2012年08月08日

人権集団がハンガーストライキ囚の生命懸念

ラマッラ、2012年07月31日 (WAFA) - 月曜日に発表された声明によれば、パレスチナとイスラエルの人権組織は、未だイスラエル刑務所でハンガーストライキしているパレスチナ囚3人の生命に対する懸念を表明した。

アッダミール囚人支援・人権協会、アルハク、人権医師団-イスラエル (PHR-IL) は、イスラエルに捕らえられる、取り残されたパレスチナ人ハンガーストライカー、3人の生命と健康を「深く懸念する」と述べた。

行政拘留者、サメル・アルバルクは70日、ハッサン・サファディが40日、アイマン・シャラウナが30日、ハンガーストライキにある。

声明によれば、バルクの健康は急速に悪化し続け、彼は隔離して捕らえられ、塩分とビタミンを摂取するのみである。

(略:アーカイヴ参照)

サファディは先立って、ハンガーストライキを71日間続けたが、彼らの1ヵ月にわたるストライキを終らせた、囚人たちがIPS(イスラエル刑務所業務)との合意に達した5月14日、終了した。

彼の最後の行政拘留命令は、6月29日に満了することになっており、パレスチナ囚大規模ハンガーストライキ終了の合意によれば、彼はその日に解放されると考えられた。しかしながら、彼の行政拘留命令は、合意の明白な違反で、それが満了となる1週間前さらに6ヵ月更新された。

シャラウナは、10月に捕虜交換取り引きの一部として解放されたが、1月31日には再逮捕された。彼に対するいかなる告発もなされてこなかった。

「ハンガーストライキに留まるパレスチナ囚たちの状況のさらなる悪化に照らして、アッダミール、アルハク、PHR-ILは、国際社会に、彼らの代わりに直ちに介入するように促す」と、声明で述べた。

彼らは、イスラエルが、現在の(行政勾留)命令終了時、解放を約束された行政拘留者たちの解放、親族訪問の更新、イスラエルの拘留にあるパレスチナ人に対して使用される懲罰的手段の解除を含む、5月14日合意を尊重するよう強いられなければならないと要求した。

彼らは、40日間以上ストライキしてきたハンガーストライカー同様、リハウィとバルクの民間病院への即刻の移送、同様に、独立の医師たちのすべてのハンガーストライカーへの制限ないアクセスもまた求めた。

声明は、サファディ、バルク、そして他の行政拘留者すべてが、即刻、無条件に解放される(べき)と強調した。

全文:WAFA

アーカイヴ:アクラム・リハウィのハンガーストライキが102日後終了(07月28日)
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ホワイトハウスがロムニーにエルサレムを「イスラエル首都」とした叙述の説明求める

2012年07月31日火曜日

ホワイトハウスは、共和党大統領候補、ミット・ロムニーに、パレスチナ人を憤慨させた、エルサレムに関する彼の問題発言を説明するよう要請した。

ホワイトハウス報道官、ジョシュ・アーネストは、エルサレムを「イスラエル首都」と裏書きしたロムニーの発言が、元共和党大統領ら同様、民主党大統領らにより採用されてきた米国の立場に反すると語った。

アーネスト氏は記者会見で、現政権の立場は、「首都(エルサレム)は、両党派間 - パレスチナとイスラエルの最終地位交渉により解決されるべき問題である」ということであると、記者団に語った。

