2012年04月30日

ある事実が犯罪であるおそれる社会で

Max Blumenthal
2012年04月27日金曜日

テルアヴィヴ大学は、パレスチナ村、シェイフ・ムワニスの廃墟に建設された。大学の教職員ラウンジは、村のムフタールの旧宅だ。Arlosoroff通りとIbn Gvirol通りの角、世紀タワー超高層ビルが建つのは、かつて存在したソムメイルという名のパレスチナ村だった。

イスラエル集団、Zochrotの活動家たちが、テルアヴィヴの「独立記念日」祭の中心で、これら事実について、道楽者らを教育しようと着手したとき、彼らは、犯罪活動従事で告発された。

活動家が、オフィスビルを出て、Ibn Gvirol通りにナクバで破壊されたパレスチナの村々を記念する小さなビラを置こうと試みるとすぐ、機動隊が、金属ゲートで彼らを取り囲み、中に閉じ込めた。警察は彼らに、イスラエルの誕生を祝う群衆との対話を試みるなら、彼らが逮捕されるだろうと通知した。「我々は、君たちの写真やチラシと共に祝賀に入るのを許さない」と、警官がZochrotのEitan Bronsteinに告げた。(略)

警察の抑圧が、殆ど許し難いにも拘らず、彼れらがアクションを続けることを許されていたなら、Zochrotの活動家たちが激しい暴力に曝されたかもしれないと考えるある理由がある。金属ゲートの後ろに捕われる間、通行人らは活動家たちを取り囲み、述べ立てた。「ここに警察がいて幸運だったな。彼らに感謝しろ」と、禿げた肥満の男が語り、離された。

自分をイスラエル軍Golani旅団落下傘兵団51部隊メンバーと名のるもうひとりのずうたいの大きい人物も、活動家たちに吠えた、「ただひとつのこと、お前らは売国奴一団だ。ここの人らは毎日戦っている... これは信じがたい。お前らは売国奴で、俺たちにチャンスがあったら、お前たちを一人ずつ撃ってやるのに。一人ずつ、俺たちはお前らを撃ってやる...」

デモンストレーションは、警察が、破壊されたパレスチナの村々の名前を声に出して読んだ罪の男ひとりを含む、参加者3人を暴力的に逮捕して終った。

Real News NetworkのLia Tarachanskyは、混乱を撮影した。彼女の衝撃的な映像はここで:
http://therealnews.com/t2/index.php?option=com_content&task=view&id=31&Itemid=74&jumival=8256

(略)

全文:alakhbar
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2012年04月23日

パレスチナ・サッカー・スターが4週間のハンガーストライキで重態

Rami Almeghari
The Electronic Intifada ラファ
2012年04月20日

ガザ出身のマフムード・サルサクは、パレスチナ・ナショナル・サッカーチームのメンバーだ。しかし今のところ、パレスチナ人の心の主流を占めるのは、ピッチでの彼の武勇でない。25歳は、4週間のハンガーストライキ後、イスラエルの都市、ラムレの病院で重態だ。彼は、自由と公正を求めて食物を拒む多くの囚人のひとりである。

サルサクは、もはや3年間投獄されてきた。彼は、いかなる認識しうる犯罪でも裁判されることがなかったにも拘らず、サルサクの拘留は6ヵ月ごとに継続的に更新された。イスラエル国内諜報機関、シャバク(シンベトとしても知られる)は、サルサクが「違法戦闘員」法の下、投獄されると主張してきた。

「わたしの知る限り、マフムードは、この法律にさらされる唯一のパレスチナ囚人だ」と、サルサクの弁護士、ムハマド・ジャバリーンは語った。「違法戦闘員法は、アフガニスタンへの戦争に向かった直後、米国がグアンタナモ湾に投獄した、アルカーイダ・メンバーを疑うもののために導入された米国法の、イスラエルのコピーかヴァージョンだ」。

