2012年08月16日

書評:イスラエルの教科書がいかに子どもたちに憎悪を教えるか

Asa Winstanley London
The Electronic Intifada
2012年08月11日

イスラエルによるガザ回廊への2008-09年の残忍な攻撃の頂点で、当時の外務大臣、ツィピ・リヴニは、「パレスチナ人は、子どもたちに我々を憎悪するよう教え、我々は汝の隣人を愛せと教える」と主張した (p.232)。

この作り話の最初の部分は、米国国務長官、ヒラリー・クリントン、そして最近では、ニュート・ギングリッチといった、どちらも、パレスチナの教科書が反-セム(ユダヤ)主義を教えるとの根拠ない主張を広めた人びとにより喧伝される。この中傷は、イスラエル人入植者、Itamar Marcusや彼の「パレスチナ・メディア監視」といった、反-パレスチナの喧伝者らに源を発する。

重要な新書籍、『Palestine in Israeli School Books/イスラエル教科書の中のパレスチナ』で、イスラエルの言語・教育学教授、ヌリート・ペレド-エルハナンは、リヴニの作り話の後の部分をきっぱりと葬り去る。

ペレド-エルハナンは、歴史、地理学、公民のイスラエル教科書17冊を調査する。彼女の結論は、若年齢からの反-アラブ人種主義の教化と培養のイスラエル体制の告発だ:「ここで調査された教科書は、それらが左派の(文部)省で発行されたものであれ、あるいは右翼の省で発行されたものであれ、イスラエルの拡張政策の... 利益のために過去を利用する」(p.224)。

彼女は、これが達成される時々複雑で緻密な手法を調査し暴露して、深遠な詳細に立ち入る。記号学(サインとシンボルの学問)の彼女の専門知識が、有力な役割を演じる。

イスラエルの若者の精神への、反-パレスチナ・イデオロギーの教え込みは、排除と不在の利用を通じ教科書で達成される:「ここで調査された教科書のどれも、言語的にであれ視覚的にであれ、パレスチナ実物世界の、いかなる肯定的文化あるいは社会的様相も含まない:文学であれ詩であれ、歴史であれ農業であれ、芸術であれ建築であれ、習慣であれ伝統であれ、常に言及されない」(p.49)。

イスラエル教科書によりパレスチナ人は軽んじられ、悪魔化される

(略:長いので所々)

ペレド-エルハナンは、これを「否定的描写戦略」と呼ぶ。彼女は、「パレスチナ人はしばしば、『パレスチナ人問題』として引用される」と説明する。一方、パレスチナ人が追放されるよう公然と要求した物故のイスラエル政治家でラビ、「メイル・カハネの極右のイデオロギーと喧伝に顕著だった」用語、「進歩的」と看做される著述家らにより、この表現が常に使われる。ペレド-エルハナンは、「ユダヤ人が『ユダヤ人問題』と呼ばれた僅か60年後」それがなされるようになるこの不穏を見いだす (p.65)。

(略)

大虐殺の正当化

ペレド-エルハナンは、結論する:「ここで調査した教科書は、イスラエル-ユダヤ文化をアラブ-パレスチナ文化に勝るとして、イスラエル-ユダヤの発展構想を、パレスチナ-アラブの生活様式に勝るとして、そしてイスラエル-ユダヤの振る舞いを普遍的価値と提携するとして提出する」(p.230)。

イスラエルの戦争犯罪が、完全に無視されるとは限らない一方、教科書は、大虐殺と民族浄化を軽視するか正当化するため最善を尽くす。「『アラブ版によれば』といったような冒頭で如実に表し、パレスチナ-アラブ版が可能性として述べられる一方、イヴェントのイスラエル版は、客観的事実として述べられる... (あるいは)『ディエル(ママ)ヤーシンは、イスラエルのアラブ人の目にユダヤ人征服者の恐ろしいネガティヴ・イメージ... パレスチナ語りの作り話となった』」(p.50-1)。

1948年、シオニスト民兵、イルグン、レヒ、ハガナのテロリストらによる、およそ100人の名高い大虐殺が起こった、デイルヤーシンはパレスチナの村だった。既に上の例で述べた「恐ろしい」とするイスラエルのネガティヴ・イメージに過ぎない。非武装の男、女、子どもたちの大虐殺は、どちらかというと関心の理由とならない。