「ロムニーが、この立場を受理しないなら、それは、ビル・クリントンやロナルド・レーガンといった先立つ米国大統領の立場を受理しないに等しい」。

原文:Middle East Monitor


 わたしは新聞を購読していないが、近所の食堂で「読売新聞」を手にすることがある。「どうしてよりによって『読売新聞』なの? 東京新聞の方が安いのに」などと言いながら、官邸前集会で貰ったチラシ「中央新聞購読ボイコット」を手渡したりする。この「読売新聞」が、ロムニーのイスラエル訪問を仰々しく数日に渡って伝えていた。例えばニッポンの野党の次期総裁候補が、近隣の友好国(思いつかない)を訪問したとして、米国の新聞が、例えばニューヨーク・タイムズあたりが書くだろうか。いったい「読売新聞」の誰が、ロムニーのイスラエル訪問の記事を、掲載に値すると判断するのだろう。いったい誰が「読売新聞」に、ロムニーのイスラエル訪問を書いて欲しいのだろう。反対を押し切って日本に原爆投下したトルーマンから始まった米国大統領選の悪習、「ユダヤ票の取り纏め」が、そろそろ「有効」でなくなってもいい頃と、世界の良心は考えているのに。
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ガザのパラリンピック選手:優劣の差すべてに抗って

Photo Blog by Ruqaya Izzidien

ガザのパレスチナ人たちは、彼らの希望をふたりのパラリンピック・ヒーロー、ハミス・ザクート、47歳と、ムハマド・ファヌーナ、32歳に懸ける。

ファヌーナが幅跳び、槍投げ、200m走で競技する一方、ザクートは円盤投げ、槍投げ、砲丸投げで競技する。ふたりは、切望されるメダルを持ち帰る希望を抱いて、ロンドンでの - 障害のある競技者のための - 今年のパラリンピック大会に向かう。

しかしファヌーナは、この熱望が少し非現実的かもしれないと考える。「わたしたちは支援を得ない。わたしは200mスプリンタなのに、トラックがなく、コンクリートに囲まれた手製の砂場で幅跳びを練習する」。

ファヌーナは、7ヵ月前、アジア大会の幅跳びで一位を勝ち取り、2004年のアテネ・パラリンピックで銅メダルを得た。ロンドン大会の選手すべてのように金を目指しているけれど、「適切な装備、トレーニングやトラックの取得をわたしたちに妨げる、わたしたちがその下にある封鎖を計算に入れるなら」銅でさえ業績となるだろうと彼は語った。

イスラエル政府は、ハミス・ザクートが、英国領事館により開催されたエルサレムでの100日オリンピック・カウントダウン・イヴェントに旅するのを禁じた。「わたしたちの成功は、わたしたちが直面する制限や妨害にも拘らず、優劣の差すべてに抗い、決意で何ごとも達成し得ると証明する。それはまた、障害が人生と可動性の終わりでないというばかりでなく、卓越への通路となり得ると示す」と、ザクートは語った。

原文と画像10点:alakhbar
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2012年08月07日

「ぼくが盲目と母に告げないで」:ムハマド・ブラシがイスラエル刑務所の暗黒の中で光をつかもうとする

Shahd Abusalama
2012年07月28日土曜日

パレスチナ抵抗によりその戦車から捕捉され、5年間、捕らえられたイスラエル兵、ギラード・シャーリトは、「テロリスト」パレスチナの「被害者」として世界的に知られる。

しかし、世界が、わたしたちパレスチナ政治囚のことをいかに殆ど知らないか見るにつけ、わたしを激怒させる。(シャーリトの場合と違って)ひとりだけではない。イスラエル刑務所で15年を過ごしたわたしの父さんが、彼の拘留について頻繁に評したように、むしろ「生者の墓場」といったイスラエルの鉄格子の向こうに、5000人ほどのパレスチナ人がいる。

昨夜、政治囚に関する最新ニュースをたどっていて、わたしは、「拘留者ムハマド・ブラシの健康状態が悪化している」と読める表題に遭遇した。わたしが、以前その名を読んだことがないことは殆ど確かだ。

イスラエルの刑務所に閉じ込められたパレスチナ・ヒーローすべてのように、ムハマド・ブラシは、どんな心も動かす彼自身の物語、人間的で英雄的な物語を持つ。わたしは、偶然に - そして涙ながらに - 彼の手紙、「ぼくが見えなくなったと母に告げないで」を読むまで、彼を知らなかった。

わたしは、32歳のムハマド・ブラシを詳しく紹介したい。しかし、わたしはまず、彼自身の詩的ことばに、彼が誰か語らせたい。彼の手紙のわたしの翻訳をここに:

