鉄格子の向こうにいる」。

わたしは激怒を感じて、彼の息子たちがどのように殺されたか尋ねた。

「2004年、わたしは、ガザの空を占領する戦闘機の恐ろしい音についてひとりしゃべる妻と坐っていた。わたしたちは、攻撃が起こると知っていた。そして、大きな爆発が聞こえ、わたしたちの下の地面を揺らした。わたしたちは、言い尽くせないパニックにあった。妻は『神が標的とされる民衆の母親たちと共にあられますよう』と祈った。彼女が自身のために祈っていたと知らず、その後、彼女は長男の暗殺を知らせる電話をとった」。

その悲劇を聞いた後、わたしの感情をコントロールし続けるのはとても難しかった。わたしは、哀しみに溢れた彼の目を見つづけ、黙って聞いた。

「待って。次の物語はもっと衝撃的だ」と、彼は語った。「1994年、わたしは、妻と7歳の息子、モハメドと親族を訪問しての帰り道だった。わたしたちは、ナハル・オズ入植地近くの東のラインに近かった。通りに立って、わたしたちを家に連れ帰るよう車に手を振っているとき、わたしたちは突然、わたしたちに向かって突進してくるイスラエルの車とジープを見た。わたしたちは混乱し脅えた。彼らは、故意に息子に激突して車輪下に轢き込み、妻に衝突してひどく負傷させ、そのまま入植地に向けて高速で運転し続けた。それは残酷だった。それがすべて、あまりに速く起こったので、わたしは、彼を殺し、振り返ることさしなかった無情なドライバーを前にした恐れから固まった息子を救うことができなかった」。

アブホスニは、わたしの反応を見るため話すのを止めたが、わたしはあまりの衝撃に何も言えなかった。彼の、ふたりの息子の殺害の物語を語る声が、わたしの耳の中で再生され続け、わたしの涙は流れ続け、衝撃の痕跡はわたしの顔を去らなかった。彼はその状態のわたしを見て、柔らかにわたしの手たたいて語った。「哀しまないで、わたしの嬢や。わたしたちがこれらパレスチナの聖地に生きる限り、いかなる犠牲をささげることも、決して充分とはならないだろう。わたしたちが導いているこれら不正で危険な生活は、わたしたちの精神力と決定の源だ。そうでなければ、あなたが、生きている犠牲者、息子に連帯し、彼の解放をすぐにも祝うことを望んで今ハンガーストライキするわたしと会うこともなかったろう」。

拘留者の家族すべてが、武装の無慈悲な獄吏に対する「空腹の闘い」での拘留された息子たちの勝利を祝うよう祈ろう。真剣な行動を講ずることにより、わたしたちの祈る人びとを支持しよう。

原文:The Electronic Intifada
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2012年05月12日

UNRWAの不可思議なハンガーストライカーへのイスラエルの扱いに関する職員トップの声明の削除

Benjamin Doherty
2012年05月10日木曜日

ハンガーストライキする囚人たちの健康状態と彼らの要求の妥当性に言及しただけの、UNRWA総局長、Filippo Grandiによる広く報じられた声明が、説明もなくUNRWAのウェブサイトから削除された。

元来 http://unrwa.org/etemplate.php?id=1340 でアクセス可能だったその声明は、本日早く公表され、直後に削除された。全文は:

2012年5月10日
エルサレム

UNRWA総局長、Filippo Grandiは、イスラエル刑務所でハンガーストライキするパレスチナ人政治囚何千人もの現在の医療・健康状態についての彼の厳粛な懸念を表明した。

総局長は、ハンガーストライカーの要求が、ジュネーヴ条約に規定される、囚人の基本的権利に全般的に関連すると言及して、イスラエル政府に、受け入れ可能な解決策を見出すよう要請した。

Filippo Grandiは、行政拘留者のふたりが74日以上後、重態にあり、切迫した死の危機にあると言及し、行政拘留下にあるもたちが、告訴を起こされるか解放されるかとの国連事務総長の要請を繰り返した。

