2012年01月14日

2009年1月11日:ハムーダ家

2012年01月11日
パレスチナ人権センター

「わたしは、腕に別の子どもを抱くことさえできない、6か月の新しい孫がいるのに、わたしはまだ腕に抱いていない、わたしは、ファレスの場所と感じている」

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タラトゥとインティッサール・ハムーダ (Photo: Palestinian Centre for Human Rights)

2009年1月11日、朝早く、ガザ市、タラルハワのインティッサール・ハムーダ、41歳の家は、イスラエル軍の攻撃を受けた。イスラエル戦車の発砲は、攻撃時、2歳だった彼女の息子、フェレス・ハムーダと、継息子、ムハメドの死に繋がった。ムハメドは、彼女が、ムハメドの父、彼女の夫のタラトゥ、54歳と世話をしていた。救急隊員が彼らに到達できなくて、ムハメドが出血死する一方、ファレスはインティッサールの腕の中で即死した。

「ムハメドとファレスは多くの共通点を持っていた。ファレスが生まれたとき、わたしは母乳で育てることができなかったので、粉ミルクを与えなければならなかった。ムハメドは、10ヵ月で母親を失い、粉ミルクを与えられた。その結果、どちらも、似通った症状の病気を持っていた」と、インティッサールは語る。彼らの短い生涯を通し、兄弟は仲良かった。「ファレスは、ムハメドが学校から帰るまで、眠りにつくのを拒絶した。攻撃の日、ファレスは病気で、わたしから薬を飲むのを拒絶し、ムハメドに飲ませて欲しがった」とインティッサールは語る。

攻撃に続き、インティッサールは、酷く衰弱した。「わたしは、脚と骨盤に負傷したため、事件から6ヵ月後でさえ、わたしの脚で歩くことができなかった;わたしは、家を動き回るのに、継娘たちや姉妹たちの助けを必要とした」。インティッサールは、構造的形成手術同様、腹部から榴散弾を取り除く手術を、以来、3回受けた。

(略)

全文:International Solidarity Movement

アーカイヴ:2009年1月10日:ワファ・アルラデア(01月11日)
     :2009年1月9日:アブオダ家(01月10日)
     :2009年1月8日:アルラヘル一家(01月10日)
     :2009年1月7日:マタール家(01月09日)
     :2009年1月5日:アマル・アッサムーニ(01月07日)
     :2008年12月31日:アブアリーダ一家(01月05日)


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2012年01月11日

2009年1月10日:ワファ・アルラデア

2012年01月10日
パレスチナ人権センター

「わたしが子どもたちを残したとき、わたしは歩くことができ、子どもたちはわたしの負傷を見ていなかった。最も困難な瞬間は、脚1本だけと多くの傷害を抱えて戻ってきたときだった。わたしは違うワファだった。わたしが戻ったとき、わたしは幸福だと思われ、人びともわたしに会って幸福と思われたけれど、誰もが泣いた」

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ワファ・アルラデア(39)と息子イヤド(3) (Photo: Palestinian Centre for Human Rights)

2009年1月10日、16:30ごろ、ワファ・アルラデア (39) と彼女の妹、ガーダ (32) は、ベイト・ラヒヤの主要道のひとつ、ハブーブ通りを歩いていて、イスラエル無人機ミサイル2発の標的となった。姉妹たちは、イスラエルの時間単位の攻撃停止発表で、歩いていた。ワファが出産が近いと感じたので、近くのクリニックへ行く途中だった。攻撃で、どちらも重傷を負った。

「人びとが助けようと来たとき、わたしは、彼らが話すのを聞くことはできたけれど、答えることはできなかった。彼らは、わたしが死んだと言っていた」と、ワファは思い出す。ガーダが、脚に負った重症で、病院に運ばれた一方、彼女が死んだと思った彼らは、ワファにカバーした。結局、救急車が彼女を、医師たちが、彼女の赤児を救おうと、帝王切開手術を実施した病院に運んだ。手術になって初めて、医師たちは、ワファがまだ生きていると気づいた(と、あるのでそのように翻訳したけれど、そんなことはあり得ないとわたしは思う - mizya)。彼女の息子、イヤドが生まれた一方、医師たちは、ワファの右脚を切断し、彼女の他の負傷の治療を試みた。1月12日、姉妹どちらも、補足的治療のためエジプトの病院に移送された。ワファは、4月末まで一連の手術を受けて、次に3か月のリハビリテーションを受けた。ワファとガーダは、2009年6月29日と27日、ガザに戻った。

(略:手術・治療の苦しみ)

ワファは、子ども8人:イハブ (20)、リナ (19)、ハニ (17)、シュールーク (15)、モタズ (13)、サヘル (12)、ジハード (9)、イヤド (3) の母親だ。エジプトで過ごす間、ワファは子どもたちとの接触を制限した。彼女は語る:「最初の3か月、わたしは、電話で子どもたちと話すことができなかった。わたしは断った。わたしは話すことができなかった。彼らは、6か月間、わたしを待った。子どもたちは、わたしに何が起こったのか知りたがった」。

「わたしが子どもたちを残したとき、わたしは歩くことができ、子どもたちはわたしの負傷を見ていなかった。最も困難な瞬間は、脚1本だけと多くの傷害を抱えて戻ってきたときだった。わたしは違うワファだった。わたしが戻ったとき、わたしは幸福だと思われ、人びともわたしに会って幸福と思われたけれど、誰もが泣いた」と、ワファは思い返す。「わたしは、子どもたちが、わたしの動きすべてを見ていることに気づいた。ジハードは、わたしがどのように居間に行き、どのように座るか、眼でわたしを追い続けた。彼は、外出し他の子どもたちと遊ぶのを断った。彼は家で、ただわたしと過ごすことを望んだ。わたしは、子どもたちの状況によって非常に影響を受けた。彼らはいつも、わたしが動くか、何かしようとするときは常に、わたしを手伝う準備ができている」。

(略)

全文:International Solidarity Movement

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     :2008年12月31日:アブアリーダ一家(01月05日)
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2009年09月23日

ガザ紛争国連真実調査使節報告書

パレスチナと他の被占領アラブ領土の人権

報告書所在(PDF/English/575頁、6.5MB):www2.ohchr.org
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