ぼくがもはや見ることができないと、母に告げないで。彼女はぼくを見ることができ、ぼくは見ることができない。暗闇がぼくを満たすまで、ぼくの眼に広がった病気の後、ぼくが見えなくなったと彼女は知らないので、彼女が、ぼくの兄弟姉妹、友人、隣人たちの写真を見せるとき、ぼくは笑顔を装う。

角膜移植手術を受けるためぼくが何年も待ったと、彼女に告げないで。しかし、イスラエル刑務所業務は、ぼくをとり残すすべての理由をぼくの両眼に与え、引き延ばし、そして引き延ばした。

ぼくが見ることができた幸福な日々の、ぼくが思い出す最後のものが、ぼくに向かって走りながらパレスチナ旗を振って、「殉難者、殉難者」と叫んでいた小さな子どもと、彼女に告げないで。

ぼくに命中した爆弾の榴散弾破片がまだ、ぼくの身体に鎮座していて、ぼくの左脚が切断され、プラスチックのに替えられたと、ぼくの母に告げないで。もう一方の脚が腐敗し、血液と生命を干上がらせると彼女に告げないで。

囚人が生命なき生存を生き残り、人間以下のものとして扱われると、ぼくの母に告げないで。彼は、灰と鉄、邪悪と絶望のみとの遭遇を判決される。


(略:長いのでところどころ)

ぼくが夜不眠をかこち、ぼくの身体を麻酔する間、ぼくが鎮痛剤の慈悲の下で生きると彼女に告げないで。ぼくが、ぼくのもをなくし続け、鉄のベッドにのろのろ進み、あるいは、ぼくの近くで眠る別の囚人に、トイレに行くのを手伝ってくれるよう起こすと、彼女に告げないで。不眠が常にぼくを苛み、眠りは決してぼくを訪れないと、彼女に告げないで。

イスラエル、21世紀の国家が、その刑務所を疾病を植え付ける場所、肉体がゆっくり破滅する場所に変えてきたと、彼女に告げないで。


(略:長いので)


ムハマドについて知る

この手紙が、ムハマド・ブラシの人格とのわたしの精神的関係を開始した。彼は、わたしの人生のインスピレーションの新たな源泉となり、パレスチナ政治囚問題でのわたしの信頼を深めた。

ムハマドは、不服従キャンペーン、2011年9月末に開始された22日間大規模ハンガーストライキの間、彼の感動の手紙を、エシェル刑務所からこっそり持ち出し得た。彼や彼の仲間に対するイスラエル刑務所業務の非人道的慣例に光を放つ試みで、彼は、医療怠慢の自身の経験を共有した。彼らが大規模ハンガーストライキを始めるときはいつも、医療の質は、常にわたしたちの拘留者の要求リストの頂点にある。

(以下、かいつまんで)
ムハマドをもっと知りたくて、彼の家族を訪ね、物語を聞きたいと願ったが、イスラエルのアパルトヘイトが、ガザの誰かが西岸の誰かと会うのを不可能とする。

ムハンマドの弟からのメッセージ

(ここもかいつまんで)
検索してわたしは「拘留者、ムハマドとラムズィ・ブラシ」というFacebookページをみつけ、ムハマドの手紙にどれほど感動したか掲示を残した。すぐにわたしは、彼の22歳の弟、ハムザ・ブラシからメッセージを受け取った。

ムハマドの家族は元来、1948年に民族的に浄化されたアブショーシャ村出身だ。彼の祖父母は、彼らがまだ住んでいる、ラマッラのアルアマリ難民キャンプに逃れた。

イスラエル兵士らにより弟が殺され、ムハマドは爆弾で負傷

第二次インティファーダの始まりで - 2000年9月開始 - イスラエル占領軍は、アルアマリに侵攻し、人びとを虐殺し、その家屋を破壊した。武装兵士が、ムハマドの15歳の弟、スブリを、彼が石を投げているとき彼の命を切り詰め、撃った。これが、ムハマドを抵抗に加わり、民衆の尊厳と安全の意識を防衛するよう動かした。