イスラエル教育は退化する

イスラエル教科書の先立つ調査を参照し、ペレド-エルハナンは、1990年代の改善のいくつかの兆候にも拘らず、彼女が調査したより最近の教科書が、むしろ悪くなったと見いだす。1948年のパレスチナ人のその自国からの強制追放、ナクバの問題は、大部分無視されないが、代りに正当化された。

(略)

「(イスラエルの)歴史教科書の新たな語りの出現」の先立つ調査の可能性に反し、「…最も最近の教科書(2003年-09年)のいくつかは、 - 公文書情報がそれほどアクセス可能でなかった - 『第一世代』(1950年代)の記述に退化し、それらのように『偏向、偏見、錯誤、誤伝に満ちている』」(p.228)。

ここにあるいい加減な編集があり、学術的理解不能の言葉が時々迷わす領域に滑り込む。しかしそれら言い抜けを別にして、ペレド-エルハナンの著作は、イスラエルの生徒たちがちょうど、若い徴集兵として軍隊に入る筈の直前、国家と社会により、いかにパレスチナ人とアラブ人に対する憎悪と侮蔑に洗脳されるかの、決定的な記述である。

Asa Winstanleyは被占領パレスチナに住み仕事するロンドンのジャーナリスト。彼のウェブサイトは:www.winstanleys.org

全文:The Electronic Intifada


 通常、イマジネーションがあれば(イマジネーションが欠落しているひともいるけれど、例えばヒラリー・クリントンのように)、イスラエル国家、イスラエル軍兵士のパレスチナ人の扱い、被占領パレスチナのイスラエル人入植地に移り住んだ入植者らのパレスチナ人に対する底知れない暴力を、仔細に検討するまでもなく一瞥するなら、彼らがどれほど憎悪と侮蔑を注入されてきたかは判る。エルサレムのヤドヴァシム博物館を訪れたとき、徴兵されたばかりと思しき若いイスラエル兵のおびただしい群れを見て、なるほど、この虐殺博物館は、イスラエル兵の教育施設としてつくられたのかと思ったほどだった。
 このペレド-エルハナンによる著作は、イマジネーションが欠落していなければ見えることを、裏打ちしてくれるかもしれない。
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2012年03月30日

オランダ人著者がパレスチナで歩く愉しみを見出す

2012年03月19日月曜日

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ベツレヘム地区僧院、マルサバ近くのハイカー。Image by Andrea Krogmann

Charlotte Alfred

エルサレム (Ma'an) -- 3年前、中東カルテットのオランダ人経済顧問は、マウンテンバイクで走るルートを見つけようとヨルダン渓谷北部の荒野に向った。

彼の本「パレスチナを歩く」は、125の西岸の通り(を検証した?)後、今月出版される。

Stefan Szepesi、32歳は、マウンテンバイクする場所を見つけなかった。代わりにパレスチナは、彼を歩く術に向わせた。

「ぼくはいつも、歩くのは年寄りのものと思った... ぼくは、ここで歩く愉しみを見出した」と、Szepesiは、Ma'anに語った。

本は、ハイキング・マップ、詳細な方位、コース上の地元アトラクションと共に、歩く旅程25コースを編集する。「これらは、パレスチナ製ハイキング・マップの初めてのもの」と、エルサレム応用調査学会の地元地図製作者たちと共に作業したSzepesiは語った。

「歩くことは、外交官やイスラエル人やパレスチナ自治政府と話してラマッラに座っているよりもっと教育的」と、彼は語った。

「ぼくは、常に都市に向う(カルテット代表)トニー・ブレアとの旅行に2年から3年費やした。だからぼくたちは、本当にいなかに行った最初だった、セバスティア近くの徒歩旅行に彼を連れ出した」と、経済学者は思い浮かべた。

これは、ナブルス県の考古学遺跡、セバスティアがエリアCにあるため、パレスチナ自治政府には立ち入りが禁止され、イスラエル政府当局により無視されるので、カルテット代表にとり、重要な訪問となり、古代遺跡の保護の欠如に明白に衝撃を受けたと、Szepesiは強調する。