ジャバリーンは、イスラエルが、2005年にガザからその入植地撤退を決定した後、ガザに「違法戦闘員」法を適用したと説明した。

「わたしたちが、マフムードに対する何の告発を彼らが有しているのかシャバクに尋ねる度に、彼らは、彼がテロ組織との接続を持ち、マフムードがイスラエル国家のセキュリティに深刻な脅威をもたらすと言う」と、ジャバリーンは語った。

イスラエルからの応答はない

サルサク家族の家は、エジプトとのガザ国境に近いラファの路地にある。彼の両親と兄弟たちは、刑務所に彼を訪ねることを許されなかった。

「わたしの家族は、マフムードが、イスラエルにより投獄されるなどと想像だにしなかった」と、彼の兄、イマドは語った。「なぜ、本当になぜ? これが、イスラエルがマフムードの弁護士にさえ、まだ明確に答えていない疑問だ。わたしの弟は、情報技術を学ぶため大学に登録された。マフムードが投獄されたとき、彼は僅か22歳でもっとスポーツ活動することを切望していた」。

2009年7月、ガザ回廊北部のエレツ検問所のイスラエル兵士らは、マフムード・サルサクを、西岸のパレスチナ・ナショナル・サッカーチームに加わる途中、拘留した。マフムードの旅程は、パレスチナ自治政府市民業務により調整され、イスラエルは、エレツを通過する彼への許可を発行していた。しかしそれは、兵士らが彼を逮捕するのを止めなかった。彼は、ネゲヴ(ナカブ)砂漠に拘留されてきた。

「マフムードは、幼い子どもだったときから、サッカーを好んできた」とイマドは語った。「14歳のとき、マフムードは、ここ、ラファの地元チームに加わった。17歳でマフムードは、ノルウェーの競技に参加した。そして、ティーンエイジャのパレスチナ・ナショナルチームに加わってイラクに旅した」。

昨年、パレスチナ・スポーツクラブ何十もが、UEFA(欧州サッカー連盟)の長、Michel Platiniに、2013年の21歳未満競技をイスラエルで開催する組織の決定に狼狽を表明し、イスラエルがパレスチナ運動競技コミュニティに対して遂行する多くの虐待のひとつとして、サルサクの恣意的拘留に言及する書簡を送った。

最愛の息子(略:家族や友人の証言)

全文:The Electronic Intifada

アーカイヴ:イスラエル・サッカーに関する暴力 - 2題、報道と社説(04月06日)

     :FIFA:イスラエルへのレッド・カードを促される(2009年10月16日)
     :イスラエル軍:ガザからの西岸への途中、サッカー選手を拘束(2009年07月26日)


 イスラエルは、あまりにアジア諸国に敵対的なために除名されたが、そもそもアジアサッカー連盟に所属していた。因にパレスチナはアジアサッカー連盟のメンバーである。そのパレスチナに建国された人造国家、イスラエルが、アジアサッカー連盟から除名されたにしろ、UEFA(欧州サッカー連盟)は加盟を許すべきでない。イスラエル国自体をヨーロッパに引き取るつもりなら、まあ、話は別だけれど...
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2012年04月21日

IDF暴力に関して:わたし個人のShalom Eisner中佐

2012年04月18日水曜日|Haggai Matar

ほぼ3年前、わたしもまたデモンストレーションで、ひとりのShalom Eisnerに会った。彼は、理由ない殴打で、わたしの頭に深手を負わせた。そのときもまた、今週同様、IDF(イスラエル国防軍)士官がわたしを殴りつけるのを、カメラが撮影していた。今日まで、わたしの個人的Shalom Eisnerは、自由に動いている。