同時に、ムハマドは警官として働いた。2001年、彼は、イスラエル検問所から50メートルのパレスチナ警察署を警備する夜勤だった。帰宅するため彼が車に乗り込むと、爆発した。その後、彼は、爆弾が車の中にあったと知った。誰がそれをしたのか疑いがあったが、彼の兄弟は「ぼくたちの敵は唯一:イスラエル! 物語の残りが、この犯罪に対する責任の彼らの否認が嘘と証明するだろう」と答えた。

「ムハマドは、爆発からかなり遠くに見つかった」と、ハムザは電話でわたしに語った。「人びとは、彼らが殉難者を見つけたと思った。しかしありがたいことに、爆弾は彼を殺さなかった。それは彼を盲目にし1本脚にしただけだった」。

ムハマドは政府の病院に運ばれた。しかし、彼が半死半生であってさえ、彼は再び攻撃された。「覆面の男が、彼の病室に入り、その指をムハマドの、爆弾で既に見えない眼に突き刺した」と、ハムザは怒りで語った。「その後、彼は民間病院に送られ、警備なしにひとり残されることはなかった」。

2003年の逮捕

「しかし彼は、どうして刑務所に入ることに?」と、わたしは尋ねた。

「2003年2月17日に、イスラエル軍は、拘留キャンペーンの準備でアルアマリを包囲した」と、ハムザは答えた。「ぼくたちは、ムハマドが標的になるとは思いもしなかった。彼の障害で、どうして彼が、イスラエルの安全を脅かし得るのか?」

「イスラエル兵士の巨大な部隊が、ぼくたちの家を襲撃した」と、彼は語った。「彼らは、立っていようとして壁に寄りかるムハマドを見つけた。彼らは、彼を攻撃し、まるで彼が見え、逃げることができるかのごとく、彼に手枷し目隠しし始めた。兵士らは、彼の障害のため、彼を苦しめ始めまた」。ハムザは、兵士の指揮官が「我々はお前が死ぬことを欲したが、生きてると聞いて、我々はお前が我々の客人となるべきと考えた」と、ムハマドに告げるのを聞いたと、わたしに語った。

(略:長いのでところどころ)

最初、イスラエルの裁判所は、ムハマドに、7終身刑を判決した。しかしその後、彼の健康状態に照らし、3終身刑プラス35年に減刑された。「まるでこの無慈悲な法廷が、違うことをなしたかのように!」と、ハムザは怒って語った。「終身刑1回で、イスラエルの刑務所を彼の墓にするのに十分だ」。

ムハマドは、彼の判決のうち10年間を服してきて、彼がいつか解放されるか誰も知らない。逮捕以来毎日、彼は、医療無視に苦しんできた。それは、ムハマドを暗黒のふたつの形態:色のない黒しか見ない彼の見えない眼と、彼の人生の最後の日を過ごすだろう、彼が日々死にいく暗い房、に取り残す。

50人を超える囚人が、肉体的に、あるいは精神的に、障害者だ。投獄を思い返して父さんが語ったように「イスラエル刑務所業務の無慈悲な獄吏により拘留されることは、精神的健康を脅かすのに十分だ」。

良心のいかなる断片かを伴ういかなる心情における適否のいかなる感覚をも犯すイスラエルの恥ずべき犯罪の殆どは、セキュリティの名のもとに犯された。しかしいかにして彼らは、彼らの安全を殆ど危険にさらすことができないムハマドの事例を正当化できるのか?