更なる情報の連絡は:

Sami Mshasha
UNRWAアラビア語報道官
携帯:972 (0)54 216 8295
事務所:972 (0)2 589 0724
s.mshasha@unrwa.org

(略)

UNRWAウェブサイトからの総局長声明の消失は、不可思議だ。オリジナルの画面捕捉を以下に含める。

unrwa.png
unrwa_statement_on_palestinian_hunger_strikers-unrwa.png

アップデイト

この公表掲載直後、UNRWAが、そのウェブサイトに新声明を加えた全文:

ハンガーストライキの囚人に関する声明は、調査されている誤りいくつかを含んでいたので削除された。

全文:The Electronic Intifada
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2012年05月11日

指揮官が認める:ビリンで隠密イスラエル士官が兵士に石を投げた

2012年05月07日月曜日
ハガイ・マタール

その事件が起きた7年後、イスラエル刑務所業務部隊、精鋭「Metzada」の士官は - その任務の一部として - ビリンで彼の部下が兵士らに石を投げたと認める。

DSCF0045crop.jpg
IPS隠密諜報官がビリンのデモンストレータを逮捕、2005年4月 (Oren Ziv / Activestills)

活動家たちが語ったことを、当時、殆ど誰も信じなかった。ビリン村は、地元民衆闘争の非常に早い時期に、その土地に建設されるフェンスに対する、最初の大規模デモンストレーションのひとつを組織していた。主催者たちは、2005年4月、この特定のデモンストレーションのいかなる時点でも、兵士らが最初に攻撃したとしても - それがあったし、今日までまだ、彼らに対する攻撃への引き金だ - 石を兵士らに投げないことを確実にする特別の事項をつくった。

しかしながら、デモンストレーションがフェンス建設現場に向け進んだとき、主催者たちに知られていない、そして近隣の村からきたと思われた、アラブ人風采の若者数人が、石を投げ始め、兵士らに、催涙ガスでデモンストレーションを分散させ、逮捕をするために、彼らが必要だったきっかけを与えた。目撃者複数によれば、民衆闘争のリーダーたちが若者たちに近づき、投石を止めるよう彼らに求めた - その瞬間、その知られざる者らは、隠されていた銃と手錠を引っ張りだし、彼らに止めるよう求めた人びとを逮捕した。これらが、デモンストレーションに潜入し、それに暴力を引き起こすため軍に貸し出された、IPS精鋭反暴動部隊、Metzada(「マサダ」)の戦闘員と、後に知られることになった。しかしまだ - イスラエル人の殆どは、この話を信じようとしなかった。

(略:前のHaaretz記事参照)

全文と画像3点、ヴィデオ:+972


 Haaretzの記事より、こちらの方が面白かったし、翻訳も楽だったけれど、いつも、面白い記事に先に出合えるとは限らない。
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2012年05月08日

世界は入植者らが去るのを望む

論評:西側は、イスラエル人300,000人の移転が、主要な中東の頭痛を解決し得ると考える
Eitan Haber
2012年04月30日

例えこれが、彼らの顔の表情に、あるいは日々の行為にはっきり表れていないとしても、今や何年も、そして確実に最近、イスラエル統治者たちの中で大いなる心配事でありつづけた。まさしく彼らのすぐ目の前で、彼らが何十年間も築いた世界が崩壊している。

領域(占領地)を支配した45年後、そして世界が、ユダヤ・サマリア(西岸)でのイスラエル支配に黙って従うと多くに見えたとき、地球は、その長いまどろみから目覚めた。今、世界あちこちのすべてから、彼らはわたしたちに告げている:「それはうまくいかない!」あるいは言い替えるなら、好むと好まざるとに拘らず、君たちは1967年境界に、国に戻るだろう。

今や、ジョージ・W.ブッシュ大統領時代のアリエル・シャロンの大きな達成、アメリカの「大入植地議員連合」の承認さえ消えつつあるように見える。世界は、300,000人入植者が、グリーンライン(停戦ライン)内に引っ越すのを見たがっている。この冷笑的世界は、数に感銘を受けない:何千もの住宅や建物、道路、繁茂する庭、あるいはそこに生まれたものを含む何十万もの人々によらない。