(略)

Szepesiは、本の中で広く横顔が描かれる、パレスチナ人の歩くエキスパートと作業した。人権主唱者、ラジャ・シェハーダの受賞作「パレスチナの通り」が、ガイドブックのインスピレーションで、シェハーダは彼に熱情の序文を書く。米国の出版社が、ガイドを引き受けるアラビア語出版者をまだ捜していると、Szepesiは言及する。

しかし、入植地とイスラエル軍支配により断片にされた被占領地で、多くが安全に関して尋ねたと、彼は認める。

「正直に言って、もっとも危険なことは、歩きに行き帰るドライヴ(?)で、多くが道に迷う」と、彼は確信する。

Szepesiは、ウォーカー(歩くひと) - 外交官、ジャーナリスト、パレスチナ人ハイカー - の一団が、彼のルートを試みて、彼にどのような障害もフィードバックするよう奨励する。

(略)

「パレスチナを歩く」は、米国のInterlink Walking Guidesと、英国のSignal Booksにより発行される。それは、エルサレムのEducational Bookshopで購入することができ、歩きに関するフィードバック提出はここで:www.walkingpalestine.org

全文:Ma'an News agency


「パレスチナを歩く」は、東エルサレム、サラハッディーン通りのEducational Bookshopに行かなくても、amazonで注文できる。ここ。注文したけれど、配達予定が5月だから、今日、3月30日、「土地の日」記念「読書会」には間に合わない。
 20年ほど前になるかもしれない、イスラエル紙幣が新しくなって、持っていた古い紙幣が使用できなくなった。それでも、銀行に行くことがあったら新しい札に交換しようと、パレスチナに行く度、札入れに入れていた。テルアヴィヴで、友人が銀行に立ち寄ったとき、古い紙幣の交換を求めてみたが、その銀行では「できない」とのことだった。せいぜい200シェケルほどだったが、もう使うことはできないかもしれないと殆ど諦めていた頃、Educational Bookshopで支払いをしようと札入れを開くと、覗き込んでいた書店オーナーの老いた父親が、古い札に気づいた。「これ古いやつだ」「知ってる」、すると「これも、これも、これも」と古い3枚を抜き取り(老人が指差し、わたしが抜き取った)、孫息子を呼んで持っていかせた。その少年は、新しい札を手にして戻ってきた。10年以上の懸案が解決された瞬間だった。
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2012年03月03日

トム・ハンダル:注目すべき男の中東の写真

平和活動家、トム・ハンダルは、イスラエル狙撃兵に撃たれ、22歳で死んだ。彼の旅がより困難になったとき、強度を増した彼の画像と記事が、新しい書籍で公表される

Sean O'Hagan
The Guardian
2012年03月01日木曜日

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人間の盾 … 活動家でフォトジャーナリスト、トム・ハンダルは、発砲下にある幼い少女を助けようとして死んだ。Photograph: Kay Fernandes/Reuters

トム・ハンダルは、平和活動家で、野心あるフォトジャーナリストだった。彼の写真は、日誌と並んで、イラクで、ヨルダンの難民キャンプで、ガザ回廊で、家族たちの中で生活した間のしばしば恐ろしく、時々高揚させる、彼が見て経験した出来事の証言を伝える。彼が、砲撃で動けなくなった子どもを救出しようとして、イスラエル兵士により頭を撃たれたのは、2003年4月11日、そこ(ガザ回廊)だった。彼は、9ヵ月後、ロンドンの病院で死んだ。22歳だった。

そして、今週、Trolley Booksにより出版される『残っている唯一の家:トム・ハンダル中東日誌』の写真を、冷静に見るのは困難だ。それらは、最も激しい種類:並外れてこころ傾け勇敢との印象を与えるひとにより残された闘争と衝突の視覚的記録の、現地報告と市民ジャーナリズムの混合物だ。彼の著述が示すように、しかしながら、ハンダルは毎日、恐れと格闘した。彼は、最も直接的で危険な手法で戦争に抗議すると決定した、2003年、米英軍による侵攻の直前に到着した「人間の盾」集団のひとつで、バグダッドに旅した。マンチェスタ・メトロポリタン大学の学生誌、Pulpにemailした一連の記事で、彼は、正直に自己憐憫なしに、不断の疑いと忍び寄る恐れについて書いた。眼を引く1行:「すべきことを知っているときひとが、するために自身に嘘をつかなければならないならそれは、彼が恐れているとひとの知るとき」。