全文:The Electronic Intifada
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2012年08月05日

ヘブロンでのイスラエル政策の究極の目的:民族浄化

マーカス・フィッツジェラルド
2012年07月28日|国際連帯運動


アルハリール(ヘブロン)東郊外に位置する、違法なキリヤトアルバ入植地のすぐ下方が、パレスチナ人地区、アッラスである。

イスラエル人入植地、キリヤトアルバのオンラインでの急ぎ検索が、つくられた歴史や、1981年以来、それがどのようにパレスチナ人の抵抗を受けたか、一般知識を提供するが、比較的大きな(ca. 7000人居住)入植地近くに住む元来のパレスチナ人にとっての必然的結果を読者に知らせない。あるいはそのような植民地が、国際司法法廷により確認されたように、国際法により違法と看做されていると書かれたものも見出せないだろう。あるいはまた、同地域のイスラエル人入植者によって、パレスチナ人に対して犯された1994年のイブラヒミ・モスク大虐殺も。

ヘブロン住民たちは、入植者らによる絶え間ない暴力的攻撃、イスラエル政策による土地収用、移動の自由の欠如と車を使用するための特別許可の必要条件、水道水の欠如、そして破壊について、定期的に、国際連帯運動と話す。

破壊

2006年、パレスチナ人地主、ファイーズ・アラジャルは、1ダースの店舗と何家族かの収容を目指す大きな建物の工事を始めた。建物は、恐ろしくも、アッラス地区のオリーヴ林と、遠くに興奮がちらちら燃えるアルハリールの白い家々を見下ろす場所だった。

計画が殆ど完成した2007年、イスラエル人入植者らが建物を占拠した。彼らを追い立てる高等裁判所決定に続き、西岸中から入植者らが、建物の違法強奪を防御する準備が整ったその家に集まった。追い立て最終期限が、高等裁判所により、2007年12月4日に設定された。

その最終期限に繋がる週は緊張していた。イスラエル人入植者らは、パレスチナ墓地を破壊し、パレスチナ人の車(複数)を燃やし、パレスチナ人の家々を攻撃した。そのような攻撃の拡大が、不法占拠者らを支持する違法入植者何千人もの到着の結果に帰着した。彼らは、追い立て部隊との戦いに成功した。イスラエル政府当局は、単に彼らを排除するさらなる試みを控え、以前に見られたように、資産窃盗が(入植者らの)セキュリティ問題にこじつけるストーリを許した。近年、イスラエルは、入植者ら「保護」のため、パレスチナ人歩行者用の軍事検問所設置さえ決定した。

ムハメド・アルジャバリ、「アブ・ナーイム」と彼の家族は、占拠された建物から100メートルほどの家に住む。今年5月28日、彼らは、家の屋上にもう1階建築し始めた。15人家族は、もっとスペースを必要とした。

近くの最近占拠された家の入植者らが、アブ・ナーイムにより進行中の建築計画を繰り返し攻撃した。続いて、アブ・ナーイムは、イスラエル当局により、工事続行を禁止された。

オスロ合意(添付 1、12条)参照で、パレスチナ人は、セキュリティ道から50メートル以内での建設を許されていない。アブ・ナーイムの事例では、その地区に新軍事検問所建設で、セキュリティ道が発表された。アブ・ナーイムの工事許可の法的評価は、彼の家が 50メートル建設不許可地帯から離れていたけれども覆された。14年前に建てられた家がある土地は、1967年のイスラエル占領以前から、アルジャバリ家が所有してきた。

今のところ、建設途中の上階は、窓や扉のない空の外観として残される。イスラエルのブルドーザが、アブ・ナーイムが工事を継続するなら全家屋を破壊しようと待機している。

資源の妨害と併合

オリーヴ林を越えた、キリヤトアルバの有刺鉄線フェンスの傍に、カイード・ダナと彼の兄弟たちが住む。彼らの家の外すぐに立ちはだかるイスラエル監視塔によってのみ途絶する、もうひとつの唖然とする光景が取巻く。被占領西岸の殆どは、これら灰色の塔でしみづけられる。その窓からの監視が、常にある占領、パレスチナ人に、仮にあるとしても殆ど享受できないプライバシーは贅沢と思い起こさせる。

ダナ家は、過去50年間同じ土地に住んできた。1958年(?- ママ)、イスラエル当局が、彼らに、その家を離れ、増大する違法入植地に場所を空けるため、しつこく金銭を申し出た。家族は拒絶し、それにも拘らず、イスラエル軍は、彼らの庭の半分をブルドーザで均した。