アフリカで何百万もがまだ屠殺される、そしてある地域から別の地域に全住民が移動される世界で、ことさらそうした作戦が、世界に不断の頭痛を与えるということであれば、数千の家、数十万の人々は、殆どマイナーな問題だ。

このあたりではまだ、領域(占領地)でのイスラエル存在に反対するものの多くでさえ、上記シナリオが実現され得ると信じない。45年間、わたしたちは、世界を騙し、すべてを欺いてきた;殆どもうひとつの国を建設する間、わたしたちは、アラブ人を、ヨーロッパを、合衆国をかついだ - 無駄になるすべてをどうしてできたのか?

時間はなくなりつつある
イスラエル意思決定者間の心配は、イランの核環境でばかりでなく、領域に関しても、時間がなくなりつつあると彼らが悟っているので、高まっている。アメリカで、大統領;誰にも何も負わず、ゲームに終止符を打つ者となるかもしれない大統領は、2期目の任期に選ばれると予想される。ところで、米国のかなり多数のユダヤ人が、彼を支持する。

アラブ諸国は、イスラーム革命を経験しており、米国は、単純な算術をしている:ワシントンにとり、領域の(最新の起源前、小さなカイロ郊外と同族の)イスラエル人何十万かを犠牲にしてさえ、アラブと和平を試み生きるほうがいい。

それにも拘らずまだ、このあたりのユダヤ人は、過去45年間ここでなしてきたことを、次の45年間も同様になし続けるだろうと確信する。

「十字軍が聖地を支配したのは何年間ほどだった?」と、1ヵ月前のアンマン訪問中、ヨルダン人の友人がわたしに訊ねた。「およそ200年」とわたしは言った。「なるほど、じゃ、ぼくたちはもう少し待たなければならない」と、彼は応えた。

追記:上記はわたしの願望を表明したのでなく、むしろ、実際、具体化するだろうことである。

原文:Ynet news.com


 300,000人? 東エルサレムもグリーンラインを越えていると、筆者が忘れたわけではないだろう。世界はもちろん、300,000人だけでない、東エルサレムの入植者も加えた500,000人が立ち去るのを見たがっている。冷笑的ではなく、人数は問題にならない。チェルノブイリ原発事故では400,000人以上が移住を余儀なくされたし、東京電力原発事故30キロ圏内市町村住民人口は530,000人だ(った)。
 昨今のイスラエル人が、ミズラヒームはさておき、セファルディもさておくとして、アシュケナージが、ユダヤ教徒であるにしても、カイロ郊外と同族かどうか、ムーサ(モーゼ)に率いられたユダヤ人の血縁かどうかは疑わしい。カスピ海に沈んで今はないハザール帝国で、西暦700年代に、ユダヤ教に改宗したとすれば、3,000年前のユダヤ人とは縁もゆかりもない。
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2012年05月04日

エルサレム著述家フェスタがイスラエル批判回避努力で演説者たちに調査のためのスピーチ(原稿)提出を要求

Eleanor Kilroy
2012年05月01日

西エルサレム、Mishkenot Sha'ananimの豪華な丘の上の会議ホールから、エルサレムでの、来る第3回国際著述家フェスティヴァルのゲストたちは、分離壁とシルワンを含む被占領東エルサレムの違法な併合の明らかな光景を目にするだろう。シルワンで、武装のユダヤ人入植者ら、イスラエル警察と「保安要員」が、第4ジュネーヴ条約に違反して、パレスチナの家屋を盗み、真夜中、そのベッドから拉致される幼い子どもたちを含む住民何万人も拘留し威嚇する。警察と国境警備隊に伴われたイスラエルのエルサレム市当局の班は、今日、住民何人かに、家屋破壊通知を手渡した。しかしながら、スピーチで、これら事実のいかなる言及も、フェスティヴァル検閲を通過しなければならないだろう。