もちろん、わたしのは日曜日にデンマーク活動家の顔にライフル銃を打ち当てたヨルダン渓谷旅団の副司令官、Shalom Eisner中佐でない。その殴打でわたしを病院に送ったのは、今日までわたしが、その氏名を知ることができないでいる、予備役の他の兵士だ。それは、総称的Shalom Eisner、常に、非武装市民を攻撃した、撃った、骨折した、殴った、逮捕した、蹴飛ばした、捻り上げた、拘束した、拷問した、踏みつけた、スプレーした、あるいは自尊心を傷つけた、占領の他の兵士誰でもと同様のひとりのShalom Eisnerだ。

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そのすべての後 - 病院で (Oren Ziv / Activestills)

結婚行列を含む平和的デモンストレーションで、わたしが逮捕された2009年7月31日を振り返ると、わたし自身のShalom Eisnerは、他の兵士らからわたしを受け取って、両手を背中に回し、軍用ジープの背面にわたしの頭部を血液が流れるまで2回打ち付け - 彼の行為は撮影された。しかしながら、本物のShalom Eisnerの最新の事件とは逆に、わたしの事例で、カメラの後ろの男は警官で、それでわたしは、YouTubeにヴィデオをアップロードすることができなかった。したがってわたしは、憲兵隊に行き、申し立てを提出し、その日、他のものに撮られた写真を与え、わたしが得た縫合に関する診断書のコピーを渡し、そしてわたしは、以来ずっと待っている。

(略)

全文:+972
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2012年04月19日

イスラエルのフライ-インへの応答が西岸はパレスチナ人の刑務所と証明する

2012年04月16日月曜日|Noam Sheizaf

イスラエルのための提唱者らはしばしば、パレスチナ人が彼ら自身の生活を営むと主張する。しかし繰り返しまたしても、西岸が彼らの刑務所となってきたと現れる。

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イスラエル活動家、Michal Vexlerは、「パレスチナにようこそ」フライ-イン支持のデモンストレーションをしていてベングリオン空港で逮捕された、2012年4月15日 (photo: Activestills.org)

先週、わたしはここに、Michal Oren大使の「イスラエルの溌剌たる民主主義」と表題のある外交政策記事の批判を掲載した。Oren大使の主張のひとつは、西岸のパレスチナ人が投票権を奪われている事実が、民主国家としてのイスラエルの性格を疑問とするのに十分でないというものだった。

民主制度内の部分的民主主義飛び地の存在は、それを必ずしも疑わない。米国領域 - グアム、プエルトリコ、バージン群島 - のものが、大統領選に投票できない一方、ワシントンD.C.の住民は、代表権なく課税される。例外は、すべての民主主義に存在し、イスラエルのも、西岸の状況により無効とはされない。

しかし投票は、話の部分に過ぎない;投票は、それ自体での終結でなく手段である。パレスチナ人は、米国領域内のアメリカ市民と多くの仕方で異なる:例えば、彼らは、イスラエル民事裁判所で被告が享受する法的権利なく、軍事法廷で軍服の判事の前で裁かれる。彼らは、資源へのアクセス、暴力やハラスメントに対する物理的保護、そしてはるかに多くを奪われる。

旅行の自由 - あるいは欠如 - は、もうひとつの重要な問題だ。90年代半ば以来、パレスチナ人は、グリーンラインを越えて、「厳密な意味でのイスラエル」に旅することができない。軍当局からの特別許可を得ることなく、彼らは外国に旅することができない。時々彼らは、西岸内の町村間を旅することさえ妨げられる。

人びとはまた、西岸へ旅することを妨げられる:イスラエル人は、エリアAに入ることを軍令により禁じられ、そして観光客、事業旅行者、外交官は、西岸に入るのに、イスラエル国際空港か、地上検問所 - すべてイスラエルにより支配される - を通るかしなければならない。目的地がパレスチナの町か村と述べることは、イスラエル当局による観光ヴィザの拒絶に繋がりかねず、したがって、多くの訪問者は単に嘘をつく。これが、今日、活動家の殆どが西岸に入る方法だ。皮肉なことは、ある人びとにとり「解放の」ラマッラに到達するよりも、ガザ - まだ公式に封鎖下にある - に入ることの方がより簡単なことだ、というのも、ガザは、イスラエルが支配しない国境がひとつあるので。