6月24日時点で、ダナ家は水がなかった。イスラエル当局が、彼らの水タンクを補充するため地区に入る給水車を妨げた。その結果、カイードと彼の家族は、家の外の非衛生的な井戸から水を汲むよう格下げされる。これは、彼らが次の問題に出くわすところだ:水は毎日、2時間のみ利用可能だ。これは、彼らの駱駝4頭(100リットル/日)と最も基本的家庭のニーズを供給するのに十分でない。

ダナ家の家の北、オリーヴ林を過ぎて、アブドゥル・ハイ一家(アブ・ホスニ)が住む。彼らの窓は、イスラエル入植者らが、投げる石でガラスを砕くのを避けるため、囲いをめぐらされる。12月4日、家族は、ダムダム弾(拡散弾)の負傷3人を残す危険な攻撃を受けた。ダムダム弾は、身体に入る実弾の一種で、拡散し、恒久的負傷あるいは死を引き起こす。またダムダム弾は、イスラエル入植者らにより使用されると知られているが、それらは国際法により違法である。

その地区に住むジャマル・アブサイファンは、彼のカメラで事件を捉え、軽傷のイスラエル入植者が、彼の負傷から15分後、いかにヘリコプターで飛び去ったか、反して、砲撃により負傷した、ひとりは重態のパレスチナ人3人は、救急車を3時間待ったと説明する。

彼らに到達しようと試みる救急車は、イスラエル軍により止められ、その地区への入域を拒まれた。

究極の目的:民族浄化

あいにく、入植者の攻撃はまれでなく、1968年にキリヤトアルバが樹立されて以来、起こってきた。それら暴力的攻撃と、彼ら(入植者ら)に伴う軍による暴力と政策の目的は、人びとを負傷させ、彼らの土地を破壊することのみでない。それは究極の目的:パレスチナの民族浄化に到達するための戦略的手段に過ぎない。

キリヤトアルバによる次の段階は、重要なパレスチナのオリーヴ林のその真ん中を下って分割する、新道建設だ。道路は、(道路の)反対側の彼らの樹木を世話することからパレスチナ人を妨げるのみでなく、更なる土地を併合し、経済的必要性を取り上げ、生来のパレスチナ人たちにとり生活をさらに困難にして、パレスチナ人にアクセス不能とするだろう。

生活を困難にする状況の堆積にも拘らず、その地区の家族は誰も、イスラエル占領下、彼らの日常生活の不確実性と圧力にも拘らず、彼らの土地に留まる選択をしてきた。

原文と画像:International Solidarity Movement
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2012年08月03日

ユネスコへの要請:エルサレム旧市街の壁の隣りに観光複合施設を建設する計画にあなた方の介入が必要

Emek Shaveh
プレスリリース
2012年07月22日

Emek Shaveh組織とシルワン村住民たちは、ユネスコに、そこの考古学残骸の上、エルサレム旧市街の壁の隣に建設が予定される「Kedemセンター」を建設するElad組織の計画に関して、専門的見解を発するよう要請する。Givati駐車場での、この観光複合施設は、都市の性格と保存に著しい変更を構成する。わたしたちの見解では、危機に瀕する世界遺産としてのエルサレム旧市街の宣言は、計画された建設に関して、ユネスコの関与を要求する。

2012年2月に、エルサレム地区計画・建設委員会は、5階建ての9000平米の地区を覆う観光複合施設工事を承認した。建物は、旧市街の壁の外に建設されることになっており、壁から20メートルほどの距離しかない。工事は、「Givati駐車場」として知られる考古学発掘地区で行われるだろう。プロジェクトは、Elad協会とイスラエル自然・公園当局により開始された。

Emek Shavehは、ユネスコ(書簡は別便に添えられる)に、提出された計画に介入し、エルサレム旧市街に対する計画の構造物の影響に関する独立した専門的見解を発するよう求めた。ユネスコの1981年の世界遺産遺跡としてのエルサレムの壁の承認と、旧市街の危機に瀕する世界遺産遺跡としての認識は、ユネスコが、エルサレムの遺産の保護のための責任機関と示す。