著述家フェスティヴァル理事、Tal Kremerは、月曜日、「(2010年のフェスティヴァルで)Nir Baramに起こったことに照らして、我々は、今年の作家たちにスピーチ原稿を渡すよう求めた」と語った。若いイスラエル人小説家の開会スピーチ、数ある中で、彼がその中で語った、「歴史がぼくたちユダヤ人のため衆目が認めるように縫い合わせた犠牲者の口実の下、ぼくたちは、イスラエル国と被占領地の非-ユダヤ人の権利への系統的暴力の目撃者である」は、Tal Kremerにより「我々の方の演出エラー...」と性格づけられた。Haaretzは上手く要約する:

エルサレムの国際著述家フェスティヴァル理事が、ボイコット圧力にも拘らず、国際的作家たちにフェスティヴァルに参加するよう説得しようと望むとき、彼女はしばしば、2010年の開会演説者が彼のコメントでイスラエルを批判した事実を持ち出す。しかし今、フェスティヴァルは、新たな要求を設けている:開会演説者たちは、前もって運営者側に、 - 前のようなもうひとつのスピーチを回避する努力で - 彼らのスピーチを見せなければならない。

イスラエル国に資金提供される、Mishkenot Sha’ananim国際著述家フェスティヴァルは、非常に政治的イヴェントだ:2010年、その基調講演者は、イスラエルの文化大臣、Limor Livnatと、アメリカ作家、ポール・オースターと親しくなったのが見られたシモン・ペレス大統領だった。フェスティヴァルは「世界でのエルサレムのイメージを改善する」宣言された意図がある。

(略)

全文:Mondoweiss
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正義はパレスチナ人服従を止めるための行動を要求する

デズモンド・ツツ、特別寄稿
2012年05月01日火曜日

25年前、わたしは、アメリカ人に、ことさら学生たちに、南アフリカから資本を引き上げるため圧力をかけるよう奨励して、合衆国中を地方遊説した。今日、遺憾ながら、パレスチナ領土のイスラエルの長年の占領と35ほどの差別的法律を被るパレスチナ市民に平等の権利を広げることへの拒絶を終了させるための同様の行動の時がきた。

わたしは、ゆっくり悲痛に、この結論に到達した。わたしは、南アフリカのアパルトヘイトとの闘いで、とても助けとなったわたしたちのユダヤ人兄弟姉妹の多くが、まだ、イスラエルと現在の政府のアパルトヘイトの性格を考慮に入れる準備ができていないと気づいている。そしてわたしは、この問題を提出することが、何十年も緊密に成功裡に作業したユダヤ人コミュニティのある部分に心痛をもたらすだろうと非常に懸念している。しかしわたしは、わたしが目撃してきたパレスチナの苦しみを無視することも、これら勇敢なユダヤ人の声がイスラエルの差別的方針により煩わせられることも看過できない。

過去数日で、アメリカのラビ1,200人ほどが - 統一メソジスト教会と長老教会(USA)により考慮された決議と一致する時に - 「その製品がイスラエルにより使用されるある企業からの選択的資本引き上げ」をしないように、クリスチャンに促す書簡に署名した。彼らは、資本引き上げ決議を「一方的アプローチ」と、メソジストと長老教会派により提案された、占領から利益を得る企業からの選択的資本引き上げさえ、「何十年も育まれてきたユダヤ・クリスチャン間の関係を傷つける」と主張する。

彼らの善意に疑いない一方、ラビたちや資本引き上げの他の反対者たちが、哀しいかな、誤り導かれたとわたしは信じる。わたしの声は、クリスチャン - ユダヤ人の結びつきを支持し、懸命な人びとすべてが、恐れ嫌う反-セム(ユダヤ)主義に反対して、常にあげられるだろう。しかしこれは、イスラエル政府が西岸植民地化と人種差別的法律促進を継続するとき、何もせず、傍らに佇む口実にはなり得ない。

(略:長い)

全文:Tampa Bay Times
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