西岸は、パレスチナ人の刑務所となり、PA(パレスチナ自治政府)は、その看守以上でない。Oren大使や他のイスラエル政策提唱者が描く現実から、はるかに遠い。しかし奇妙なことに、状況の実情に関する思い違いは、イスラエル内にさえ広がっている。国際活動家たちが、彼らの目的地について嘘を言わずに西岸に旅する努力 - いわゆる「flytilla」 - について、昨日、地元メディアが報じたとき、「それら工作員たち」はなぜ「パレスチナ-支配」のアレンビー検問所を通ってヨルダンから旅しないのかといぶかるイスラエル・ニュース・サイトに掲載されたコメントいくつかに、わたしは遭遇した。わたしは、昨年も同じ発言を聞いた;このサイトに、パレスチナへの観光客はイスラエルを通り抜けようとすべきでないとコメントすることにより、インタナショナルズを入らせることに対するイスラエルの拒絶を正当化するコメントさえあった。

しかし、独立パレスチナ(国家)はない。「パレスチナ自治政府」は、いかなる重大な問題に於いても権威を持たない。境界に関する支配は、統治権の重要な尺度に考えられる。パレスチナ人は、主権を有しておらず、イスラエルのいかなる市民権も持っていない。彼らは、ここでもなくそこでもなく(問題外で)、彼らを敵として眺め、いかなる未来も希望をも提供しない制度の囚人である。

flytillaメンバーの西岸入域の許可の拒絶により、イスラエルは、彼らの根源的主張:占領がなすほぼ半世紀の間、被占領地のパレスチナ住民にイスラエルが行使する支配のレベルは、世界の注意に値する異常な現象、が正しいと実際に証明した。

原文:+972


 わたしにとって「嘘」をいうのはあまり簡単でない。嘘つきのイスラエルが支配する検問所を通過するにしてもだ。わたしがベングリオンを使わないのは、入国を拒否された場合、KLMを使うにしろ、エールフランスにしろ、オランダなりフランスなりに送り返されてしまうからだ。往復ともそれぞれ一日多くかかるけれど、アンマン経由なら、入国を拒否されてもヨルダンに留まることができる。もうひとつ、アレンビーの検問所は、もちろん、イスラエルが支配していることに変わりはないけれど、そこは西岸、イスラエルではない。アレンビーを経由するということは、既に西岸に入ることを前提としている。「嘘」をいう必要がない。
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2012年04月16日

イスラエルが「flytilla」活動家追放で特殊部隊動員

Allison Deger
2012年04月12日

ben-gurion-airport.jpg
(Cartoon: Carlos Latuff)

この日曜日、Airflotilla(飛行小艦隊)2、あるいは「flytilla」で、イスラエルのパレスチナ民衆への虐待に注意を促すため、国際活動家およそ1,500人がベングリオン空港に飛ぶと、主催者たちは期待する。この種の取り組み第3段の行動として、Haaretzは、イスラエル当局が、活動家たちを直ちに追放するため「何百人もの警察と特殊部隊」の展開を計画していると報じる。Airfoltilla2の主催者たちは、デモンストレーションと次の西岸での活動の1週間プログラム「パレスチナにようこそ」を、彼らが継続するだろうと断言する。「彼らは、パレスチナに入る権利がある。イスラエルは、パレスチナに入る誰であれ、禁止することまではできない」と、パレスチナ人フライ・イン調整者、アブデルファタ・アブスルールは語った。彼らの西岸への訪問中、活動家たちは、ベツレヘム、エルサレム、ヘブロン、ラマッラで、パレスチナの主催者たちと会うだろう。