これらのことば、この種の自覚を、本の最初の写真からたばこを手にし微笑みかける、ハンサムで短い髪、ひげを剃っていない若者と同等視しがたい。彼は、冒険待つどこか遠い国に到着したばかりの、年次休みが始まった学生のように見える。書籍に挟み込まれた電子メールや記事のように、写真は、彼の旅を今まで以上に困難にし、今まで以上に危険にするとともに、強度を増す。

(略:長い、まだ半分にもならないけれど)

全文:The Guardian

アーカイヴ:トム・ハンダルの本の資金集めキャンペーン開始(2010年11月29日)
     :トム・ハンダルの射殺(2011年02月10日)


 この書籍、The Only House Left Standing: The Middle East Journals of Tom Hurndall(残っている唯一の家:トム・ハンダル中東日誌)を、amazon.co.jpに注文した。ここ。3,570円、「一時的に在庫切れ;入荷時期は未定です」とある。商売だから、注文が重なれば入荷すると思う。入荷しないならロンドンに注文する(原文参照)しかないけれど、送料で書籍代金は2倍に跳ね上がるだろう。だからお願い、amazonに注文してね。
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2011年05月21日

新書籍がパレスチナ自治政府への援助がいかにイスラエルのポケットに収まるか示す

デヴィッド・クローニン
The Electronic Intifada
2011年05月18日

10年ほど前、記録がパレスチナで破られた。新たなインティファーダの突発に応じて、外国の政府は、西岸とガザへの彼らの財政貢献を劇的に増加させた。2002年までに、被占領パレスチナ領域は、第二次世界大戦以来、持続する一人当たりベースで開発・人道援助の最大の受取人になっていた。

パレスチナは、近年毎年最大10億ドル与えられ感謝しているのか? 今年早く、わたしがエルサレムとラマッラで交わした会話から、答えはノーと見えるだろう。「わたしたちは、あなたのお金が欲しいのじゃない;連帯が欲しい」と、女のひとりはわたしに語った。他は、対外援助がいかに占領に「包帯するか」、症状のいくつかを緩和するが、核心問題を膿むまま残すと話した。

パレスチナの政治的経済支援で、Sahar Taghdisi-radは、被抑圧者に向けられた支援がいかにしてしばしば抑圧者のポケットに収まることになるのか例証する。「闘争と暴力の文脈で支援が与えられる時、その文脈の一部となる;これ故に、ほとんどのドナーが要求したがっているにも拘らず、闘争への効果は中立のままでない」と、彼女は書く (87) 。

(略:面白いけど長過ぎて)

全文:The Electronic Intifada

 ニッポンの支援についてはこちら:「平和と繁栄の回廊」が占領政策、とりわけ違法入植地存続を促進する危険等について

 例年なら、アトリエを取り囲むアベリアやテイカカズラの剪定を、45リットルのゴミ袋に、1日5袋か6袋ほど満たすのだけれど、被曝を抑えるため今年は、3袋を1日の仕事量の目安としている。ここ、群馬県南部、関東平野の外れで、テイカカズラは花盛り、でも、ハチがいない。チェルノブイリからハチが消えたように... 群馬からも...消えたのか...
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2010年03月17日

レヴュー:『アメリカン・ラディカル』での犠牲の英雄へのフィンケルシュタインの変容

マックス・ブルーメンソル
The Electronic Intifada
2010年03月15日

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『アメリカン・ラディカル』の場面、ノーマン・フィンケルシュタインとアラン・ダーショウィッツが「デモクラシー・ナウ!」のスタジオで討論