わたしたちは、遺物当局や自然・公園当局といった古代遺跡の保護の責任を負うイスラエル機関(複数)が、この計画を支援しているので、この訴えをユネスコにしている。イスラエルのユネスコ世界遺産委員会議長が、この計画の企画者であり、したがって、わたしたちは、彼に独立した見解を示すよう訴えることはできない。

発掘や考古学層の撤去、あるいは遺物の上での工事やその結果の秘匿といった一方的手段は、協議することも地域の住民すべてを考慮することもない一方的ビジョンによってのみ、エルサレムの遺産を形づくる。「Givati駐車場」での計画の観光センターは、見られ保存されるエルサレム遺産の方法を実質的に変更し得る。現在の政治状況で、そして世界遺産遺跡としてのエルサレムの重要性ゆえ、エルサレムの遺跡を保護するため、多くの手段が必須である。

1. わたしたちは、ユネスコに、「Givati駐車場」で計画のプロジェクトを検討し、エルサレムの遺産へのプロジェクトの影響に関し、明確な姿勢を述べるよう求める。

2. エルサレム地区計画委員会が既に建設計画を承認したので、即刻、そして遺跡で建設工事が始まる前に行動する必要がある。わたしたちは、イスラエル政府に建設計画に関する明確な姿勢を提示するユネスコを代表する独立チームを求める。

3. エルサレムのユニークな位置が、全体としてエルサレムの遺産を保護し、今日遂行される一方的活動を和らげるため行動する、エルサレムに常置する独立のユネスコ代表派遣を必要としている。

4. 考古学発掘は、エルサレムの特質と都市景観を形作る重要な役割を果たすので、考古学が、地域のユネスコ代表事務所で、建築様式があるごとく、適切に表わされるだろうことが必要である。

* 「Emek Shaveh」は、考古学者、およびイスラエル-パレスチナ闘争の考古学の役割を変えるため作業する人権活動家の非営利組織。www.alt-arch.org

原文:Occupation Magazine


 エルサレムの遺跡は層を成している。時代を追うごとに、上に上にと街をつくってきたからだ。イスラエルは建国以来、古代ユダヤの遺跡を探してきたがみつかっていないことは、このboycottilで、何度も繰り返してきた。だからウマイヤド王朝の遺跡やローマ遺跡を破壊してユダヤ遺跡を探すことは、その上の層のエポックともいうべき遺跡の破壊に直結する。みつかるユダヤ遺跡はたかだか住居跡だ。
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2012年08月01日

アッティリ:イスラエル人入植者らがパレスチナの水配給を飲み干す

2012年07月29日日曜日

ラマッラ (Ma'an) -- イスラエルが、西岸の平均的なパレスチナ人より各入植者に70倍の水を割り当てると、日曜日、パレスチナ水当局の長は語った。

ラマッラでの記者会見で、シャダッドゥ・アッティリは、パレスチナ人が、1995年のオスロ合意で割り当てられた量より少ない、また、国際基準により必要とされる4億立米の4分の1程の、1億500万立米の水を受けると語った。

イスラエルが、西岸の殆どの水資源を支配し、パレスチナ人にイスラエルから水を買うことを強いて、パレスチナ人に割り当てる水量増加を拒絶すると、アッティリは語った。

水はイスラエルとの交渉の最終的地位問題で、最終会談に問題を延期することが、ガザと西岸に於ける水危機を創出してきたと、官僚は語った。

パレスチナ水当局は、水を購入しなければならず負債で何十億シェケルもになると、アッティリは語った。パレスチナ自治政府は、自身の財政危機のさなか、負債を支援してきていないと、彼は付け加えた。

一方ガザでは、水の95パーセントが人間の消費に適しておらず、また、海水 -- 下水で汚染された -- は、腎臓病の長期的問題を脅かし、過剰抽出の沿岸集水地域に漏れている。2年以内に、ガザに残される飲料水はなくなるだろうと、アッティリは語った。

原文:Ma'an News Agency

アーカイヴ:パレスチナは公正に渇く(2011年05月31日)
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