AirFlofilla2は、高価な直接行動だ。世界各地からの活動家たちは、テルアヴィヴ行き飛行機に搭乗し、そして到着のとき、西岸に入る彼らの計画を空港警備に通知するつもりだ。一般に、被占領パレスチナ領域に入る意図の発表は、公式イスラエル政策でないにも拘らず、追放の根拠となる。昨年のflytilla後、オーストラリアとニュージーランドの活動家ふたりが入国を拒絶されたとき、彼らは、命令を訴えた。しかしながら、イスラエル裁判所は、その事例を受理せず、24時間のヴィザが活動家ふたりに発行された。その事例、そして今年のflytillaは、法的疑問を持ち出す。イスラエルは、西岸を訪ねる旅行を追放することができるのか?

被占領パレスチナ領域を訪れたことのある誰あれ、入る唯一の道が、イスラエルが支配する境界を通過すると理解する。旅行者はまた、西岸やガザに入る計画を、明白な場合さえ、当局に漏らすことはリスキーと知っており、しばしば入域否定に繋がるだろう。昨夏、テルアヴィヴに飛んだインタナショナルズ(国際活動家)130人ほどが投獄され、そしてイスラエル当局はさらに、活動家36人を即座に追放した。加えてフライ・インのつもりだった200人は、彼ら自身の国々で、イスラエルへのフライトに搭乗することを阻まれた。Airflotilla2の活動家たちは、このパレスチナ領域に据えられる事実上の出入域禁止に挑戦している。

(略:ユダヤ系フランス人シオニストらによる不穏な脅し)

全文:Mondoweiss

アーカイヴ:イスラエルが親-パレスチナ「フライティラ」活動家たちの国外追放開始(2011年07月14日)
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2012年04月11日

デイル・ヤシン大虐殺追悼

2012年04月09日

1948年4月9日、シオニスト民兵組織、イルグン(メナヘム・ベギン率いる)とシュテルン・ギャング(イツハク・シャミル率いる)メンバーらは、アラブ村、デイル・ヤシンに入り、男、女、子どもたち100人以上を虐殺した。デイル・ヤシンは、およそ600-750人の人口を持ち、平和な村であるとの名声を持っていた。レイプと(手足)切断の報告もまたあった。

イスラエル人歴史家、イラン・パペによる「パレスチナの民族浄化」からの抜粋:

ユダヤ人部隊、イルグンとシュテルン・ギャングは、63年前の今日、デイル・ヤシン村を襲撃し、彼らは機関銃砲火を家々に浴びせ、多くを殺戮した。彼らは、女の何人かをレイプして殺し、彼らは残った村人を一ヵ所に集め、彼らすべてを冷酷に撃った。

ファヒム・ザイダンは、その時12歳だった;

「彼らは、ひとり、またひとりと、わたしたちを連れ出し;老いた男を撃ち、彼の娘たちのひとりが悲鳴をあげると、彼女もまた撃たれた。その後、彼らはわたしの兄弟、ムハマドを呼び、わたしたちの前で彼を撃ち、そして母が、わたしの小さな妹、フドゥラを腕に抱いて彼に屈み叫んだとき、まだ乳飲み子の彼女 - 彼らは彼女もまた撃った」。

軍が、壁に子どもたちを並べて、「ただその楽しみのため」彼らに弾丸を浴びせかけたとき、ザイダンもまた撃たれた(彼は生き延びた)。

調査は、人びと、93-170人の間が虐殺されたと示唆し、このリストは、戦いで死んだ人びとを含まない。

原文と記録写真1点:Palestine Solidarity Project
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2012年04月07日

ヨーロッパが開発し、イスラエルが破壊する

Charlotte Silver

ラマッラ、2012年04月03日 (IPS) - 欧州委員会は、2001年5月から2011年10月までに、イスラエル国防軍によって破壊、あるいは破損された、それが資金提供したプロジェクトのリスト記録を発表した。