 2週間ほど前のある夜、わたしが、ニューヨーク市ウエストビレッジのBleecker通りを歩いていると、ノーマン・フィンケルシュタインに出会った。彼は、軽いジャケットを羽織り、バナナを食べながら、空から降り注ぐ肌を刺す寒風も大雪も気にならない風だった。わたしは、フィンケルシュタインに、彼のワーテルロー大学での講演で、シオニスト学生活動家の攻撃をかわしたYouTubeクリップが、オンラインで人気を獲得していると告げた。「あの場面は、ぼくにはそれほどすてきじゃない」と、彼は殆どささやくように言った。

 YouTubeクリップは、米国映画館で上映され始めたばかりの魅入られる2009年のドキュメンタリ、『アメリカン・ラディカル:ノーマン・フィンケルシュタインの試練』からの抜粋だった。場面で、女子学生は、泣き崩れる前に、彼のイスラエル政府とナチス比較が「非常に有害」とフィンケルシュタインに語る。若い女に共感の態度を提供する代わりに、フィンケルシュタインは憤慨を強め、「そら涙」と呼んで怒ったように退けた。(後略:長い。かいつまんでかいつまむと、フィンケルシュタインを「自己嫌悪するユダヤ人」なんて呼んで、左遷したり、叩きに叩いた連中が、フィンケルシュタインを世界という舞台にのぼらせた。このYouTubeクリップは下記、アーカイヴでご覧いただけます)

全文:The Electronic Intifada

アーカイヴ:ノーマン・フィンケルシュタイン:ワーテルロー大学で(02月07日)
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2010年03月09日

サッコの『ガザ脚注』は「他の漫画本に似ていない」

2010年03月08日月曜日

米国、2010年3月8日 (Pal Telegraph、 Tim McGirk) - ジョー・サッコの『ガザの脚注』は、他の漫画本に似ていない。スーパーヒーローもいないし、可笑しくもないが、殆ど誰も、イスラエルによる継続的封鎖と爆撃に晒される領域を舞台とする物語の中に多くの不謹慎を期待しないだろう。しかし、ガザの現在の苦況は事実上、本の主要なキャラクター、漫画家自身が、1956年のイスラエル兵士らによるガザのパレスチナ人に起こった2つの大虐殺の状況の出来事の再構成を試みるため、イスラエルのミサイルやスナイパーの砲撃から身をかわしながら、きめ細かく作られた388ページを通して歩き回る背景を形作る。

(後略)

全文:The Palestine Telegraph

アーカイヴ:ジョー・サッコの革新的新刊から独占的抜粋:ガザの脚注(2009年12月29日)

『ガザの脚注』をhttp://www.amazon.co.jp/で入手できる。2122円、アメリカのamazonから送ってもらうより、ほぼ、送料分が安い。
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2009年10月24日

書評:シュロモ・サンドの『ユダヤ人民の発明』

レイモンド・ディーン
2009年10月22日、The Electronic Intifada

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 1967年に、パレスチナ詩人、マフムード・ダルウィーシュは、彼の詩『白百合を夢みる兵士』を発行したが、イスラエル兵の良心の呵責への同情的描写故「シオニストの敵との共同作業」と非難された。40年経ってその兵士は、自身を歴史家、シュロモ・サンドと名のった。 彼は自責の念を、イスラエルと、Prix Aujourd'hui賞が、作家をある種テレビスターとしたフランスでベストセラーとなった本に書いていた。

 本当に、英語版が出版される前、米国とヨーロッパで、より多く興味をかき立て、より頻繁に書評される本は殆どない。翻訳者、Yael Lotanは、ヘブライ語表題(いついかにしてユダヤ人民は発明されたか?)の疑問詞をめり込ませることにより、『ユダヤ人民の発明』となるが、そして結果、そのような発明の才がユダヤ人に特有であったのかといった、紛らわしく(故意に?)挑発的に仄めかす、先立つフランス語への翻訳者の例に倣うことを選んだ。しかしながら、サンドは、19世紀、世界的に「国家的計画は… 完全に意識されたもので… それは想像・発明・現実的自己創造の同時プロセスだった」(45)と明確にする。
(後略:書評を翻訳するにはちょっと英語力に不備)

全文:The Electronic Intifada

アーカイヴ:「ユダヤ人ではなくイスラエル人がいる」とサンド(10月12日)
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