リストは、その3000万ユーロが欧州援助で直接賄われた、4920万ユーロの金銭的損失となる、そのような事例、82件を記録する。

英国の欧州議会議員、クリス・デイヴィスは、欧州委員会への彼の調査に続き、リストを発表した。デイヴィスは、続いて調査結果を彼のウェブページに公表し、リストが「わたしが今まで欧州委員会から受け取った最も詳細な応答」であると述べた。

最近公表された記録はさらに、そのヨーロッパ同盟国の被占領パレスチナ領域での活動をイスラエルが扱う軽視のもうひとつの指標である。昨年、イスラエルが課した旅行制限が、国際援助組織に、年間450万ドル費やさせたと見積もられた。

(略)

プロジェクトは等級に及ぶ。2001年冬、寄付諸国(スペイン、スウェーデン、ドイツ)に950万ユーロ費やさせたガザの国際空港は、荒廃させられた。

より小規模ながら重要な破壊もまた受けた。例えば、第二次インティファーダで、イスラエルの攻撃は、欧州委員会により資金提供の赤三日月社の救急車全車両を破壊した。

2008年-2009年冬のイスラエルによるガザへの攻撃は、廃棄物管理と水処理施設いくつかを含む、ヨーロッパ資金提供のプロジェクト、ほぼ200万ユーロ相当を破壊した。

ヨーロッパ資金提供プロジェクトとは別に、西岸のエリアCで、家屋、学校、水収集装置の破壊が、日常的に起こる。西岸の62パーセントは、 - 完全なイスラエル軍・民支配下に入ることを意味する - エリアCとして分類される。エリアCは、パレスチナ人150,000人とイスラエル人入植者300,000人の家である。

(略:エリアCに於ける破壊の実体)

2011年のみで、パレスチナの構造物と家屋746棟と雨水収集装置46基が、イスラエル軍により破壊された。エリアCを通し、さらに何百棟もの家屋が、破壊を待っている。

パレスチナ人と連帯活動家たちは、エリアCに住むパレスチナ人たちが、彼らの土地に留まるために支援することが重要と合意する。そのような組織のひとつ、ヨルダン渓谷連帯プロジェクトは、パレスチナ人が土地に留まるのを支援するため - 絶えず続く破壊のリスクにも拘らず、家屋、学校、他の必要とされる構造物建設を支援する - 指導する基本方針として「存在は抵抗」を格言に掲げてきた。

欧州委員会のリストは、EU加盟国が、間違いなく最も困窮する住民であるにも拘らず、エリアCでのプロジェクトに資金提供していないことを示唆する。

これは、昨年、ビルゼイト大学により行なわれた、援助の寄付者と受益者両方へのインタヴュを含む、開発援助の有効性に関する調査で確認された。

調査は、殆どの国際援助団体の政策が、官僚的煩雑な手続きを積み込まれることに加え、占領への政治的対立を構成するので、許可なく構築されないと見いだした。

この例外がある。ヘブロン・ヒルのエリアCの集落でのソーラーパネルに資金提供するスペイン・ドイツ政府の事例ふたつがある。しかしながら、多くを唖然とさせたニュースで、どちらのプロジェクトも、今年、破壊命令を受けた。

パレスチナ領域に与えられてきた援助手法を批判的に話し、スウェーデン国際開発協力庁 (SIDA) 代表、Peter Lundberghは、「開発は、パレスチナ人が彼らの土地に留まることを支援すべき;あまりにも多くがエリアCを立ち去ってきた」と語った。

全文:IPS


 スウェーデン国際開発協力庁 (SIDA) 代表のことば、「開発は、パレスチナ人が彼らの土地に留まることを支援すべき;あまりにも多くがエリアCを立ち去ってきた」を、ニッポン外務省は噛み締めるべき。

参考記事:「平和と繁栄の回廊」が占領政策、とりわけ違法入植地存続を促進する危険等について(パレスチナの平和を考える会)
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